東大現代文2020年度第四問と1996年度第五問 東大現代文を統一的に読む~東大現代文の3つの思想「無意識・非個人性・超日常」 第3回
東大現代文を統一的に読む~東大現代文の3つの思想「無意識・非個人性・超日常」 第3回 2020年度第四問と1996年度第五問
(本稿は、2022年10月8日に「Amebaブログ」で発表したものです。)
2020年度第四問と1996年度第五問~24年の時を経て、同じ内容の2問が出題されたことの意味
1.2020年度第四問 無意識という問題圏 非個人性、超日常、根源とのつながり
2020年度第四問では、驚くべきことに1996年度第五問とほぼ同じ趣旨と言えるような出題がされました。音楽家にとっての音、詩人にとっての言葉というものがおのずと、意識しないうちに自分の中にわき上がってくるものであるという内容です。芸術家の創造はいわば「創造しようという意識や意志とは別のところからやってくる」というテーマが24年の時を経て繰り返されたということになるのです。
このように同じ内容の文章が二度出題されたということは、まさにこうした内容こそを、東大が受験生に考えてほしいと望んでいることを表してはいないでしょうか。
本稿の第2回で取り組んだ2008年度第四問は、演劇という芸術についての文章でした。そこでは、役者が表現するべき感情や感情の高まりは、意識的に思い描いて生み出すものではなく、役柄を全身で演じ、演じ切ることで生まれて来るものでした。こうした点からいえば、東大現代文は「芸術における無意識的創造」というテーマを「高等学校段階までの」学びにおいて重要なものとして考えていると思われます。
そうであれば、1996年度第五問と2020年度第四問とに書かれた内容を辿れば、さらに東大現代文思想の深みに入っていくことができるのではないでしょうか。この内容こそが東大現代文のひとつの基本的な思想の骨格として、他の問題のなによりの参照先となるのではないでしょうか。先に述べたように、東大が受験生に、基本となる考え方として、是非とも読んでもらいたいと望む内容なのです。そこで、この両問題の内容を具体的に見ていきましょう。
★2020年度第四問 無意識が走り始めるとき
まず、2020年第四問から読んでいきます。谷川俊太郎『詩を考える 言葉が生まれる現場』(詩の森文庫、思潮社、2006年)からの出題です。詩人の谷川俊太郎氏が、「あなたが何を考えているのか知りたい」と、編集者から「文章」の依頼を受ける、そうして書かれたのが本問の文章です。しかし、こうした文章を書くことに谷川氏はとまどいを感じます。氏にとっての詩や子どもの絵本のための言葉のような「作品」を書くことと、「文章」を書くこととの間には、「私にとっては相当な距離がある」と述べられます。その創作過程のありように大きな隔たりがあると感じられています。では、谷川氏にとって、作品はどのように出来上がっていくのでしょうか。
〔引用文〕
作品をつくっているとき、私はある程度まで私自身から自由であるような気がする。自分についての反省は、作品をつくっている段階では、いわば下層に沈殿していて、よかれあしかれ私は自分を濾過して生成してきたある公的なものにかかわっている。私はそこでは自分を私的と感じることはなくて、むしろ自分を無名とすら考えていることができるのであって、そこに私にとって第一義的な言語世界が立ち現れてくると言ってもいいであろう。
谷川氏にとって作品の言葉、第一義的な言語世界の立ち現れとは、何よりも、「ある公的なもの」が、自動的に生成してくるものだということです。作品というものは、「自分についての反省」、いわば意識を働かせて作られるものではなく、意識しないうちに、無意識的に生成してくるものとして述べられています。私的な個人性はそのとき退いています。意識せずにいわば自動機械のような状態で作品は出来上がってくるのですね。そして、そのとき私は、「無名」の存在、いわばもはやそれまでの私、あるいは日頃の自分から自由で、私というなにか囚われたような状態でないというニュアンスが読み取れます。
このように作品創造のプロセスは、「無意識的」、「非個人的」、「非日常的」な状態で進む、と私たちなりに言いかえることができるでしょう。
こうした創造プロセスをここで、「芸術は、無意識が走り始めるときに創造される」と定式化しておきます。軽いキャッチフレーズのように響くかもしれませんが、あるひとりの作家が、まさに無意識が走り始めたかのような文体で作品の創造体験について書いた感動的なエッセイを2001年に東大は出題しています。のちにその問題を扱う時まで、この定式を幾度か使ってみたいと思います。続けて谷川氏は書きます。
