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【エッセイ】蛙鳴雀躁 No.40

 先日、拙宅で、食事会をした。男性三人、女性三人、小四の女の子一人。計七人。うち高齢者は私一人。
 彼らとは、大学で文章を教える機会があって知り合った。
 いまでは、大昔のことに思える。
 気づけば、みな、大人になり、それぞれの道でつつがなく暮らしている。
 ひときわ目立つ女子学生だったY子ちゃんは、いまも美しい。四○代にしかみえない。目鼻立ちの整った顔立ちもだが、スリットの入ったワンピースをまとってもよく似合う。
 アルコールも強い。
 マッチングアプリで恋人を募集したと言う。
 思わず、訊いた。「実年齢を書いたん?」
「ちゃんと六十一って書きましたよ。バツイチやゆーことも」
「へぇ」
「はい、クイズでーす」
「……?」
「何人の男性が、スキを押してきたでしょう?」と彼女。
「五○人くらい? いや、もうちょっと多いな。百人!」
 私としては、彼女の虚栄心をくすぐる意味合いもあって、大盤振舞いしたつもりだった。
 彼女はニタニタ笑いながら、
「六千人でーす」
「ほんまにぃ!!」
 彼女より年下の男性三人は、表情を変えない。そんなもんだろうという顔つきに見える。

 マチッングアプリがいかなるものか、私には見当もつかない。ひと昔前は、結婚相談所があって、テレビや新聞でさかんに宣伝していたが、いまでは見かけなくなった。
 無料で異性と知り合える場があるなら、それに越したことはないと思う反面、危うい気もする。

 応募者?のうちの六人と会ったという。
「どないやったん?」
「うーん。話がねぇ、おもしろくないんですよぉ」
 宝くじ並みの比率で、選ばれた男性はなぜ、彼女をゲットできなかったのか。
 彼女は学習塾の講師を長く勤めている。英語も話せる才色兼備。男性に保護してもらわなくとも、生きていける。それもあってか、相手に求めるものも少なからずあるのだろう。

 ある男性は、何年も前に、地元で撮影された映画の話しかしなかったという。
 六十代の彼女のお相手として、名乗り出たのだから、そこそこ年齢も重ねているはず。
 話題がないというのは、マットウな半生を生きてきたにちがいない。
 あわよくばという下心が多少あったとしても、根はいいヒトなのだ。何を話せば、初対面の美女が気に入るか、皆目、わからなかったのだと思う。会ったとたんに、恋愛に発展させる方法を知っている男性が六千人の中に何人いるだろうか。これを知っている男性は、よほど遊び上手か、ジゴロだ。

 私は、ある女性のNOTEの記事に恋愛には才能がいるとコメントした。
 相手の女性は、才能という言葉に疑問をもったようだけれど、恋愛は誰にでもできるワザではないと思っている。
 小説の王道は、恋愛小説だと言われてひさしい。愛欲小説は技術でなんとかなるが、恋愛小説は信仰に近い思いがないと書けない。
 明治初期、LOVEを日本語に置き換えることに困った翻訳者は、LIKEより強い表現にするために、恋と愛をくっつけたときく。当時の日本人にとって、恋と愛は別物だった。「恋しい」は、胸が焦がれるような気持ちであり、「愛する」は、できるなら自分が面倒をみてやりたい気持ちと、辞書にある。恋人と愛人のちがいを見ればわかる。
 恋愛という日本語が誕生したときから、日本人は、恋愛に苦しむようになったのではないかと愚考する次第。
 胸が焦がれる気持ちと、面倒を見たい気持ちの両方をもつことは、不可能だと思う。
 お茶や食事をしたついでに話をしたくらいで、はじめて会った女性の気持ちを引き寄せることのできる男性には、恋の感情も愛の感情もないと言い切るのは傲慢かもしれない。
 胸を焦がすことは誰にでもできるが、愛することは誰にでもできることではない。遠藤周作氏が、「ジョルソミーナ」(邦題「道」)の解説をエッセイで書いていた。「相手がどんなに気にいらなくなっても、これを捨てないことが愛である」と。

 話題のない無口な人を、彼女は選ぶべきだったのではないか。
 落選した中に、相性のいい男性がいたとも考えられる。

 彼女もそのあたりのことはよくわかっていて、「飲み友達のオジサンらは話はおもしろいけど、結婚してるしなぁ」

 彼女とて、軽薄なチャラ男を望んでいるわけではない。

 いかにして美人を手に入れるか。

 男性諸子に、美女を攻略する方法を伝授したい。

 褒めたたえることを、おススメしたい。

 そんなことかいと、鼻で嘲ら笑った方は少なくないと思う。
 簡単なようで、意外とむずかしい。知り合ったとき、二人きりの場合のほうが少ないからである。
 NOTEの記事で、友達をつくりたかったら、話の輪の中に美人がいても、誉めてはいけないとあった。
 私はまわりに何人いようと、美人には、「めちゃめちゃきれい」と連発する。
 たいてい、友達になれる。ただし、まわりにいた女性からは蛇蝎のこどく嫌われる。
 長女が子供の頃、言ったことがある。「ママの友達、みんな、きれい」

 下手な小説を書くようになって、私はそれまでの環境を変えた。狭い人間関係の中にいては、題材に困ったからである。意識的に、ヒトと知り合うように活動した時期がある。

 それは老若男女を問わない。

 食事会の日も、母親についてきた小四の女の子が思い外、かわいらしかった。
 私は、少女が玄関に入ってきた瞬間に、「お母さんにも、お婆ちゃんにも似てへんなぁ。美少女やん!」とまず言った。
 帰るまでに、数回は言った。
 あとから、メールがきた。『娘が、稲村さんにまた会いたいと言ってます』とあった。

 男女が出会って、恋愛に発展するというのはもしかすると、奇跡なのかもしれない。

 奇跡を起こすには、才能がいると思うゆえんである。


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