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第7回「オープンポエトリーの会」(静岡)の報告その3

 12月22日(土)午後3~5時に静岡市あざれあで行った「オープンポエトリーの会」の報告の最終回、3回目です。

 鰯のお店/菅沼美代子

◆このあと推敲改筆されて別の詩誌に出る詩だ、との事で部分引用で紹介します。
 認知症の進む友達と、四季ごとに食事会をしようと考えて、花咲く春に誘った…というストーリーの作品。題材は実話であるとの事で、大切な友人に捧げた詩、利他的な動機で書かれて、ひとの美しい面が拾われた詩である、と評されました。
「のどかな春の 鰯のお店」に友人を誘った…まではよかったのですが、友人はすっかりそれを忘れていて、電話したらタクシーで飛んできたというドタバタ劇。

 そのうちに 私の顔 私の聲 私の名前さえ
 忘れてしまうだろうか

 テーブルの上に置かれた あなたの節々が曲がった
 手がとても冷たいので
 料理が運ばれるまであたため包み込む
(同詩 第4、5連)

 この「聲」に旧漢字を選んだのは、「耳」を含んだ漢字にすることで耳に届けよう、という意図だったとの事です。
 やさしい印象の詩なのですが、人は食べなければ生きていけないし、記憶を失っていく哀しさはどうにもならずに波立つ。そうした気持ちを少しでも詩の世界へ落とし込み作品化していかなければ、次へと進めない、と作者は思ったそうです。

 錦鯉は口を大きく開けて のどかな春の空気を吸った
 山茶花の白い花がポトリと池に落ちて小さな波を立てた

 あなたはふるえる指で小骨を上手に外して
 ほほ笑んだり 美味しい! 美味しいねぇ! と
 満足気に くり返し頷いたりしている
(同詩 第6、7連)

 山茶花(さざんか)は実は第一連の沈丁花と連動しています。この詩は、のどかな春の店の情景と、人のふるまいが交互に、明暗のコントラストをもって描かれている。その揺れ方が、読み手に強い印象を残すのだと思います。
 あと大村は個人的に「手がとても冷たいので…あたため包み込む」とか「ふるえる指で小骨を上手に外して」といった、手の細かい描き方に惹かれました。ふるえる指が意外にも器用に動いていくという矛盾が、生きている事の不思議さ精妙さを逆に描き出す。美術品や模型は微妙なうねりがある方が、却って精密に見えるものです。そんな部分も味わう事が出来る、真面目な佳品と感じました。

 日詩20241110『新しい墓』/大村浩一

◆最後は私の番。ここnoteに書いた近作から一編、取り上げました。

https://note.com/calm_godwit504/n/n9973ac164aeb

 最後の「母に似た人が」から3行で詩になっている、とある方から肯定的に言われて嬉しかったです。逆に、自分ながら整い過ぎている気もする。どこかでもっと、ほころびても良いのではないか、とさとうさんからは言われました。
 あとは文字のタテ組み、ヨコ組みはどうか、といった話題も出ました。私はこの詩を含む自作の多くは、タテでもヨコでも良いと考えていますが、確かに印象は変わります。今回会場でヨコ組みでテキストを配ったのは私と佐々さんでした。佐々さんは凝った文字配列を作るコンクリートポエムも好きだと言っていた。私にもそういう作品が少しあります。入沢康夫さんの詩からの影響かも…。

 以上、第7回のご報告でした。
 次年度の予定はまだ未定です。最近は県詩人会の、理事会のあとの時間を活用して開催してきましたが、次回3月末の理事会は年度末で時間がかかりそうなので、それとは別建てで開催したいと思っています。日程が立ち次第、またご案内しますので、皆様よろしければぜひおいで下さいませ。
ではでは。

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