〔引用文〕
作品において無名であることが許されると感じる私の感じかたの奥には、詩人とは自己を超えた何ものかに声をかす存在であるという、いわば媒介者としての詩人の姿が影を落としているかもしれないが、そういう考え方が先行したのではなく、言語を扱う過程で自然にそういう状態になってきたのだということが、私の場合には言える。
真の媒介者となるためには、その言語を話す民族の経験の総体を自己のうちにとりこみ、なおかつその自己の一端がある超越者(それは神に限らないと思う。もしかすると人類の未来そのものかもしれない)に向かって予見的に開かれていることが必要で、私はそういう存在からほど遠いが作品をつくっているときの自分の発語の根が、こういう文章だけではとらえきれないアモルフな自己の根源性(オリジナリティ)に根ざしているということは言えて、そこで私が最も深く他者と結ばれていると私は信じざるを得ないのだ。
作品創造の無意識的プロセスは、日常的な明確な個人性や自己という形をもたない自己の根源性という、日常を超えているような世界につながっていると書かれています。谷川氏は作品の創造過程を通じて、根源性のレベルを見出しているんですね。そして作品の創造世界においては、「最も深く他者と結ばれていると私は信じざるを得ない」。
では、「文章」を書くときにはどうでしょうか。「作品を書くときには、ほとんど盲目的に信じている自己の発語の根を、文章を書くとき私は見失う。作品を書くとき、私は他者にむしろ非論理的な深みで賭けざるを得ないが、文章を書くときには自分と他者を結ぶ論理を計算ずくでつかまなければならない」。谷川氏にとって文章を書くということには、「計算ずく」といういわば「意識的」な作為が入り込まざるをえないものなのです。
では、谷川氏において、こうした発語の根にある根源性とはどういうものなのでしょうか。
〔引用文〕
どんなに冷静にことばを綴っていても、作品をつくっている私の中には、何かしら呪術的な力が働いているように思う。インスピレーションというようなことばで呼ぶと、何か上のほうからひどく気まぐれに、しかも瞬間的に働く力のように受けとられるかもしれないが、この力は何と呼ぼうと、むしろ下のほうから持続的に私をとらえる。それは日本語という言語共同体の中に内在している力であり、私の根源性はそこに含まれていて、それが私の発語の根の土壌となっているのだ。
ここでの「日本語という言語共同体の中に内在している力」こそが、先に「自分を濾過して生成してきたある公的なもの」と言われていたものでしょう。この力の働きが創造を支える。
芸術作品の創造は、芸術家の中に、無意識のうちにわき上がってくるものにかかわっており(無意識性)、そこでは日常的個人性というものは芸術家自身にも感じられず、このことは、芸術家にとって、いわば制約され、限定され、閉じこめられているかのような自己という個的な存在のありようからの解放であると言えるでしょう(非個人性・非日常性)。無意識、非個人性、非日常性というものが三位一体のように結びついています。そして、こうした創造は何らかの根源的なものとの結びつきを有しています(根源性)。
2.1996年度第五問における「無意識・非個人性・非(超)日常性・根源性」
では続けて1996年第五問を見てみましょう。三善晃「指の骨に宿る人間の記憶」というエッセイからの出題です。右手の状態が悪くなって、ピアノが弾けない現代音楽家が、ただ鍵盤のうえに指をおいて触れます。
〔引用文〕
しかし、そうすると、ピアノの音が指の骨を伝って聴こえてくる。もちろん、物理的な音が出るわけではない。だが、それはまぎれもなくピアノの音、というよりもピアノの声であり、私の百兆の細胞は、指先を通してピアノの歌に共振する。こうして、例えばバッハを”弾く“すると、子どものとき習い覚えたバッハの曲は、誰が弾くのでもない、大気がずっと歌い続けてきている韻律のように”聴こえて“くる。
音が意識しなくても聴こえてくる、ということを語られています。「指の骨を伝わって」、すなわち、頭の中で音を出していこうという意識なしに、指=身体=無意識の動きの中で音が響き始める様が描かれます。ここでは、音楽の「創造」とまでは言えないのかもしれませんが、2020年度第四問のときと同じく、私たちが定式化したような、「無意識が走り始める」とき、創造に似たなにか新しい音が音楽家の中に生まれるということは言えるのではないでしょうか。さらに引用してみましょう。
