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物語の作り方 No.18(最終回)

第9回 ストーリー展開について

 小説や自分史を書きすすめていくうちに、異なるエピソードとエピソードを接続詞一つでつなぐことに、違和感を覚えるようになります。感じないとおっしゃる方が多数派だと思いますが、現在、書いているところまでを一度、読み返してみてください。
 例えが、古臭いですが、双六にも、お休みがありますよね?
 既存の作家は一気呵成に書いているように読めますが、読者の目障りにならないように、エピソードとエピソードの間に、接着剤(つなぎ)となる文章を書いています。

 エピソードをどうやって繋ぐか

 小説や自分史を書く時、その物語を本当らしく思えるようにするためには、話の筋に直接関係するものの、それ自体はいっこうにおもしろくもおかしくもない一連の情報を物語らなくてはなりません。

 なぜか。

 エピソードとエピソードのあいだに一定の時を経過させる必要があり、その場合、書き手は、作品全体の釣り合いをよくするために、作品にかかわる話題や描写を挿入して、エピソードとエピソードの隙間を充たしています。いまは小説用語としてなんと呼ばれているのか知りませんが、こうした箇所を私は、「」と言っていました。

 例文として、浅田次郎氏の「角筈にて」を取り上げます。
 直木賞を受賞した「鉄道員」のほうがよく知られていますが、個人的には、本作のほうが傑作だと思っています。
 
1)……書き出し

 主人公・貫井恭一の左遷による「壮行会」があり、その後、部下に、「角筈」へ誘われる。

東大卒、四十六歳(団塊の世代)、商社勤務、容姿、家族についてや、リオデジャネイロへ旅立つことなどの状況説明。

 物語がはじまってすぐにいつ、どこで、だれが、何をしたかが書かれています。

2)……展開部分①~⑨

①貫井はゴールデン街の酒場を出たところで、三人の部下と別れる。妻への電話 
 寿司が嫌いなことを妻に言わせる(伏線)

②貫井は靖国通りで、自分を探す父のまぼろしを見る。通りを渡り、歌舞伎町のバス亭に出る。若者に話しかける。ホームレスの中に父を探す。

 若者やホームレスと話すことで世相を描写。

③四十年前への回想へ。バス停に近い寿司屋の前での父と恭一の会話。父親は愛人のために息子を捨てようとしているが、息子は、父の気持ちを自分からそらさせないようにと必死である。

*巨人の長嶋選手の話題。

④寿司屋での親子の会話。
 父親はこれまでの苦労を語り、恭一には勉強をし、大会社のサラリーマンになれと言う。商売よりサラリーマンのほうがいいと父に語らせる。(伏線)。恭一は、サラリーマンになれば、子供を捨てなくてもいいのかと心の中で思う。

⑤自分を置き去りにした父を、バス亭で待ち続ける。

 歩道に絵を書くことや、バス亭の前の店の店員とのやりとりで時間経過と時代背景の説明。

 野良猫の群れの描写で主人公の身の上を暗示。

⑥伯父の家に行くために最終のバスに乗る。伯母がバス亭で迎えてくれる。いとこたち(のちの妻)も快く迎えてくれる。「これからうちの子になる」という久美子の言葉に恭一ははじめて涙を見せる。

長嶋選手の話題。

⑦現在にもどる。妻の久美子に父を見たことを話す。そして、子供を堕胎させたことを詫びる。

 久美子の兄・保夫に家具を引き取らせたこと、ダブルベッドを捨てたことなど。過去の回想として語る。伯父の一家が、自分に対して、さまざまな心遣いを見せてくれたことなど。

⑧保夫の家で、最後の一日を過ごす。保夫と恭一の会話。久美子を不幸にしたと詫びる恭一。会話には書かないが、父に捨てられた傷のためだったことをここではじめて作者は書く。

長嶋選手の話題。

⑨会社の部下からの電話。

 貫井をのぞいて、部下は栄転する。そのことを詫びる部下。(クライマックスの手前に、きっかけとなるエピソードを書き入れる)

3)……クライマックス①~⑥

①前任者とのやりとり。これから行こうとするリオの説明。エリートコースからの挫折を強調。クライマックスを描く前に、主人公の人生ものものが失敗であったかのように書かれる。

②フライト前に、タクシーの中で、妻との会話。また、父の姿を見る。

 過去の思い出や父親の容姿を説明。ポマードの匂い(伏線

③タクシーを降り、ひとりで花園神社へ。ポマード匂い。父のまぼろしとの邂逅。

長嶋の話題

④父は恭一を捨てた理由を話す。恭一は捨て子だったから、がんばったと父に訴える。

⑤父は恭一にこれまでのことを詫びて姿を消す。

⑥ 恭一は心のこりなく、これからの人生を妻と生きていこうと思う。(クライマックス)。 主人公はここで長年のわだかまりからようやく解放される。(物語のテーマの具体的表現)

