【エッセィ】蛙鳴雀躁 No.44
メソポタミア文明とユダヤ教に取り憑かれて半世紀。60年代から70年代にかけて、ハリウッドの洗脳映画ともいえる聖書を題材にした映画が毎年のように上映されていた。
10代の頃、ろくに学校へ通わなかった私は、三本立てを上映するガラ空きの映画館で半日過ごすことがよくあった。いまのように入れ替え制ではないので同じ映画を繰り返し観た。
飽きなかった。
紅海が真っ二つに分かれたり、難病が平癒する奇跡のシーンは、アホらしいと思いつつ、「神の言葉」なるものに強く惹かれた。しかし、教会に通いたいと一度も思わなかった。そこに行けば、悩みが増えると感じていた。
学校と同じで、人間がいるからだ。映画館のように独りでいられない。
なんであれほど熱中できたのか。旧約聖書や新約聖書を買って読んでもワケがワカラン。理解できないからこそ、興味を持ち続けたのかもしれない。
宗教本や中近東の歴史に関する書籍だけは、大人になってからも買いつづけた。
そこに「***の証人」がやってきた。
一人は知人だった。彼女も美人サンだったが、彼女と一緒にやってきた女の子のほうがもっときれいな子だった。赤いハーフコートに同色のベレー帽を被り、薄紫のスカーフを襟元に巻いていた。
白い歯の笑顔が愛らしい。笑うと口尻があがる。
めちゃめちゃ可愛い。そして何より、清潔感があった。
近頃、名前が、スっと思い浮かばないので、Sちゃんとしておく。バスケットボールの選手だっというSちゃんは初対面のとき、20代半ばだった。くりっとした目に、通った鼻筋。長身で西洋人ふうの顔立ちである。なぜか、外国人と見紛う美人と知り合う。つぶらな瞳におちょぼ口の美人とはほぼ知り合わない。
洋画を見すぎたせいなのか、出会った相手が、世間でもてはやされる顔立ちの美人であっても、私の目には、そのように映らないのかもしれない。
宗教団体になんの関心もなかったけれど、彼女が「いっしょに勉強しませんか」と言うので、一週間に一度だったか、彼女がやってくる日をたのしみにするようになった。
その頃には、聖書の内容も、部分的ではあっても、映画で観た場面がどこらあたりに記述してあるのか、そのくらいはわかるようになっていた。
彼女が黄色い宗教本を出し、「神が世界を終わらせる」とひとこと言おうものなら、「どっちみち、あたしは黒い山羊やし、神サンから額に印をつけてもろてへんから、地獄行きはきまってるねん」と言い返す。
話を進めたい彼女は頬を赤くし、口ごもる。私は、これがたのしい。
入門書を終えるのに何ヵ月もかかった。私が話をさえぎるせいである。
時間をかけたおかげで、旧約聖書が年代順に編集されていないことがわかった。紀元前5世紀に、ペルシア帝国の宮廷で宦官として仕えていたエズラなる人物が「エズラ記」を記し、現在の形式に編纂したのだと知った。外典や偽典と呼ばれる書物は、エズラによって除外されたと思われる。百人一首に入らなかった和歌が、人々に詠みつがれることが少ないのと似ている。
日数を経るうちに、不明だった箇所の意味も少しずつ明らかになった。
この頃から、「写字生」という職業に興味をもった。大祭司の家系に生まれたエズラは学者であり、専門の写字生だった。
聖書がなぜ、印刷機のない時代も脈々と受け継がれてきたのか。一言半句、あやまたずに書き写す集団がいたからである。筆写したあと、文字数を数えたという。
彼らは厳しい訓練を受けた。ひと文字の誤りも許されなかった。
中世のイタリアを舞台にした「薔薇の名前」という映画でも、その様子が描かれている。
写字生は男性の集団だった。ユダヤ人に限って言えば、女性は聖なる言葉を書き写す仕事に就けなかった。読み書きに精通するよりも子どもを産むことが奨励された。
アーリア人種のペルシア人はそうではない。ローマ帝国に先立って大帝国を築いたペルシア(現在のイラン)は、さまざまな国から捕虜を連れてきた。気づけば、多民族国家となっていた。ユダヤ人捕虜は、バビロン城外ではあるけれどバビロンとさほど離れていない、かつてシュメル人が居住していた都市に住まわされた。奴隷ではなかった。貴族や地主階級は使用人を取り上げられることすらなかった。旧約聖書では荒地のように書かれているが、地図で見るかぎり、ユーフラテス川にも近く、未開の地ではなかった。この地で、シュメル人の残した文献に目を通したはずである。
ここからが、どの民族も真似できないユダヤ人の生き方に驚かされる。有能なユダヤ人は、国際都市バビロンの宮廷に入るために何をしたか。自ら男性のシンボルを切除して宦官となる者が出現した。読み書きに関心の薄いペルシア人の男性はこれを看過した。なんでやねんと私などは不思議に思うわけですが、何を記述するかもわからん書記官や毒殺される恐れのある献酌官に取り立てている。
初代のダレイオス王は勇猛果敢で、いくさにさいしては自ら先陣をきったが、後継者のクセルクセス王はハーレムで幼少期を過ごしたせいか、華美な女装を好んだ。貴族階級の男性はこれに倣った。その後も軟弱な王がつづき、ペルシアは衰えていきますが、女性は強かった。
国政に口をさしはさむ王母を筆頭に、女性の書記官や伝令官がいたし、王族の女性は浮気もした。
ペルシア人と闘ったギリシア人は、ペルシア人兵士を女のようだと嘲笑した。ギリシアの都市国家スパルタはこれをもっとも嫌った。
