偶然性に帰責したくなるような寂しいお別れ
大学生になってから、ほんの一度だけ話したことのある人の数の多さに驚く。
友達の紹介や授業でのディスカッション、なんとなく参加してみたよくわからない会合。
こういう場で出会った、多分もう会わない人たち。話すと結構盛り上がったりして、仲良くなれそうだと思った人も多かったかもしれない。だけど特に仲の深まることはなかった人たち。
人との出会いって、ちょっとした選択や思い付き、幸運や不運の産物だと思う。
深く関わるかもしれなかったけれど、結局は深く関わることのなかった数多の人間に思いを寄せては、人との出会いの偶然性に心を痛めてしまう。
それはそれとして、そこまで悲観的になる話でもないのかもしれない、とも思ってみる。
ほんの偶然の連続で出会うことのできた人たちもたくさんいたに違いない。
あるいは、出会いの偶然性に少しでも逆らわんと、意図的に、作為的に、計画的に繋ぎとめた仲だってあったはずだ。
“You never know what hand you’re gonna get dealt next. You learn to take life as it comes at you.”
(次にどんなカードが配られるかは分からない。ただ、その人生を生きるだけ。)
『タイタニック』で、ジャック・ドーソンの語った忘れられないセリフの一節。
人生のあらゆる局面で支えにしてきた。
3月末、門出の季節。
当分会えなくなる人たちが多くて、かなり寂しい。
meet me at the clock!
運命的な人生に対する些細な考え。
あるいは、今年最初で最後の感傷的な文章(のつもり)。