夫婦の会話のすれ違い。ケチャップカップを広げよう!
夫と派手に喧嘩した。
とあることでもめて、それを遡ってくと、過去ある期間に夫婦の話し合いが十分にできなかった、というのが話の焦点になった。
話は平行線。
夫「何度言っても話聞いてくれなかった」
私「家事育児つわりで話を聞く余裕がなかった。なんで手伝ってくれなかったの?手伝ってって言ったのに。」
夫「頭悪いやつは話もろくにできない」(ん!失礼な!)
私「だから!話されても頭に入ってこないよ、余裕がなくて」
こんな感じで、お互い折れずに、言いたいことを言い合うだけで、ちっとも前に話が進まなかった。
夫と私がそれで損をしたり、被害を被るならお互い反省して終わりで良いが、子どもたちに関わることだったらばこうした決裂は命取りだ。
当時、私は夫の話を聞く余裕が全くなかった。
夫にもう少し、家事や子どものことで手伝ってもらいたかったのだ。
子ども達が寝て家事が終われば倒れるように寝込んでいたので、踏み込んだ話は難しい。
話を聞く余裕がないという訴えは、夫にはどうも伝わらないらしい。
いや、伝わらない。
それがわかった。
3年の時を経て。
しかし本質的な問題はそれではなかった。
私たち夫婦は、その当時、話し合いを十分に持てなかったことで「なんであそこで諦めたのか?」という後悔を抱く問題を生じさせてしまったわけだ。こちらが本丸。
教訓はある。
それは、「他に方法がないのか?」「本当に今考えている情報がただしいのか?すべてなのか?」を疑うことだ。
だいぶ昔にTed talkで聞いたプレゼンがある。
ケチャップカップの話だ。
「できない」
と思った時、
「ほんとに?」
と問うことの大切さを主張するものだった。
ケチャップカップは、カップ状だと小さいけど広げると大きな丸になる。
畳まれている部分を、「できない」と畳んでおくのでなく、「できる方法があるのではないか?」と押し広げていくことが大事だ。
諦めるべきでないものは特に。
子どもの未来。
家族の夢。
簡単に諦めてはいけないことが人生にある。
後悔と残りの人生を暮らすのか、一生懸命やったねと笑いながら過ごすのか。
私たち夫婦は、難しい話合いに「頭が悪くて」負けたわけでも「話す余裕がなくて」負けたわけでもない。
ケチャップカップを広げなかったから負けたのだ。
世の中、難しいことは山ほどある。
それを成し遂げることができる人、諦める人がいる。
夫はわからないけど、私は少なくとも、家族に諦めて後悔させるようなことはしたくない。
だから決めた。
ケチャップカップを広げていこうと。
難しいことを成し遂げる人は、頭もいいかもしれないし、お金も持っていたかもしれないし、人脈もあったかもしれない。
けど、きっと、ケチャップカップを広げてきたんじゃないか?
そう決めたら解決策が浮かぶことが増えてきた。
夫が私の話を聞いてくれるようにもなった。
人は考え方で変わるものだ。
これまでうまくいかないことばかりなのを嘆いていたけど、ケチャップカップを広げる訓練をしていると思えば悪くない。
これからも広げていこうと思う。
未来から遡ってみた今に心残りがないように。