メンタル
気持ちが落ち着かない。
そわそわしたり、なんとなく気分が落ち込んでいる。
理由はわかっている。
どうして人は自分と違う考えや姿形が違う人を排除しようとするのだろう。
それは違うだろうとか、ただただ汚い冷たい言葉で罵ったりする意図、心理はずっと理解できないでいる。
自分と違う人間(他人)の価値観ってそんなに自分に大きく関わるのかな。
生死に関わるのであれば致し方ないこともあるとは思うが。
LGBTQとか、人種差別とか、だから何よ!じゃない?
生まれ持った性質や姿形、自分が思う本質に対して
他人にどうのこうの言われたくなくない?
シンプルな話、人にされて嫌なことはしてはならんだろう。
そんな幼稚園児でも知っていることを、どうして忘れ、人を傷つけるのだろう。
そんなに自分が正しいと思える根拠は何なのだろう。
息子が気持ち悪いと、同級生に言われた時。
私はいつ、どこで言われた?と聞いたが、
学校、家、放課後だったらとか
昨日今日、数ヶ月前だからとか、そんなところで対応は変えない。
いついかなるところでもその発言は良くないと、思う。
そう息子に伝え、担任に事実確認し対応を求めた。
息子に気持ち悪いと言った同級生の母親の発言は、こう。
1,2ヶ月前の話を今更言われても・・・。
まあ、言った内容は駄目なのでよく言っときます。
相手に対しての発言の責任は昨日今日の間だけなの?
人に対して気持ち悪いとか、意見でないただの暴言であって
その発言の重みを理解されていないように感じ、恐ろしくなった。
時間が経ってから言うということは、胸の内に置いてその言葉を反芻して
息子はきっと何度も傷ついていたんだ。
小さな、純粋な幼い我が子が、暴言に心を痛めていたのに、そんな軽くうちの子の心を扱うな。
面と向かってでも腹立つし、傷つくのに。
顔も知らない人間に突き刺すような暴言を吐かれたらと思うと。
人(担任)伝いに聞いても心に残ってしまうのに、文字でなんてきっと駄目だと思いながら何度も読んでしまって不用意に傷ついてしまう。
傷つけてくる人から離れなさい、なんて言うけども。
すぐに離れられない環境だったりするとそんなわけにはいかないよね。
つい、言ってしまった。
売り言葉に買い言葉。
本当に、本当に気をつけて。
傷付けない言い方が、配慮ができないんだったら
その言葉は言うべきではない。
被害者だけでなく、加害者にもカウンセリングすべき。
まともな心持ちの人間は人を追い詰めたりしないから。
カウンセラーの資格取得の勉強しているけど
正直加害者のカウンセリングはしたくないしできないよね。
共感も、寄り添いもできる自信がないから。
きっとそれではカウンセラー向いていないんだけど。
でも、私のこの勉強は私自身や周りの人に寄り添いたいがための自己啓発に過ぎないから、それを人にどうのこうの言われる筋合いはない。
妬み嫉みの感情を言葉に乗せてしまう人は
一回、美味しいもの食べてふかふかの布団でぐっすり眠ろう。
心にゆとりないのに、暇なんだ。
幸せを感じるくらいの心のゆとりがあれば、楽しいことを探すためにこうしちゃいられないと忙しく(充実するように)なるんだから。
何処の誰だか知らないけど、あなたにとって何者でもないけど
私の言葉で誰かが少しでも気分が軽くなったりしてくれたらいいなと
自分の文字紡ぎたい欲に忠実に書いていく。
もう少し、自分にも他人にも優しくできたらいいのにね。
落ち着かない今日は、いつもよりしっかりと掃除をした。
無心に、ただ無心に。
口下手で文章も不器用な私。
それでも不用意に人を傷つけることはしたくないから
考えて考えて、こうして書く。
そして時が経てば、振り返る。
いつだって自分に対して胸を張って、やましい生き方をしないように。