安楽死について
大学の課題で、安楽死について調べる機会があったのでちょっとだけ語ります。こんな時、あなたならどのような選択をしますか。あなたの家族が重大な病にかかり、現在、人工呼吸により延命治療が続いているが、毎日見ていられないほど苦しそうです。寝たきりで会話もできない状態です。治療に終わりは見えません。命の終わりは誰が決めるのか、について考えたことはありますか。今まで、私たちの命の終わりは「自然」に訪れるものでした。しかし、医療技術が急激に発展している現在、私たちの命の終わりには「倫理」が組み込まれ始めています。1950年代に人口呼吸器が使われるようになると、自発呼吸ができなくなっても、機械の力を借りて、心臓を動かし続けることができるようになりました。さらに、心肺蘇生、昇圧剤の投与、栄養チューブなどによって「自然」であれば失われていたはずの命をつなぎとめられるようになってしまったのです。
日本では積極的安楽死や自死介助は認められていないものの、延命治療を中止した結果死期が早まる、治療中止という名の「消極的安楽死」は日本でも認められています。この、消極的安楽死を行うことのできる条件は以下の通りです。
① 患者に耐え難い肉体的苦痛がある。②死が避けられず切迫している。③肉体的苦痛を除去・緩和するための代替手段がない。④患者の明らかな意志の明示がある場合。以上の四つの点を用いて、安楽死が容認されるべきかが判断されます。しかし、この曖昧な判断基準がゆえに、安楽死が行われるたびに、多くの議論が生じることとなっています。
議論をよんだ例として、安楽死における条件が関与した事件を1つ紹介します。それは東海大事件横浜地裁判決です。これは、医師が被告となった日本初の安楽死裁判となりました。1991年、青年医師が患者を安楽死させた事件。患者は当時多発性骨髄腫の末期で昏睡状態にありました。医師は患者の長男の要請で治療停止を実施し、その後も苦しむ患者に薬物を投与して死なせました。患者本人の安楽死に対する意思表明がなく、昏睡状態であったために患者が苦痛を感じているかの判断がつかず有罪となりました。(殺人罪、懲役二年、執行猶予二年)
法律で安楽死ができない場合、患者が代金を支払い、非合法の安楽死団体を頼るケースもあります。しかし私は、患者が病の苦しみから逃れるために自ら命を絶とうとすること自体は悪いことだとは思いません。チューブにつながれたまま眠ったままの患者は生きているといえますか。病床で苦しみ続ける患者を、親族は見ていられますか。延命治療が行われることで、患者の家族は長い間、複雑な気持ちを抱え続けることとなります。しかし私は、安楽死に賛成すると自信をもって宣言することはできません。そこには患者の親族や医師など様々な人が関与し、多くの責任が伴うからです。