三人目の子供
「加賀谷君、お疲れ様! 今日もお見舞い?」
「はい!」
「もうすぐだもんね」
「そうなんです、俺の方が緊張してきちゃって」
「ははは、しっかり支えてあげなさい」
「ありがとうございます、お疲れさまでした」
俺は加賀谷吉平。人口が千人を切りそうな小さな田舎町の役所で働いている。のんびりと生活していたが、最近は忙しい。パートナーである美佐江の妊娠が分かった為だ。妊娠が分かった帰り道、少し寄り道して、星空を眺めながら喜びを分かち合ったのは記憶に新しい。
少し汚れが溜まったすだれが、残暑の光を受け止めているのを横目に、村唯一の産婦人科、木村医院に向かった。ちょっとした山を車で登り、しばらく走ると、かすれたピンク色の建物が見えてくる。だだっ広い駐車場に停めて病院に入った。
ノックをすると中から「入ってください」と聞きなれた声がする。
「おかえりなさい」
「ただいま、美佐江」
お腹を大事そうにさすりながら俺の事をしっかり見つめる。軽いキスを交わして今日の様子を聞く。
「体調はどう?」
「大丈夫よ、ありがとう」
西日が強く入り込んできたので、カーテンを閉じた。
美佐江の出産もあともう少しだ。病院が少し遠い事と初めての出産な事もあり、先生に頼んで入院させてもらっている。
「お仕事、忙しい?」
「大したことないよ。大丈夫。ただ、あの政策が決まってから問い合わせが多いかな」
「そう、大変ね。ちゃんとご飯食べてる? お酒も飲みすぎちゃだめよ?」「分かってる、安心して」
しつこくなりそうなので、美佐江から少し距離を取るため、花瓶を手に取り洗面台に向かった。
「政策の効果はありそう?」
「あの問い合わせの量だと、一定の効果はあるんじゃないかな」
昨今、市が独自に取り決めた少子化対策。その問い合わせで一部の部署は大忙しだ。
「私たちも三人作っちゃう?」
美佐江は冗談交じりにそんなことを言った。
「まずは元気な子を産んでくれ」
水を変えた花瓶を棚に置くと「任せて」と軽い返事が聞こえた。
「そういえば昨日、赤ちゃんの泣き声が聞こえたの。産まれたのかしら?」「そうなのか?おめでたいな」
妻は自分のお腹を撫でながら「早く会いたい」と口にする。
「俺はそろそろ行くよ、まだやる事残ってるんだ」
「分かったわ、気を付けてね」
美佐江に別れを告げて部屋を出た。
「泣き声……ねー?」
次の日も、天気予報が正確に言い当てる暑い日だった。外では相変わらず蝉が自分の寿命に、嘆き悲しんでいる。
仕事が終わり車に乗り込む。もう薄暗くなっているというのに、車の中は日中の暑さを蓄えていた。窓を開け放ちアクセルを踏むと、風が妙に心地よく感じる。今日は病院に行く前にコンビニエンスストアに立ち寄った。
「加賀谷吉平様でお間違えないですか?」
「はい」
サインをして荷物を受け取る。品名には『幼児服』と記されている。たくさん買った記憶があるが、どんな物をカートに入れたかまでは覚えていないが、五人で開けるのが楽しみだ。
昨日も来た病室に入り、部屋に向かう。ノックをして中に入ると体温計を脇に挟み看護師が確認をしていた。
「こんにちは、いつもお世話になっています。どうですか? 子供の様子は」
「母子ともに健康ですよ。出産が楽しみですね」
「ありがとうございます」
看護師が作業を終えて部屋を去っていく。美佐江はニコニコと俺を見ていた。
「何かいい事でもあったのか?」
棚の中に洗濯した着替えを入れながら話す。
「実は今日もね、産声が聞こえたの」
「こんな小さな村なのにそんな頻繁に赤ちゃんが生まれるか?」
「これも政策のおかげよ!」
美佐江は笑顔でそう語るがおかしな話なのだ。子供二人目が医療費や学費が高校卒業まで半額、三人目以降が無料の政策が決まったタイミングと今生まれてくる子供のタイミングは、どう考えても合わないのだ。今、生まれる子供には、政策の有無は関係ないだろう。こんなこと美佐江に説明しても理解してくれないだろうから黙っておくが……。
「次はあなたの番よ」
美佐江は満面の笑みで腹を撫でる。
「今、蹴ったわ!」
嬉しそうな美佐江。これからどんな生活を子供にさせて行けるのか、楽しみでしかたないみたいだ。
俺は病院を出て車に乗り込んだ。
