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物語の作り方 No.1

 最初にお断わりしておきますが、いまから私が投稿する内容の文章は、はじめて小説を書こうとしておられる方の手引書です。

第一回 何を書くか

1)はじめての物語

 いまから半年かかって30枚程度の短篇小説、あるいは自分史を書くわけですが、はかどらないと思います。生まれてからずっと日本語を話し、綴ってきたにもかかわらず、文章を書くことは至難のワザです。日頃、目にする読み物では、言葉はその目的を容易に果たしています。自分には才能がないと、感じる人も少なくないと思います。
 なぜ、言葉を自在に表現することができないのか。
 表現することを、感情の発露によると考えるせいではないでしょうか。プロ作家の作品を読むと、言葉は自然に湧き出るもののように感じます。心に瑕(きず)やわだかまりがあれば、なお一層、言葉はたやすく生まれ出ると。
 それらは思い込みに過ぎないと、私は思っています。感情を適切な言葉に置き換える作業は学習によって得られるのだと考えています。
 もともと、表現とは個人的なものです。自由に書いていいはずです。しかし、感性にのみ頼っていては表現は狭められます。最初は勢いで書けますが、次第にスラスラ書けないとわかったとき、その理由を才能に求めるのではなく、知識の不足だと考えるべきではないでしょうか。

 書くにあたって、まず、考えなくてはならないのは、何をもと(題材)にして書くか、ということです。自らが体験した話を書くのか、書物を通して知った話か、あるいは人から聞いた話か、まったくの作り話か――。
 ワケがわからなくなるほど、迷います。
 なぜか。
 自分の心に巣食うモヤモヤした感情に言葉を与えてすっきりしたいと思う一方で、世間で関心を持たれている事柄にも興味や意見があるからです。これは、真実に触れたいというマットウな思いから生じているのですが、往々にして迷いは、事実か、虚構かの二者択一を自分自身に科してしまいがちです。
 その結果、はじめにあった書きたいという初々しい気持ちはたちまち薄れ、意味不明の落ち込んだ気分の状態を呼びおこし、ほどなく、書きたくない、あるいは、はじめから書きたくなかったのだと自らに言い聞かせ、あげくに才能がないから書けないという忌むべき感情に支配されることになります。

 ちなみに、これは私自身が若い頃に、何も思い浮かばなくなった過程で実感した経緯ですので、だれもがそうだとは言えないのですが、ありがちな事例だと思っています。

 ものを書く場合、物語をつくる意識が明確な「ストーリー派」と身の回りで起きた出来事や問題を追求する「ブンガク派」のふた通りがあります。わかりすく言いますと、夢想派か、体験派かということになります。
 独断と偏見ですが、私たちアマチュアはこだわらなくていいのだといまは思っています。ウソもホントもネタ(題材)なのだと。
 いまから、半年かかって、物語、あるいは自分史を書くわけですが、ジャンルが何であれ、自分自身の体験をベースに縦横無尽にウソ八百を並べ立てる意気込みで書き進んでください。そして、混沌とした心のうちを「はじめての物語」へと昇華してください。

 この文章は、某大学のゼミで、小説あるいは自分史を書く学生さんに手渡していた小冊子の冒頭部分に加筆修正したものです。
 教えはじめた頃、文章を添削し、話しただけではわかってもらえないと思い、プロ作家でもない私が作った教材です。
 半年で30枚と書いていますが、この教材をつくった時点ではその予定だったのです。3回生が前期と後期で2編の作品を書けば、就職試験で忙しい4回生になったとき、出来のよいほうを1作えらび、推敲し、仕上げられると安易に考えていました。
 ところが、はじめてみると、その作品が卒論になるというにもかかわらず、4回生の夏を迎えても2作どころか、1作すら書き上げていない学生が大半でした。

「あんたら、ナニしとったん!」と、自らの無能は棚にあげ、恫喝していました。「毎回、2、3枚でも、しょうもないこと書いてきてたやん。あれはどうなったん。退屈な話でもええから、なんで書き上げへんのよ! もう、こうなったら、お母さんのつくるカレーライスの話でもかまへん。書かんよりマシや」

 卒業式の間近になっても、全く書いていない男子学生が毎年、数人あらわれ、徹夜に近い、作業を本人も担当教授も私も強いられるハメになりました。
「小説家になりたいとゆーてたやろ!」となんども叱咤激励しましたが、のれんに腕押し。ボロカソに言い過ぎたせいかもしれません。誉めて育てることが苦手でした。

 1月下旬に毎年、卒論の提出日なのですが、その数日前から、居残らせて、「何が書きたいねん」からはじまって、「ほんでその話の主人公はどうなるの?」と聞き出し、何が起きてどうなるのかなど結末に至る過程をしゃべらせて、あらすじを書かせる時間がないので直接、原稿用紙に書かせていました。のちにパソコンで打った作品しか提出できなくなると、こんどはパソコンがないという学生が毎年、1月になって出現しました。

 私の作った教材はなんの役にも立たなかったわけです。それを披露したところで、読む方の参考になるとは微塵も思っていませんが、右も左のわからないままに見当はずれの小説を書くしかなかった昔の私のように、テーマ(主題)とモチーフ(題材)の違いや、一人称と三人称をどう書き分ければいいのかわからない方がいらっしゃればと思い、投稿することにしました。
 次回から少しずつ、教材の原文にそって書いていきます。

 ここまでお読みくださった方に感謝いたします。
 掲載した写真は、震災後に、神戸港内に打ち捨てられた廃船を映したものです。私が作ったつたない手引書もこの船のように役に立たないものだと思っています。


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