【エッセイ】蛙鳴雀躁 No.41
四十年前、彼女が古びたビルの教室に入ってきたとき、掃き溜めに鶴だと思った。
戦後すぐに建てられた三階建で、外観もだが、急な階段は人ひとり通れる狭さだった。
そのビルの一室の借り主は、詩人のK氏で、文章を教えていた。
前年末、はじめて書いた小説を応募した私は、自分が何も知らないことに気づき、習わなくてはならないと思い立った。
月二回午後一時間、通いはじめて三月も経たないうちに私は飽きた。そこでの授業は、参加している全員の作品(原稿用紙二枚のエッセイ)をコピーし、配布される。
本人が読み上げる。十数人いるうちで、感想を述べる人は半数に満たない。主婦ばかりだったせいかもしれない。
先生は何も言わない。
何をどう書くべきかの説明もほぼない。
人に嫌われることに慣れている私が、ろくでもない感想を言うことになる。
先生は毎回、「稲村さん、どう思う」が口癖になっていった。
当然、私は煙たがられる。
先生の隣の席は誰も座らない。気づくと、私の席になっていた。
なんでやねん!
だったら、黙ればいいものを、尖った性格が災いして口を閉じていられない。
四面楚歌になるかと思いきや、終わったあと、一緒にお茶に行く人たちが増えていった。店の片隅で、私に手直ししてくれと言う。
添削という日本語も知らない私は、誰かが持っているハサミを借りて原稿用紙を切り離し、順番を変えた。
足りないと思う箇所は、書き足した。
教室をやめようと思っている矢先に、彼女はやってきた。
その人よりも美しい女性を、肉眼で見たことがなかった。
父親の異なる姉二人は、近所でも評判の美人だと言われていたが、私の目には、ただのオバサンにしか見えなかった。
当時、三十半ばの私より、高身長の女性はめったにいなかった。
彼女は172センチあり、ウェーブのかかった黒髪が肩に波打っていた。弓形の眉は描いたものではない。黒目の大きい二重まぶたの目は、長いまつげに縁取られ、通った鼻筋に形のいい唇。透き通るように白い顔は小さく、細い首の上にのっかっている。
彫りの深い西洋人ふうの顔立ちではない。かといって、日本人形のような顔立ちでもない。
年齢は二十代後半。目、鼻、口とすべてのパーツが、完璧に配置されていた。伏し目がちで翳りのある表情に明るい色のワンピースは似合っていなかったが、白い肌には映えていた。
私は内心で、感嘆の声をあげていた。めちゃめちゃきれいと。
ところがひねくれ者の私は、彼女が自作を読み上げると、例によって、本音を言ってしまう。「こんなどうでもええ話は、書いてもしょうない」と。
とたんに、彼女は美しい顔面を歪めると、「このヒトは、女やない!」と絶叫し、あろうことか泣きだした。
私は、アホかこいつはと思った。せっかくきれいな顔に生まれても、感情をあらわにするタイプはつまらんと。
私自身はそのころ書いた駄文を一作も残していないし、記憶にもない。しかし、酷評した彼女のエッセイはよく覚えている。家族でデパートへ行き、傘を買ったという内容だった。
美貌の下に見え隠れする別の物語を期待していたのだと思う。
次の回、彼女は書いてきた。夫の浮気に気づき、洋服箪笥にかかっている夫のスーツをぜんぶ切り刻んだと。もちろん、私は絶賛した。「こんなふうに書いたらええねん」と。
授業の終わったあと、彼女は、一緒に、お茶をしていいかと言った。頷くと次の回から、彼女は私の隣りの席に座った。
以来、長い付き合いになった。
私が、大学教育を受けていないから、物知らずなのだと嘆くと、「そんなん、いくらでも受けられる」と彼女は言い、自身の出身大学の聴講生になれるように計らってくれた。翌年にはゼミ生にまでなった。
聴講は週二回、四科目、受講した。ゼミ生になってからも続けたので全部で何科目受けたのかも、いまでは覚えていない。
学生でないのは私たち二人のみ。目立つが、彼女は意に介さず、一番前の席にかならず座る。そして、ノートをとる。
私はひたすら居眠っていた。
彼女がノートをとるペンの音が耳障りで時々、目が覚める。
教室の広さによるが、大学の椅子にはおおむね背もたれがない。前のめりになって寝るか、うしろに頭をそらして寝るしかない。私はなんども長机で額を打ち、うしろにそり返りすぎて、真後ろの長机に背中をぶつけた。
昼食の時間になると、目が開いた。学食の安い値段に感激し、あれもこれもと彼女の倍は食べた。親しくなった女子学生に「まだ食べるんですか」と驚かれたりもした。
学ぶために行ったはずなのに、聴講する気がなかった。受講する教授の著作や関連本はかならず購入し、読んだ。座学が苦手なのだと二年かかってわかった。心理学の講義で箱庭をつくった。嬉々として、玩具を並べた。しかし、高名な教授は写真を撮っただけでひと言の感想も述べない。
なんでやねん!