〔引用文〕
骨の記憶のようなものなのだろう。それは日常の意識や欲求とは違って、むしろ私とはかかわりなく自律的に作動するイメージである。多分、子どものときから腕や指先に蓄積された運動イメージが、鍵盤の手触りに条件反射して聴覚イメージを喚起する、ということなのだろう。だが、そうして私に響いてくる韻律は、私の指の運動を超えている。それは私の指が弾くバッハではなく、また、かつて聴いた誰かの演奏というのでもない。バッハの曲ではあるが、そのバッハも韻律のなかに溶解してしまっている。
先に谷川氏の文章について、「自動機械のように」という表現を私は使いましたが、この三善氏の文章では、まさに自分の中に音がおのずと聴こえてくることが「自律的に作動するイメージ」と言われています。①こうして「私に響いてくる韻律は私の指の運動を超えている」。「蓄積された運動イメージ」、「条件反射」などの言葉からすると、音楽家にとっては指の運動自体が元々意識を超える無意識的なものなのでしょう。それゆえ、あらためて「私の指の運動を超えている」と書かれているということは、ここで聴こえてくる音は、無意識的領域のさらに深まった部分から聴こえてくるものと言ってよいと思います。
さらに、②それは「私とはかかわりなく」なのであり(非個人的領域で起こること、すなわち、谷川氏でいえば「自分を無名とすら考えていることができる」領域)。③また、それは「日常の意識や欲求とは違」う、非日常性の領域での出来事です。ここに本問においても、「無意識・非個人性・非日常性」という三位一体がそろうのを見ることができました。
この後、「日常の時空を読み取る五感と意識の領域でなら、私は絶えず「自分」と出会っている」と述べられ、三善氏にとっての「日常」が語られます。では、そこでの「自分」とは何なのでしょうか。
〔引用文〕
私は、私が他者の中に生き、私の言葉が他者のためにしかなく、私の仕草が他者にしか見えないことを「身分け」ている〔注:身体で理解すること〕。[……]私は自分では決してなることができない他者の鏡を借りて、絶えず自分を見続けていることも、私は「身分け」ている。そのような生き方をどのように「言分け」ても〔注:言葉で理解すること〕、その「言分け」は「身分け」られる生き方を超えることはできない。[……]それでもなお私は、その「身分け」を「言分け」し続けなければならない。
日常において三善氏は、「自分」というものは、他者の中で生きることで自分を見失っていく存在としてしかありえないと感じており、そうした形でしか自分を捉えることができないのです(すぐ後の第7段落に、「だから私は、自分との出会いのなかに、自分を見失い続けてきた」とあります)。
身体によって理解している事柄をあらためて言葉によって理解するというあり方で日常を生きているが、言葉は、身体が理解している事柄以上のことを可能にするわけではないと言われます。それでも筆者は「言分け」し続けなければならない。いわば自己は言葉に捉えられ、言葉によって考え、感じることを強いられた存在としてあり続ける、このような制約されたありようが三善氏にとっての日常として書かれます。
しかし、筆者の指が、「私の内部で私にだけ響かせるものは、他者を介在させることなく私を凝視(みつ)める「自分という他者の声なのだ」と、三善氏は指の体験に戻ります。
〔引用文〕
私のなかに、「分け」ようとする私と絶縁した私がいる。それは私の指の骨にも宿っている〈人間の記憶〉でもあるだろうか。
私が音を書こうとするのは、その人間の記憶のためであり、また、その記憶に操られてのことなのかもしれない。
「『分け』ようとする私と絶縁した私」、言いかえると、指が「私の内部で私にだけ響かせるもの」によって日常的あり方とは別の世界を知った三善氏は、〈人間の記憶〉といういわば「根源的なもの」を見出すに至ります。ここで2020年第四問の谷川氏と同じく、「無意識・非個人性・非日常性」がひとつの「根源性」と結びついてゆく。日常的個人性や意識を超えたレベルで根源と結びついていく。自己の中の音の自動的生成という過程を通じて、〈人間の記憶〉という根源的なものを三善氏は見出したのです。
〈人間の記憶〉とは、どういうものでしょうか。なにか人間にかかわる根源的なもので、しかし、具体的には知られないものでしょう。日常的には知られるものではない。
それは、三善氏にとっては、無意識を通じて、個人という限定されたあり様を超えるようなときに、いつのまにか自分の中に聴こえてくる、わいてくるような音をとおして垣間見られるようなものなのかもしれません。
