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辛かったとき見えているのは影、光の当たる場所を見てみたら…

20代も終わりに近づき同級生が結婚して出産して、と賑やかだったとき、私は暗い気持ちになった。各自家庭が忙しくなり、集まりもなくなった。

30代に入り、結婚はまだか、「周囲は孫が産まれた」と親からプレッシャーをかけられたとき私は、とても暗かった。

誰も私のことなんてわかってくれない、と思ったし、恋もしたくないし、仕事しか居場所がないと思った。仕事ができたら明るい場所に行けるし、私自身も明るくなれると思った。

32歳でひっそり結婚し30代半ばに長男が産まれて、その後コロナ禍でオンライン同窓会が行われるとき周りが2児以上の父や母ばかりで、また私は暗くなってしまった。同窓会は欠席。

あんなに頑張った仕事もせっかく、明るい場所に出られると思いきや、急に階段の踊り場でずっと止まっているような感覚に陥った。

それでもなんとか日々を生き抜いて仕事でも小さな前進を続けて40代が近づき私は2人目の子どもを産んだ。

もう、早い友達は高校生、そうでなくてもティーンエイジャーの子どもがいるというのに赤ちゃんのお世話をする私。

いいのかな?この子が成人したら私は60歳、結婚するとき生きているのかな?

そんなふうに、他の人よりも遅いことやできていないことを中心に考えてしまったら私の人生はずっと暗いままかもしれない。

最近は少し違って世界が見えてきた。

同じ上司を共にする仕事仲間はほぼ同年齢の男性たちだ。私より給与も高いしポジションも上のひとたち。私よりも仕事で成果を出し認められている人たちだ。

彼らが残業して仕事をしたり偉い人とディナーに行きジムで体を鍛えたりする間に、私は、子どもを保育園に迎えに行き宿題の丸つけをして、家中の洗濯物をかき集め、晩ごはんを作っているのだろう。

そうして積み重ねた日々のあれこれ、例えば、心配事のために駆けずり回ったときの祈るような気持ち、子どもたちの笑顔や期間限定の甘えた声、泣き顔を胸に抱いたときに服に伝うじんわりあたたかい涙、先生たちと子どもの成長を語り合う時間、読まれなくなった絵本を片付ける前にひとり懐かしく読み返す時間…

そうした無数の思い出のかけらをいとしく、尊く思える時がやっと来た気がする。

過去の暗かった気持ちはなんだろう?

結婚できないときにも私は自分の好きなことをして、ひとりのときには存分に仕事をして、子育てで仕事が十分にできないときには子育てをしていた。それだけでも幸せなことではないのだろうか?

影の部分ばかりを見て暗くなっていたけど、私にだってちゃんと光は当たってたんじゃないかな?と思う。

子育てしてきた道のりを(まだまだ、先は長いけど)振り返ってみて、子育てにかけてきた気持ちと時間の煌めきにふとした瞬間に気づいて、ひょっとしてこの8年私すごいことしてきたんじゃない?と少し誇りに思えるようになった。

私より何もかも優秀な男性社員たちに引け目を感じる必要なんて、ないんではないか?と。

子育てと仕事は、どちらかがよくどちらかがイマイチに感じられたり、どちらもイマイチに感じられるときがある。

でも、影ばかりが目に入っても光は高くからふり注いでいて光が当たっている部分のあまりの大きさに時間が経ってから気づくこともあるのかもしれない。

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