玩具を箱の中に並べるだけかいと思った。のちに心理療法士になった男子にきくと、ユング理論では相手の話に頷くだけでいいそうな。それで、心のやまいが治るとは思えなかった。占いのほうがまだマシだと思った。
彼女にそれを言うと、「そんなもんとちゃう」と何を映しているのかわからない瞳でつぶやいた。
平成十五年に、彼女の両親が運営している特別養護老人ホームの一つを見学した。
当時、その施設は、最新の設備を整えていた。入浴も寝た姿勢ですませられるし、車椅子での生活も支障のないように整備されている。
全室、南向きで、ベランダも広い。テレビを見る娯楽室もあり、クラブ活動もさかんで、園芸の趣味のある人のための庭園もあり、病院も併設されていた。
食事は文句のつけようがない。
行事に合わせて、見た目も美しい食事が提供されていた。試食させてもらい、彩りに見惚れた。
ただし個室はなく、二人部屋だったので、入所後、見知らぬ同士で暮らさなくてはならないことが唯一、難点だと思った。
しかし、男女間で合意があれば、入所者全員の前で、披露宴がもうけられ、同室になることも可能だった。
となると、男女の比率が異なるので、男性の取り合いになる。
逆の場合もある。
今回、小説「老いてなお」で書いたいくつかのエピソードは創作部分もあるが、その施設で起きた事柄を題材にしている。
実際の事件では、老人一人が死亡していた。
起き上がれないほど衰弱した老人が、同室の老人を刺し殺したのである。
知的障害のある五○代の女性をめぐって争ったという。
当時、中年に属する年齢だった私は、そんなことがありえるのかと半信半疑だった。
理事長は彼女のお母様だった。美しい上に姿勢がいい。近寄りがたい。
「施設の運営でもっとも苦労したのは、男女問題です」と最初におっしゃった。
「男女問題?」
「主として公的な資金で、運営されていますから、運営をはじめた当初は男女交際は禁じておりました」
ところが、隠れて性交渉をもつので認めるしかなかったと眉をしかめておっしゃった。そのとき、ふと思った。お見合い結婚をした彼女は恋愛の経験がないと言ったことがある。もしかすると、見るからに厳格な母親のせいではないか。フェミニズムにも心酔していた彼女の苦悩は深かったのかもしれない。
時は流れ、お話をうかがった入所者の方々と自らが同じ年齢になり、老いたからといって悟りが開けるわけではないと思い知り、ようやく書き上げることができた。
良作であるとは微塵も思っていない。しかし、彼女と友人にならなければ、書けなかった小説だと思っている。
いまも多忙な彼女が、目を通すことはないが、もし、あの日、出会わなければ、私の人生はべつのカタチになっていたことはまちがいない。
感謝したい。この世で目にした誰よりも美しいヒトに。