お疲れワーママ、年末らしいことをやってみた
毎度毎度、お疲れワーママというタイトルをつけるとき情けなく感じる。
「きらきら」は言うまでもなく他にピンとくるものがないので「お疲れワーママ」が手癖のようになっている。たまに「限界ワーママ」になる。
最近は、「ああ、年末だな〜」と感じることがいくつかあるので挙げておく。風情のない年末。
いつかもっと潤いのある年末を過ごしてみたい。
「暮しの手帖」を買いたがる割には特に何もしない典型的主婦は私。
クリスマスグッズを片付ける
我が家は大した装飾はしないのだけど、小さなクリスマスツリーや窓辺に飾る靴下、ちょっとした壁につける飾りなどをしまった。正月飾りがない。いい加減に買った方が良いのだろう(教育的観点から)。
家の中の整理整頓
家の中を片付けるには気持ちの中に少しばかりのゆとりが必要だ。年末は、勢いに任せて片付けができる。ここを逃したらもう次はいつかわからない、と思い手をつける。
以前衣替えで服はスッキリしているので、定期的にたまる物を捨てた。
どれもこれも、本来捨てるべきタイミングに捨てられておらず、当然いつ捨てられても構わないのに捨てられていないものだ。なぜ、私は、役目を終えた物を旅立たせるのを忘れて放置してしまうのか、と絶望してしまう。
片付けといえば以前好きだった、古堅純子先生のYouTube動画は最近あまり見られていない。
生活で活躍の場がなくなったものを捨てることや、使うものを取り出しやすい場所に置き、使わないものを静かな場所に移動させること、そのために家の中の家具やものの配置を見直すにはエネルギーがいる。(粗大ゴミなんて手続きも慣れていないとややこしいし、家電はまた複雑)
そんなエネルギーがなくなってしまった人たちや、エネルギーを取り戻したい人たちを見るのが辛いのかも?
実は私もエネルギーが減っていたんじゃないか?!なんて思う。
友達に会う
ここ最近、うまいこと予定を合わせて久しぶりの友人たちに会えている。とても幸せなことだ。
偶然近くに来てくれた人とランチをしたり、偶然うちの近くの美術館に来てくれた人とランチをしたり、偶然割と近い場所に中間地点的な駅がある人とその駅でランチをしたり…
おい!私、楽しすぎじゃないか?!ってツッコミを自分で入れざるを得ない、友人に頭が上がらない再会だ。昔から私は素晴らしい友人たちに甘えまくって来世では、間違いなく純度の高いボッチになるだろう。
いずれにしても、同じ年頃の友人と日々のあれこれをお話しする時間はプライスレス!である。
良いお年を、を言う相手が好きな人って幸せだなあ、とつくづく思う。
年末らしい家族のご飯
昨年、手巻き寿司を夜ご飯に食べた模様だ。
そんなことはすっかり忘れて今年また「手巻き寿司が食べたいなあ」とのんきに作った。
作ったと言っても、全く手抜き甚だしく、エビフライとか揚げ物を少し揚げて、納豆を混ぜて、冷凍の手巻き寿司セットを解凍して並べただけ。
子どもたちが少しずつ生の魚介が食べられるようになってきているのが要因である。
子どもの成長とともに手が空くことがなかなかない!(小学生、いやうちの子は宿題や持ち物やあれこれフォローが大変。)とぶーぶー文句を言っていたのに思わぬところに成長の証が転がっていた。
年始用に買った、お雑煮の材料を冷凍庫で見るとなぜか「食料を確保した」と安心感に包まれる。お雑煮食べるのは多分親だけだろうが。
ふるさと納税
ちょこまかと美味しそうなものをふるさと納税で注文していたがランダムに届くので忙しなく受け取っている。
母がカニが好きなので毎年送っていたが、ふるさと納税で買って送ることにした。こんなワンダフルなやり方、なぜこれまでずっと気付かなかったのだろう?
noteで今年を振り返る
この時期、頻繁に昨年の記事を見に行ってしまう。
最初の年はほぼ年末に始めて読めたものじゃない記事が多いけれど、2023年に1年やってみてコツを掴んだのか2024年の記事は自分の形のような物ができた気がする。
2025年は何を書こう?
とても楽しみになる。
その前に、今年「また別で記事にしたい」なんて書いて「かくかく詐欺」をやらかしていないかパトロールしたいところである。
あと、好きなnoterさんを巡りたい。
最後はやったことじゃなくてやりたいことになっちゃった。