第7回「オープンポエトリーの会」(静岡)の報告その1
12月22日(土)午後3~5時に静岡市あざれあで行った「オープンポエトリーの会」の報告の初回です。3回に分けて参加者の作品をレポします。
釣り人たちといる/さとう三千魚
朝には
事務所に
忘れていた
年末調整の書類を届けた
帰って
机の前で
ぼんやりしてた
ふと
ゴンチチが聴きたくなり
CDを聴いた
最後の方
16番に
アート・リンゼイが歌っている
なんども聴いたのに
忘れていた
アート・リンゼイは若い頃に聴いた
顔が死んだ義兄に似ている
アレクセイ・リュビモフにも似ている
夜が来て光を分ける *
ただ繰り返し *
反省し *
ただ *
気を紛らわせておくれ *
夕方に
海を見に行った
マリーナ横には
釣り人たちがつどっている
糸を垂れて
おしゃべりしてる
野良も釣り人たちといる
鷺も餌をもらいにくる
青い波が穏やかに揺れている
青い波がいくつも揺れている
*アート・リンゼイの詩「templo」の一部をgoogle翻訳しました
投稿日時:2024年12月9日『浜風文庫』
https://beachwind-lib.net/?p=43477
◆さとうさんは時々、音楽にちなんだ詩を書かれますが、これもそうした詩のひとつです。アート・リンゼイはアメリカのバンクロッカー。「templo」はゴンチチのアルバム『Red Box』に収録、さわりは以下のURLで聞けます。
https://www.sonymusic.co.jp/artist/Gontiti/discography/ESCB-2004?bcRefId=51046110_ESCB-2004_10SFL
アレクセイ・リュビモフはwikiによると1944年生まれのロシアのピアニストで、直近ではウクライナのシルヴェストロフの作品によく取り組み、ロシア当局に睨まれていてコンサートを妨害されたりしているらしい。
釣り人でありパンク好きな、さとうさんの鋭さとゆるやかさが同居している詩です。家の近くの用宗港の辺りには友達も多いようで、自然の中でそうした人たちと適当に過ごす、時のたゆたい方が心地良い。ちなみに年末調整は間に合ったそうです。(笑)
スライス/いいださちこ
たとえば 朝食
スライスされた一枚のバンがある
トーストしたパンに
木製のバターナイフで パンの表面にマーガリンを塗ってみる
するとどうだろう
パンのスライス具合によっては
パンの表面にでこぼこができていて
そこにマーガリンを塗ると ザラついた音とともに
かすり傷を負ったパンの表面にバン屑が現れ
食卓の周辺にパン屑が飛び散ることがある
そうなると ついさっきまでパンであったことを忘れ
テーブルの上に飛び散ったパン屑は
よほとのことがない限り 拾い集めて喰べられることもなく
テーブルの下に零れ落ちたパン屑は
るったなことがない限り 埃のように片付けられてしまう
スライスされた一枚のバン
その美しい表面に静かな痙攣が走る
もしかしたら
スライスされたその時
もうすでに
深手を負っていたのかもしれない
◆いいださんの詩の特徴は、やはり「視点が違う」という点です。話のきっかけが生活体験であっても、それ以外の何かを感じさせるものへ物語を捻っていく。ある意味ヘンな詩なのだけれど、最終連だけ読んでいたら、この詩はもしかしたらパンの事なんか書こうとしていないのでは、とか私は思ってしまう。
スライスされて作られるのは現代人で、決まった形に切られた時点で既に深手を負っている…という隠喩での物語とも読めます。いいださん本人によれば食パンは超熟、それも立方体でなく上辺が膨らんでいるタイプで、少し冷めている状態がベスト(笑)であるそうですが。
第2連の終わりの「よほどのことが…」「めったなことが…」と音節数を揃えたり、対称性をあちこちに持たせて独特のリズムを出している事も特徴です。凹凸の影が鮮明に見える辺り、朝の光の色や斜入射の印象も感じられます。
最終連2行目の「その美しい断面に…」のくだりは、実は本人も「とにかく書いたが、まだ気に入っていない」との事で、今後改訂版が作られるかもしれません。
私を入れてあと4人居ますが、0時を過ぎちゃったので、続きは明日また書きます。…ではでは。
2024/12/22夜 大村浩一・記