父との別れ

この夏、父が亡くなった。
癌と宣告され、たった2ヶ月後のことだった。

夏のはじめ、実家から午前6時前のFacetime。こんな早朝のFacetime。嫌な予感。その日は夫の誕生日だったので、もしかしたらお祝いのメッセージかも、とコールを取る前のわずかな時間で抱く期待。でもそんな期待はすぐに崩れ去った。Facetimeに映る父と母。胃癌ステージⅣ、転移あり。手術はできない。抗癌剤治療をし、うまくいけば平均値の余命は18ヶ月とのこと。

どんな気持ちで聞いていたか、あまり思い出せない。もちろんショックだったと思うし、癌家系だから、と妙に納得し、今がその時期か、と思ったような気もする。

本人は抗癌剤治療に懸けており、治療スタートの日まで、いつもどおりの生活を送り、帰省したり、テニスをしたり、ライフワークの畑仕事をして過ごしていた。

だが、抗癌剤治療をスタートする直前から急激に体調が悪くなり、緊急入院。抗癌剤治療はもうできず、ホスピスか在宅ケアを迫られる。本人、家族の希望により、在宅ケアを選択した。ケアマネ、介護ベッド、介護認定、昨日まで自分とは全く関係のなかった世界の言葉が次々と飛び交う。そして在宅ケアに入ってわずか数日で旅立った。すべてがあっという間で夢の中にいるような日々だった。

在宅ケアに入る前、病室で、父にこう言われていた。

「よく見ておけ」と。

そして実際に死を迎える過程、瞬間を見届けた。魂が肉体を静かに離れていく。死は特別なものでなく、ごく日常の出来事なのだと身をもって見せてくれた父。

大好きな父の死を受け入れるのに、もっとジタバタしたり、嘆き悲しむ日々を送るのだろうと思っていた。ところが、自分でも意外なほどすんなりと死を受け入れている。

父は、畑に種を蒔くだけでなく、私たち家族、親族、友人、隣人にたくさんの種を蒔き、亡くなった今もそれらが芽吹き続けている。死によってすべてが終わる、分断されると思っていたものが、緩やかに世界がつながっていると感じるのだ。肉体はこの世にはなく、話すこともできないけど、このつながりが私を安心させているのだろうか。

これから受け止め方が変化していくかもしれない。
でも今は、清々しく、そして感謝の気持ちに満ちている。

ありがとう、お父さん。これからもよろしくね。



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