「無事に産んでくれればそれでいい……」
電話が鳴ったのは朝の五時過ぎ。先生が急いで来てくれと焦った声で俺を呼んだ。俺の気分は最高潮に達し、焦る気持ちを抑えて車に向かう。
「気を付けてね」
走って病院に入ると看護師が気付き「こっちです」と誘導してくれた。
「美佐江は? 美佐江に何かあったんですか!? 」
汗を拭いながら先生に問う。
「落ち着いてください。母子ともに今の所問題はありません。もうすぐ生まれますよ」
なんだ…。問題ないのか。ただの陣痛で焦らすなよ。
ただ、美佐江にとっては初めての出産。元気な子を産んでほしいと願う。
それから何時間経っただろうか、途中眠くて寝てしまった。窓の外は暗く、月が輝いている。
「もうこんな時間か、いつまで待たせるつもりなんだ」
立ち上がり、背伸びをした。
相変わらず病院内には、美佐江の苦しみの声が響き渡り、時間だけが過ぎていく。
「はぁ、早くしてくれ……」
分娩室の扉に寄りかかり大きなため息をついた。
それから二時間後、元気な産声が病院中に響き渡った。
しばらくすると、中から担当の先生が出てきて、入るように招かれる。中は祝福の笑顔に満ちていた。美佐江が俺に気付くと笑顔で抱いてる子を見せてきた。
「女の子よ」
「そうか、お疲れ様」
可愛い可愛い女の子。母の腕の中で泣きつかれて眠っている。小さくても確実な呼吸は、新たな命の誕生を物語っていた。
慣れた手つきで抱き上げると、小さな手で俺の指を握った。
先生たちに一時的に子を預け、美佐江は安心感と幸福感を抱きながら休息に入った。
「美佐江さんと赤ちゃんに問題がなければ四日ほどで退院となります」
先生から今後の説明を受け、家に連絡をして一日は美佐江の傍に居る事となった。
それから問題なく四日の期間が経ち、無事に二人とも退院となった。夕方という事を忘れる暑さに美佐江は戸惑っている。
「大丈夫、もうすぐ涼しくなるよ……」
「行こうか」
「はい!」
車に乗り込み、先生方に美佐江は手を振った。
「また忙しくなりそうだ」
「頑張りましょう?」
車を走らせていると、別の方向に向かって居る事に気付いた美佐江は不思議そうに聞いてくる。
「どこに向かってるの?」
「せっかくだし、星でも見に行こうかと思って」
「良いわね、三人で初めてのお出かけね」
納得した美佐江は『美月』を抱きながら、静かに窓の外を眺めている。
二十分程で、あの思い出の場所に到着した。
「ここへ来たのもずいぶん昔の感覚になるわ」
「そうだな」
その後、数時間で辺りは暗くなり、一際目立つ大きな星が輝き出した。
「綺麗ね」
「あぁ」
「三人で幸せな家族になれると良いわね」
満点の空に輝く星々。名前すら知らないが俺たちに感動を与えてくれる。そんな星たちに見守られながら美月を抱き上げる。
「どう? お父さんになった感想は」
そんな事を聞く美佐江の目を見て、しっかりと手を握った。
「幸せだよ。いままでありがとうな美佐江」
「ん? どういたしまして?」
「うるさい……」
帰り道、奇声ともいえる泣き声が車内に響き渡るが運転中の為、手が離せない。
「もうちょっとだから我慢してくれ」
そんな事を呟きながら家に向かった。
車を車庫に入れ、シャッターを閉める。
赤ちゃんを抱えながら、玄関の鍵を開けた。すると、中から二人の子を抱えながら出迎えが来るのが分かった。
「おかえりお兄ちゃん……、それと……、『日菜ちゃん』も」
「ただいま」
日菜を妹に渡す。
「ちゃんと出来た?」
「今回も問題なく」
「ありがとうお兄ちゃん!」
固く抱きしめあう俺たちを、子供は仲のいい両親とでも思っているのかもしれない。
「今回はどんな顔してた?」
「いつもと一緒、不思議そうに……」
「そりゃそうでしょ」
キャッキャと笑いながら、妹は三人の子供たちを連れて部屋に入って行く。
「ご飯にしましょ!!!」
妹は星より眩しい笑顔で俺を手招きした。心のどこかある影は、妹に照らせれる事によって消え失せた。
あとがき
こちらのお話は小説家になろうのサイト内にて掲載した物と同じです。
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