4)……クライマックスの直後にくる物語の結末。
 
 寿司を食べたいと思う。(伏線の回収)。寿司が食べたくなかった理由が明かされたのちの主人公の心理の変化

 主人公は社内の出世競争にやぶれ、やむなくリオへ転任することになるところから物語ははじまります。
 そこから時代の世相を描きながらお話は展開していくわけですが、もうお気づきだと思いますが、※の部分が時間の経過や次のエピソードの予兆となります。物語を展開させるための、つなぎに必要だからです。長嶋選手の話もさりげなく繰り返し出てきます。時代背景の説明なら一度いいのですが、何度も出てきます。

 これらが「橋」です。

 そう言われてもと思われる方が大半だと思います。
 原文を読まれると、ご理解いただけると思うのですが、長嶋選手の話がなくても物語に影響しません。あってもなくてもいいけれど、あるほうが、エピソードとエピソードのつながりがいいと思ってもらえるとよいかと思います。

 物語と株価の描く線と似ています。上昇するとき、右肩あがりにあがっていきます。物語も同じで、ストーリーが後半にむかうほどテンポは早くなります。序破急とは、最初はゆっくり、次第にはやくなり、最後はマックスの速度に。そして、頂点(クライマックス)に達したとき、急降下します。
 絶望であったり、裏切りであったり、喪失であったりします。ここで終われば純文学になります。そこからさざ波のようなテーマとなる文章が現われて、読者の心を救うのが、ハッピーエンド物語です。

 この工程を、ほとんどの物語がたどります。

 NOTEで小説を書くとき、行間を多くとることで、つなぎとなる「橋」の部分が最小限ですむと個人的に感じます。ただし、実際の縦書きの書籍においては、行間は注意深くとられています。あるエピソードから次のエピソードにスムースに移るには、工夫がいります。それが「橋」です。

 ストーリーを思いついた時点で、「橋」となる部分も思いつければいいのですが、大半の方は思いつかない。作家が思いつくままに書くと時おり発言したり、書いていますが、この部分をさしているのではないかと愚考しております。
 作品にとりかかる前に、イメージ訓練をしていただきましたが、この中から、「橋」が見つかることがあるので読み返してください。

課題①自作のどの部分が「橋」なのかを考える。

第10回 原体験をいかに虚構化するか

 浅田次郎氏は、子供の頃、父親に捨てられた体験があるそうです。その体験をもとにして、上記の作品は書かれています。異なる点は、浅田氏は大学を卒業していませんし、大会社のサラリーマンでもありませんでした。ではなぜ、その部分を虚構化したのでしょうか。

 落差を大きくするためです。

 物語は株価に似ていると書きましたが、地位の高い人物が失墜するほうが、読者にとって、興味深いからです。貧しい人が貧乏になるより、金持ちが貧乏になるほうが、世間の人にとっては痛快だからです。浅田氏は人生の機微を知っておられるのでしょう。

 ロシアの文豪・ドストエフスキーは自身と一族の体験を「カラマーゾフの兄弟」で描いています。地主だった彼の父親は農奴に殺害されましたが、犯人を特定できませんでした。しかし彼は、兄弟の一人を父親殺しの真犯人に仕立て、別の一人に濡れぎぬを着せ、無実の罪でシベリアに送られる物語にすることで文豪は自身の家族関係を不朽の名作へと変容させました。
 凡人には不可能なことに思えますが、参考にはなると思います。
 自分史あるいは、私小説における主人公を主人公たらしめるのは、家族をどう見るかにかかっていると言っても過言ではないと思います。
 自身と家族を書くことは自分探しの大冒険ですが、挑戦しがいのあることではないか。この過程を経て、どのような物語も自身が体験したかのように描けるようになると思っています。

 小説を書く上での必須事項ならぬ、愚にもつかない長文を書いてきましたが、今回をもって終了いたします。
 お役に立つとは微塵も思っておりません。小説家になれなかった私が断言するのですから、これほどたしかなことはありません。

 これらの文章のもとになった冊子は初級編で、一年目のゼミ生用です。二年目の学生には中級編があるのですが、おそらく読んだ学生はいなかったと思います。この初級編にしろ、学年のはじめに一、二回説明するだけだったと記憶しています。
 時間が足りなかったのです。
 どんな短い文章でも、提出した学生順に一人ずつ自作品を読み上げてもらい、その場にいる学生一人一人に感想を述べてもらいました。初見で添削し、全員の作品を手直しするのに午後二時四○分からはじまって十一時過ぎまでかかりました。
 警備員の方がなんども来られて、まだ終わらないのかと尋ねられてもやめませんでした。

 なぜ、時間の浪費ともいえる無益なことを長年、つづけたのか。

 それまで出会った知識人と呼ばれる人たちへの屈折した思いがあったからだと思います。いまもそれは変わっていません。
 私が学生に望んだことは、小説家になることではなかった気がしています。
 自分の考えを自分の言葉で述べることを願っていたのだと、今にして思います。

 ここまでお付き合いくださった方に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。また、取り上げさせていただいた作家の皆様の
文章の一部を無断掲載したことは、お詫び申し上げます。

参考文献

大野晋著「日本語練習帳」「日本語の文法を考える」岩波新書刊
「高校生のための文章読本」筑摩書房刊
佐藤信夫著「レトリック感覚」講談社刊
ガルシア・マルケス著「物語の作り方」岩波書店刊


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