こうして2020年度第四問と1996年度第五問というふたつの問題から東大現代文の思想のひとつの骨格を取り出しました。私たちなりにまとめると、芸術は、無意識が走り始めるときに生まれ、これに伴って普段の日常的な「私」というものが無名化し(非個人性)、おのずと日常とは異なった、日常を超えた存在になり、また日常を超えた、作品創造を可能にする根源的なものの世界を見出して、感じることになる(非・超日常性、根源性とのつながり)ということになります。
(ひとつ谷川氏と三善氏との相違点を言えば、谷川氏においては根源的なレベルにおいて他者と最も深く結びつくとされていたのに対し、三善氏は今を生きる他者との結びつきというものを重んじてはいないということです。)
同じ内容と言っていいような文章が24年の時を隔てて出題されました。このことは、この「内容」が東大にとって、大学入学前に受験生に考え、感じてもらいたい大きなテーマとして存在しているということを意味しているでしょう。
この「内容」がまさに「変奏」という形で、ある作家によって書かれた文章を次に読みます。2001年度第一問です。大変難しい設問がありますが、この文章が、1996年度第五問と2020年度第四問の変奏だと気づけば、一気に視界が広がるという、この上なく味わい深い仕掛けのある文章です。次回に読んでいきます。
3.2015年度第四問 芸術論でない、「無意識と根源とのつながり」
ここで、一題、芸術を論じたものではないですが、「無意識的なものと根源的なものとのつながり」ということを感じさせられる問題に触れておこうと思います。2015年度第四問、藤原新也「ある風来猫の短い生涯について」というエッセイからの出題です。
藤原氏は一匹の野良猫を保護します。日頃、藤原氏は山中の筆者の家近くの野良猫について、「自然に一体化したかたちで彼らの世界で自立している」と思い、餌やりがかえって、野良猫の生き方のシステムを歪めると考えて、餌やりや保護をしていなかったのです。ところが縁あって一匹の猫を保護してしまう。体の状態はひどく、腐ったような臭いもする。「私は再びへまをした。死ぬべき猫を生かしてしまったのだ」。そしてこの猫について藤原氏がつぎのように述べるくだりがあります。
〔引用文〕
私が病気の猫を飼いつづけたのは他人が思うような自分に慈悲心があるからではなく、その猫の存在によって人間であるなら誰の中にも眠っている慈悲の気持ちが引き出されたからである。つまり逆に考えればその猫は自らが病むという犠牲を払って、他者に慈悲の心を与えてくれたということだ。
筆者は慈悲心があり、自発的に猫を保護したのでしょうか。ちがう、と藤原氏は言います。病んだ猫の姿が、藤原氏をいわばその「意識の外」から駆り立てた。そして「人間であるなら誰の中にも眠っている慈悲の気持ち」が引き出されたのです。
慈悲の気持ち、言い換えると、慈悲心と言われるものですが、これは、仏や菩薩が生けるものに快を与え、苦を取り除いてあげようとする心です。そういう仏や菩薩につながる心を、藤原氏は不意に持ったのでした。
さらに、ここでひとは、孟子の「惻隠の情」を思い浮かべるかもしれません。小さな子が井戸に落ちそうな状況になっているのを見れば、救おうとするではないか、褒められたいとか、そうしないと非難されるとか、子の家族と親しくなりたいなどと思うなど一切なく、ただ小さいものへの哀れみから救おうとするではないか。こうした、いたたまれなくなるような、可哀そうに思う「惻隠の情」は「仁」という深い徳の端緒になると孟子は語ったのでした(『孟子』(上)岩波文庫、140~141頁)。
あるいは、宣王という中国(斉)の王が、目の前を曳かれていく牛が、これから儀式の犠牲になると知って、たまらなくなり(忍びない心)その牛をを離してやるように命じたという孟子にある逸話を思い起こすかもしれません(同書52~53頁)。こうしたふと感じた忍びない心を、さらに多くの事柄に広げていくことが、また仁につながっていくのでした(同(下)424頁)。
藤原氏の「慈悲心」もけっして惻隠の情や忍びない心とは無縁のものではないでしょう。それは、仁という人の根源に潜在的にあるものへとつながるなにかではないでしょうか。病んだ猫との出会いによって藤原氏の無意識が走り始めたのです。東大現代文においては、ここでも無意識が根源的ななにかとつながっていると言えるのではないでしょうか。
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