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幼い頃の思い出。ひん曲がった貧相な小菊とわたし。
学校が楽しかったか定かでない。
別に行き渋ったこともなく、誰かにいじめられたりもしていない。
けどなんか晴れない気持ちで通っていた。
すごく、行くのがつまらなかったことがある。
中学生の頃。
鉢に植った小菊を育てていた。
水をあげて成長を見守る。
私の小菊は芽が出るのが遅かった。
出てきても、細くて花も少なくてとても貧相だった。
そして、思いっきりひん曲がって伸びていた。
鉢が整列する場所に、張ってあった仕切りのロープから飛び出していた。
こともあろうに、体育館に行くときにみんなが通る外廊下の横にはみ出た私の貧相な小菊は、ひっきりなしに目に留まった。
ここから出して!
生きるのが辛い!
そう小菊が言っているように見えた。
私はなんだか悲しかったし、綺麗に堂々と咲く友達の小菊がうらやましかった。
そして、私は、その小菊がひん曲がった根性の私を暴かれているようで、恥ずかしかった。
菊が枯れる季節を待ち侘びて、小菊がなくなったとき、安心したような、それもまたいけないことのようなざらりとした感覚があった。
学校に行くのが苦痛ではなくなったけど、事あるごとにその小菊を思い出した。
綺麗に咲けない花。
それは私の人生のなかに、大きな杭のようにどっしりはまっている。
いつかあの小菊を愛せるのかもしれない。
夏が来た。
小学一年生の息子の朝顔を、先生との個人面談の帰りに家に持って帰るようにとお便りが来た。夏休みに観察するためだ。
息子の朝顔は早くから葉が生い茂り、ぐんぐんのびた。
私はとても安堵した。
息子には大きな花を見せてあげて!
なぜかそう祈った。
そして、ついに、最近花が咲いた。
立て続けに一つのツルから。
わあ!
思わず写真に撮って夫にも見せた。
周りの鉢を見て周り、ここは陰だからツルが細いのかな?とか、ここは日が当たりすぎて葉が焼けてるな、とか、観察していた。
ある一つの鉢の前で私は立ち止まって動けなくなってしまった。
みんな、花が咲いたりつぼみができたり、ツルこ行き場がなくてツル同志がぐるぐる巻き付いてるのに、まだ双葉の朝顔だった。
ずっと葉っぱのままなのか、枯れて育て直すことになったのか、わからない。
土を見ると濡れているし、水あげ用のペットボトルも水が少し残っている。
この子はどんな気持ちでこの朝顔にお水をあげているのか。
考えたら胸がつまって苦しくて涙が出そうだった。
先生がこっそり種を追加で植えてくれたらいいのに、なんて思ったりもした。
いつ咲くんだろう。
植物も人も動物も、平等には産まれない。
そんな当たり前のことをいつかは身をもって知ることになる。
それでも、ひとつひとつ、ひとりひとりを私たちは愛していく。
比べると苦しくなる。
相手だけを見れば、愛着を感じて、愛を注ぐことができるかもしれない。
あの、ひん曲がった貧相な小菊をまた思い出している。