感性を殺す魔人
子どもの頃、今よりもっと世界の色が鮮明に見えていた気がするのは気のせいだろうか。
もっと、もっと、もっと。
自分の直観を疑わず、好きを表現していた。
感性のままに、行動していた。
ジブリ映画を見るたびに、草原に吹く勢いある風のにおいを感じていたのも、今となっては握りしめることのできない過去の特権だ。
時折、あの頃の感覚が妙に懐かしく鮮明に脳裏によみがえる。
直接的に脳に流れ込んでくる、外界の情報。
すべてが目新しく、そして、特別だった。
子どもの頃の感性というものは、純粋というより、「むきだし」というほうが表現に近いのかもしれない。
むきだしの感性を持てるのは子どもの頃だけだ。「知らない」は子どもの特権だ。その特権は、無限の可能性と挑戦のチャンスを同時に携えている。
大人になればなるほど、特権の効力は失われていく。
絵を描く。
それはとてつもなく自由で、同時に信じる作業だ。
自分のすきを信じる。
自分の「こう描きたい」を信じる。
「誰が何と言おうと、僕には太陽が青く見えた。だから真っ青に塗りつぶしたんだ」
僕はこれを堂々と言えるだろうか。
絵を描くことは信じ続ける作業であり、感性の冒険だ。
もし仮に、時間が子どもの頃のむき出しの感性を奪っていくのだとしたら、その正体はきっと「感性を殺す魔人」だ。
僕はこれからも絵を描き続けるたびに、この魔人と戦うのだろう。
2024.11.12