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「オープンポエトリ―の会 第4回」レポート

 2024年7月27日(日)午後3時から4時45分まで、同会を静岡駅西側近くのあざれあ3F・茶室で開催しました。運営委員・窓口は私とさとう三千魚(みちお)さん。今回も前回同様、静岡県詩人会の理事会直後の開催となりました。内容は自作詩を作者本人が朗読後に、参加者相互でソフトな感想を述べ合うというものです。
 作品参加者は8名で私、さとうさん、金指安行会長(作品のみ)、土屋智宏理事長、室 十四彦理事、いいださちこ理事、菅沼美代子さん、たいいりょうさん。

 以下朗読順に、車座の反時計周りに。“”は詩の中からの引用。/は改行。感想は参加者の発言から拾いました。
 土屋さんは『樹よ/お前の聲が耳の奥に聞こえて』。タイトルと同じ2行が詩の中に繰り返し断続的に表れる、そのリズムとうねりがダイナミック。「友人が次々と亡くなってしまうが、そうした不在の者と一緒に生きたいと考えた」と土屋さん。樹木の訴えからは世界中の悲鳴もまた聞こえるようで、最終直前の連で“不在となった者よ/私たちはそうして/生きはじめよう”でプラスに転じる。祈りである、と感じられる詩でした。
 いいださんは『りんご』。普通の密入りりんごが“(果肉が)腐れ腐れと言ってついてくる”とか“濃密な生を掬いあげている”など、説明できない女の怖さを感じさせ、生の内側にある残酷さや戦慄こそが生の実態ではないかと思わせます。観察の鋭さが光る詩で、最終連の、ティーカップの中の皮を“器の底で/赤い蛇が森をすり抜けていった”では、茶から森の香りや音、空気を感じます。
 菅沼さんは『ともだち』。新作は以前と大幅に印象を変え、各所で漢字をひらがなに丁寧に開き、4行・5行と繰り返す連で独特のリズムを生みます。体験が生んだ大自然の詩かと思うと、それが津波の恐怖に繋がっていく展開。逃げる夏のように、世界が移り変わっていく。“ひどく安らかなこころもちを運んでくるのに/ひとつまちがえば はてしもない孤独をつれてくる”。新芽のような繊細さを発揮した詩です。
 たいいさんは『帰還』。弱肉強食の火星の世界から、多様な生命に満ちた世界へと帰還する。抽象画的、あるいは大きな夢の原型を描いた詩とも思えますが、夢こそリアリティの塊であって、それが怖さや一転しての安堵にもつながる。最後の“ポケットには 化石がひとつ 残っていた”は映像として強く記憶に残ります。
 室さんは即興で描いた『氷』。ものをよく観察することで対象に入り込んでいく、室さんの手法がよく発揮された作品です。対象の実体をどう理解するか、触ったり五感を駆使して感じて記述していく事で、対象から自分という存在が逆照射されます。
 さとうさんは『鳥渡から帰った』。東京の写真展から帰ってきた体験を描いた詩。展示した写真について“説明できるものや/説明できないものや//説明したくないものや”と述べる。その後の行には「説明してはいけないものが」が略されているのかもしれませんが、作者は説明しない、削りに削ったと言います。残った空行、読むときの呼吸の間に何かが隠され、託されているのかも知れない。後半は詩人とは名乗らない、透徹した視点をもつ詩人、松下育男さんとの対話の思い出を語り、“その人は笑っていた”と締めくくります。
 私はSNS「Note」に書いた『日詩20240420『別れは』』。“いや何かが寒いから”の一節が読者が悲しくさせる、と評されました。
 金指さんは『鳥の居場所』。“ホーホケ キヨ”と語尾をあげる、生きること歌うことの楽しさを書いた作品です。今回は病み上がりで下田のご自宅まで早退され、大村が代読しました。

 なかなか一般からの参加者がないのが残念ですが、県詩人会の活性化を感じられ、次回が楽しみです。9月に三島(日程調整中)、10月19日には再び静岡市あざれあで開催します。三島は日程が確定し次第また告知します。皆さん、ぜひ一度おいで下さい。

2024/7/30記 大村浩一

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