日本においても、紫式部や清少納言を生んだ平安時代は女性が高価な紙に物語や和歌を書き記した。当時の貴族は男性も化粧をした。その後、武家政治がはじまる。
歴史に偶然はないと思う。国は異なっても、戦闘能力の高い男性の心中に軟弱な貴族層と、読み書きが堪能で能弁な女性に対する反感が次第に生じていった気がしてならない。
「***の証人」の集会を一度、見学したが、大半が女性なのに発言した人はいなかった。多数の女性と少数の男性の集団の彼らは旧約聖書の戒めを金科玉条のごとく守っている。
婚姻以外の性交渉はもちろんのこと、離婚も余程の事情がないかぎり許されない。キリスト教徒も本来、同じ掟を守らなければならないはずだが、いまどき、そんなことを言えば信者は集まらない。同性愛者の牧師サンさえいる。
新約聖書に描かれる神をどう解釈するかで、なんとでもなるらしい。
***の証人が他の宗派と一線を画するのは、余計な知識をもつという理由で大学教育を推奨しない点だ。学校の柔剣道の授業もダメ。輸血もしてはいけない。もしものときは、***の証人の医師もいるので、血液製剤で間に合せる。
S子ちゃんを拙宅に連れてきた私の知人は妻帯者と恋愛し、離婚した男性と結婚した罪科によって追放されたという。彼女は復帰したがったが、許されなかったと聞く。悔い改めてもアカンらしい。
ワカラン。
S子ちゃんは美貌に生まれたにもかかわらず、いまも処女のまま。まさに清く正しく美しく。最後の審判のあと、千年王国の時代になるので、そのときまで結婚しないと言う。
もったいない。
***の証人に入信した男性は、苦難の俗世にあっても天国の気分を味わえる。男性に従う美人が信者の中になんぼでもいる。よりどりみどりである。
この宗教を思いついた人は、ユダヤ人ではないかと思っている。
紀元前のイスラエルの南北の王国が滅びたのは、自らはけっして戦わない祭司集団が非武装中立を強要したからだと、私は勝手に解釈している。
しかし、結果論として、彼らは勝利した。
祖国は喪っても、王都バビロンにおいて、ユダヤ人は他の部族を押しのけ、宮廷において重きをなすようになった。計数にたけた者たちは両替商(金貸し)となった。シェイクスピアの「ベニス人の商人」の時代のはるか以前から、ユダヤ人は捕囚地において巨万の富を築いた。
ユダヤ人が優秀なのは、貧富を問わず、男子は13歳でバル・ミツバァという儀式があり、旧約聖書の一部を暗唱しなくてはならない。紀元前からユダヤ人の男子は読み書きできた。
エズラは三代目のペルシア王・アルタクセルクセス(アルタシャスタ)の許しを得て、廃墟にひとしい母国に、金持ちの同胞を引き連れて帰還した。表向きは神殿を建てなおすことであったが、実際は、ユダヤ人のテロ集団を諌めるためだったと思われる。しかし彼は、信仰に生きる者としての務めを果たすために「目覚めよ!」と同胞を一喝する。
人種の異なる部族の女性と結婚している者たちに妻子を去らせよと、雨の日の集会で命じた。妻子と別れない者はユダ部族から排除すると宣言した。このとき、異国の男性と結婚した女性への言及はない。問題外だったのだろう。
「エズラ記」を読むと、みなが従ったように読めるが、私はそう思わない。
ダビデもソロモンも異国の女性を後宮に入れている。
なんでやねん! と通常の神経の男子なら、腹を立てたにちがいない。宦官のあんたは、子供がないからそんな酷いことが言えるんやと。
神の子とも言われたエズラは神殿の再建もならず、ユダ部族の純血主義も推進できず、失意のうちにバビロンに帰国し、最晩年まで旧約聖書の編纂に取り組んだと想像する。
米国の現在の国務長官、ブリンケン氏を目にするたびに、エズラも彼のようにイケメンだったのではないか。エズラはけっして表舞台に立たなかったが、王の寵愛を得て、ペルシア帝国の内政に深くかかわった。
現在、イスラエルに居住するユダヤ人は、かつてのユダヤ人の急進派と似ている気がする。復讐の神の信者となっている。
ブリンケン氏とエズラとは、この点でも酷似していると思うのは、私だけか。東奔西走しても、戦いは終わらない。
旧約聖書にしろ、新約聖書にしろ、読むたびに「神の言葉」を記した人びとの執念に圧倒される。神は唯一無二として描かれる世界観は、八百万の神のいる日本人の大半の思考とは相容れない。
Sちゃんが忍耐強く、熱い人だったので、私たちは何十年も付き合うことになった。その結果、私は信仰の道に入らず、誰も読まない小説を書くようになった。いまも知らないことがあれば、彼女に尋ねる。
懇切丁寧に教えてくれる。私はそれを曲解する。
好き勝手に書く。砂漠をイメージするだけでワクワクしてくる。
Sちゃんからメールがきた。タイトル「これから世界で起きること」。
ながながと世界の終わりの兆しが綴られている。
早速、電話をかける。
「聞き飽きてるで。神サンは待たせ過ぎや。ヤルならヤルと、ヤランならヤランとそろそろ決めてもええんとちゃうか?」
「憐れみ深い神は待っておられるの。一人でも多くの人に、正しい道を選択してほしいと願っておられるから――恵子さんにも、千年王国を知ってほしいの」
お互い、トシをとったのに、話す内容は変わっとらん。
本日も、しょうもない話に、お目通しくださりありがとうございます。