
私の辞書に「信用」とかない
「信用」「信頼」「期待」まぶしいねー
世間で多くの人は、希望的観測の意味でこれらの言葉を使い、その意味で本心から発言している。私はそれがあまり好きではない。なぜなら、自分とは別の生命体に対して100%の確証もないのに「信用」するなんて無意味で無鉄砲であほらしいと思ってしまうからだ。私にとって「期待」とは、言ってみれば数学の期待値のようなものだ。確率が1でない限り、必ず特定の行動をとるなんてありえないし、あてにすることは許されない。ある意味、心から何かしらを信用できる人は幸せだなとも思う。
他者をどう見ているか
結局私の場合、無責任にあてにするのを避けるためにある程度の予測はしてしまっている。
数学に似ている
y=f(x)
yが行動、xが外的要因、f(x)が行動パターン=mbtiとか価値観
解決の代替として、自分なりの捉え方
人間は関数だ
xには、周囲の人から受けた言動も含まれる
xに何を投入するか
yを理想値に近づける
組織においてf(x)を理解し目標達成に近づけるためのxが選べることがリーダー適正
xに何を選べるかが自分の力の見せどころだなとか思ったり