なんでもない日常から幸せを噛み締める
都会から日本海のちいさな島に飛び込んで2週間。
今、自分はすごく幸せだ。
1日1日、自分が生きていることの喜びを噛み締められるようになってきた気がする。
私は今、「大人の島留学」で島根県の離島「海士町」に来ている。来る前はコンビニすらもないと聞いて、果たして自分は暮らしていけるのだろうか?と心配になったりもした。だけど、実際の暮らしは全く違った。もちろんコンビニもなければ、映画館やショッピングセンターのような娯楽施設もない。
でも、都会にないものが、ここにはあった。
毎日の朝は、鳥のさえずりで目が覚める。
通勤の時は、朝日に照らされて煌びやかに光る海の水面を見て、一日のはじまりを感じる。
道で人にすれ違えば、みんなが「おはよう」「こんにちは」って挨拶を交わしてくれる。
ふらっと外に出てみては、涼しく心地よい春の海の風を浴びて、息を大きく吸う。
帰り道は目の前いっぱいに広がる深い緑色の山と田んぼ、それからたまに淡いオレンジ色の空にうっとりしながら、自転車を漕ぐ。
夜にはシェアメイトみんなで食卓を囲みながら、和気あいあいとその日あったできごとを語らう。
言い出したらきりがないくらいだけど、島での生活のどこを切り取っても
純粋に楽しくて、
心が穏やかに満たされて、
晴れやかな気持ちでいられるんだよね。
もちろん悩むことだってあるけど、それを覆うぐらい生き生きと、あたたかく、のどかな暮らしがここの島にはあった。
本当の豊かさってこういうものかもしれない。
そう感じずにはいられなかった。
ここに来て、何も特別なことをしているわけじゃない。なんでもない日常の暮らしの一つ一つが、こんなにも幸せなものだったんだと、噛み締める。
モノで溢れている都会にいた時は、「あれもほしい」「あの人が羨ましい」と、無いものに目を向けては何か物足りたさを感じていた。人も多すぎるし、マンションやビルが立ち並び、何台もの車が立て続けに走り抜ける街を歩くたびに、なぜかどっと疲れに襲われることも。
「私たち、生きているね」
昨日の夜は、手作りのいわしの天ぷらを頬張りながら、シェアメイトのみんなでこんな会話をした。
そう、私たちは生きている。
何気ない目の前の幸せを感じながら、
今、この時を、生きているんだと実感する。
「ないものはない」
これは海士町の合言葉だけど、本当にそうだなって思う。
本当に豊かで大切なものは、普段は見落としがちで、だけど自分の1番近くに既にあるものなんだ。
明日もまた、
明日という一日に転がるちいさな幸せの一つ一つを、噛み締めたい。
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