飲み込まれたのは
美しい場所だった。
東京とほぼ変わらない暑さではあったけど、風が吹けば心地よく、日陰はそれなりに涼しい。
色彩が美しかった。7月の終わり、空も芝生もビビッドカラー。夏休みの色をしていた。
山へ行った。
駐車場から山の中へと足を踏み入れるにつれて、身体が力を取り戻す。上も下も横も、澄んだ何かに囲まれる。頭と体から、重さを消し去ってどこかに運んでゆく。
透き通った水を見た。どこまでも透き通っているのに、青く輝いていた。
水面に木々が反射して鏡のよう。だけど水底が見える。ある。宇宙みたいだね、と言われてその感性に驚く。
ああ、本当だ。まるで下の世界と上の世界を繋いでいるみたいだ。どちらが上でどちらが下か。二つの世界世界は遠く、そして近い。ここに飛び込んだら、どこへ向かうのだろう。 外の世界と内の世界。どちらが外でどちらが内か。
地面の下にも世界はあって、大いなる力の塊が蠢いている。時折地上に姿を現し、私たちはくらうんだ。ただ、くらうことしかできないんだ。
吸い込まれてしまいそうになって、あわてて自分を現実に連れ戻す。
今度は水色と呼ぶのに相応しい青さを湛えた池に出会う。
こっちの水色の方が好きかも〜。とはしゃぐ人。その池は透き通っているけど、少し深いところは水色に見える。
手前の浅瀬にたゆたう細長い何か。魚が太陽に照らされて影が底に映っていた。
実物の数倍大きな影。
透明なみずいろの、流れの緩やかな水の中で、目を凝らせばようやくとらえられる姿形。
自然だ、と思う。
自然が見せてくれるのはいつだってその影。影だけで私たちを癒し、圧倒し、威嚇する。
あなたの本当の姿を、いつか捉えることができるのかな。
土と木で作られた素朴な階段を登っていく。傾斜のある滑りやすい土。
いつも前ももばっか使うから太ももの裏を意識して使ってみる。ちょっと疲れてきたから、傾斜を利用してふくらはぎを伸ばそうとしながら歩く。うまくいかんね。
都会は平らだ。平地だから繁栄した。
でも平たいと、どうしても使わない部位がある。本当はすごく力持ちなんだよ。わかってるのに、つい忘れてしまう。
全部の筋肉を、きちんと使ってあげたいのにな。
緑が光る。枝がトンネルをつくっている。
青い透明な風が吹き。全身をつつむ。私は貴方が好きだ、と心から思う。
ブナの原生林は、清らかな空間の中で、静かにそこにあった。ずっと前と同じように。
私は貴方に会いに来るためにここに来ました。
三者三様のメンバーみんながみんなこの地に惹かれていること。私たちが、こんなにも貴方に心動かされていること。
導かれている、と思った。
人間が謳うスピリチュアルは胡散臭いけど、貴方にならすぐにでもひれ伏しそうだった。
川を見つけた。細かな霧が太陽に照らされて白く光る。
川の水に手をつける。つんめたい。思ってた倍冷たい。心地いい。
石をつたってもっと奥まで行きたかったけど、土が崩れてしまいそうで、清流に土砂を混ぜてしまいそうでやめた。罪をずっと犯し続けているから、せめて今だけは新たに重ねないでおく。
私たちが手を触れたところのすぐ下に、石か何かがあったみたいで水飛沫がとんで、白かった。龍がいる、と思った。
いやそんなものはいないんだけど、いたんだ。
世界は美しい。
「適応する価値のある世界か」いつもの疑問が頭に浮かぶ隙もないままに、吸い込まれ、飲み込まれてしまった。
美しい世界はあった。
私を縛るものは全て中央線に置いてきた。
客観的に私の価値を、能力を計るものがない場所でのみ私の生は輝くのだろうか。それならいっそ、ずっとここで。