どうする団塊ジュニア世代 (その十)<前代未聞 自分の考察を考察する>
大人の振り
先日、つけ流していたTVからこんなセリフが聞こえてきました。
こんにちは、
あるいは
こんばんは、
団塊Jr.です。
名前の通り団塊Jr.世代の50歳です。
ここまで読み進めて、
「えっ50歳」
と構える方もいると思いますが、引用させて頂いた『葬送のフリーレン』のハイター同様、心は子供のままです。
多分、ほとんどの大人も同じだと思います。
正直、大人は様々な「であるべき」という呪縛に束縛されて、自分らしく生きるということが出来なくなってます。
そこでnoteです。
「であるべき」という呪縛を無くしてくれるツールであると感じています。
そんなこんなでnoteを始めて2週間になります。
*自己紹介と始めた理由はこちら。
noteは自分の思考の整理に最適と始めたのですが、気の向くままに書き続けていくうちに、整理どころが収集がつかなくなってしまいました。
なので一旦、「棚卸」します。
前代未聞の自分の文章の考察です。
いわゆる考察の考察になるわけですが、それもnoteの自由度の高さだと理解し、自由に進めて行きたいと思います。
団塊世代の由来がテーマ
これは、あくまで個人的な推察です。
しかしながら私の親世代(団塊世代)は、何かに洗脳された様に、同じ方向を向き、同じ生活様式を目指し、それだけの為に我武者らに生きてきた様な気がしてなりません。
その程度は「果たして自分の意思だったのか」と勘繰ってしまう程であり、仮に尋ねたとしてとしても、多分「そういう時代だったから」と片付けられてしまうのか関の山です。
しかし、その疑問を解決しなければ、団塊世代の子供達はいつまでも、団塊世代の子供であり、かつて三種の神器と呼ばれた「テレビ」「冷蔵庫」「洗濯機」と同じ「同じ生活様式」の必須アイテムとして生きていくことになるのです。
なので「そういう時代」とはどんな時代だったのか?というテーマで、今まで書き進めてきました。
しかし今となっては、「相当渋いテーマ」だったと反省しております。
脱線しすぎて自分も迷子に
こんな感じで書き始めたのですが、あっちこっちに話が飛ぶ割には、別に伏線があるわけでは無く、仕事でこんな文章を部下が提出してきたら「意味がわからない」と突っ返しているレベルの出来の悪さです。
「歴史」や「ガンダム」等を引用していますが、それには特に深い意味が無く、書きたくて書いているレベルなので、典型的な内輪ネタになってしまってます。
急に小説風(GHQ編)になる場面もありますが、これもなんとなく書きたいから書いているだけのことなので、特に深い意味はありません。
はるか昔の奇妙な漫画で「無駄無駄無駄無駄無駄・・・」というセリフがあったのですが、そんな感じです(このくだりも無駄)。
結局何なん?
脱線した無駄な部分を割愛すると、こんな内容になります。
ということで「自分の考察の考察」が終わりました。
次回は総司令官が日本政府に突きつけたお題の考察を致します。
このうち③封建制廃止について、MSK25最年少のシロータが挑みます。
結局、小芝居風の物語は個人的に好きなので続行します。
<続く>
次の回はこちら