奥主榮+郡谷奈穂 朗読会「65×25」を見た
奥主榮さんと郡谷奈穂さんによる詩の朗読会を見てきました。9月29日(日)13時45分から約2時間、会場は阿佐ヶ谷の「よるのひるね」です。
「戦争」という大きなテーマに対して、奥主さんはこれまで何度も色々な角度からアプローチをして来ました。思えばT-Theaterの第0回公演から、その要素は必ず、私を含めた参加者の作品へのテーマ設定や選定、オムニバス化していく脚本演出に含まれていました。彼自身による最初の本格的な詩集「日本はいま戦争をしている」(2009年、土曜美術社)から、それらが最もラジカルに表れた詩集「海へ、と」(2013年、同)、そして今回朗読された作品でも、それらは一貫したテーマとして追求されています。
今回第一部で奥主さんが朗読した詩「なしくずしの生」(表題はルイ・フェルディナン・セリーヌの著作から由来)では今回新たな挑戦として、加害者の立場から戦争を描こうとしています。この詩の主人公は、兵士として戦争で歪んでしまった自分を悔恨しながらも、夜な夜な荒廃した街で孤児や娼婦を殺戮する。
覚えてしまった
抑えることのできない欲望
そっと寝床を抜け出し
お楽しみのために いたぶることができる
打ちひしがれた誰かの姿を求めて
街をさまよい始める
(同詩 第17連)
郡谷奈穂(ぐんや なほ)さんは第二部の朗読で、奥主さんのそうした問いかけに対して、自分が平和教育や、戦争を経験した祖母との対話で受けた体験から戦争に対する思いを解きほどいていきました。冷房のある教室で原爆の映画を見たという「教室の中で」の一節。
これは現実
私の鼓動は強く早く動いている
隣の席の子は静かに寝息を立てている
教室の外はカンカン照りの太陽
遠くで重なり合うように
蝉の声が響いていた
(同詩 最終部分)
続く郡谷さんの詩「ひまわりの兵隊」は、花畑に群生するひまわりを兵隊に見立てた詩。自分には非常に興味深かったです。立派に咲く花を「美しい兵隊たち」と呼ぶ一方で、倒れていく花は「黄色い制服の足元で/下を向いて枯れてゆく」。そしてこの兵隊たちは「冬の澄んだ空を見ることはないだろう」。表面は立派な花を兵隊に例えて称えていますが、そうでない花は皮肉な描かれ方をしています。
…フト思ってしまったのは。戦時中にこの詩が検閲に遭ったなら、どんな扱いを受けただろうかと。私としては、これは賛戦詩のふりをした反戦詩だと思える訳ですが、恐らく微妙な引っ掛かり方から当局にダメを出されるだろうな、と思った。
郡谷さんは俳優として修行しながら、阿佐ヶ谷のとある映画館のスタッフもされていて、そこで文章修行もしている。本格的な詩作に取り組んだのは初めてという事でしたが、堂に入ってるというか、こちらから何か言う筋合いには無いなと思わせる、しっかりした作品と朗読でした。
Youtubeには郡谷さんの学生演劇時代の映像もありますが、直近では10月13日にシアター・イメージフォーラムで上演される映画「遠い声」(伊藤高志監督)に出演されています。よろしければ見に行って下さい。
http://www.imageforumfestival.com/2024/
今回は2時間強の長丁場でしたが、二名による掛け合いの朗読や、互いの作品を読むなどの部分を除けば、殆ど演劇的な演出はありませんでした。この辺は今後、T-theaterとして舞台が作られていく過程では作り込まれていくものだと期待しています。
佐川亜紀さんは奥主さんと私の朗読を覚えている、と先日お会いした時に言ってくれました。私はともかく、同じように戦争や差別に憤るものとして、何か相通じるものがあったのではないかと思います。
中東でもウクライナでも戦争は激化する一方です。日本周辺もきな臭い。一庶民として戦争を望む人は一人も居ない。兵役に駆り出されるのも爆撃するのもされるのも嫌です。自国民の不満を軽率に他国・他者のせいだと煽る政治家は、それが招いた歴史的な過ちを認識していないと思います。
* * *
今回の奥主さん郡谷さんの公演は、追ってYoutubeにて鑑賞できるようにします。昨今私が異常に多忙なので多少時間はかかりますが、最悪でも年内にはアップしたいと思いますので、それまで皆さんどうかお待ちください。
2024年10月2日 記 大村浩一