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【エッセイ】蛙鳴雀躁 No.52<タカラヅカ>

 2025年1月4日午後の部観劇

  「宝塚110年の恋のうた」
          作・演出 大野拓史

 百人一首を選歌・編修したとされる藤原定家の式子(しょくし)内親王への恋心を軸に、110年の長きにわたってタカラヅカの舞台で歌われた数々の名曲が時に雅びに、時に勇壮に舞いと歌唱で彩られる。

 題名は忘れても、なつかしい調べは次から次へと郷愁を誘う。貴公子の藤原定家を演じたキキちゃん(芹香斗亜様)は憂いをおび、ひたすら美しい。
 退めないでと、思わず声に出して言いそうになる。
 張りつめていたあなたの心が解き放たれ、平安貴族の定家のごとく平明な境地に至っての決断だったと想像します。

 印象深かったのは「誠の群像」の幕開きの主題歌を、男役のそろい踏みで歌ったときでした。土方歳三ではなく、沖田総司なのかとちょっと残念に思いましたが、見終わったあと、土方を慕う総司の役こそキキちゃんにふさわしいと思いました。
 キキちゃんの愛称の名付け親だった安蘭けいさんが土方歳三とするなら、キキちゃんは沖田総司でした。小顔の長身で、なんでもできるのに、まわりに気を使いすぎたのか、前に出ようとしなかった。
 そのせいで、苦難の道を歩まざるを得なくなった。
 終幕前の総踊りの曲は、安蘭けいさんが主演された日本物「花吹雪恋雪吹」の主題歌。この曲を選んだのは、キキちゃんだと思っています。

  「Razzle Dazzle」
          作・演出 田淵大輔

 1950年代の映画制作会社とナイトクラブが物語の舞台。資産家の御曹司と健気で夢見がちな女の子の二人は、御曹司の経営する高級ナイトクラブで出会い、映画会社のエキストラになれるように御曹司は力を貸す。そのとき、婚約者も交えて賭けをする。田舎娘に恋をさせることができるかどうか。ミイラと取りがミイラになり、二人は目出度く結ばれる定番のラブストーリー。
 ラブコメディは肩が凝らなくていい。

 前回は「ショー」のみ公演だった。
 キキちゃんは緊張していたのか、やや肩の力が抜けていなかったように見受けられた。
 彼女の良さは、洒脱で軽妙な雰囲気の中に時折、垣間見せる翳りだと思っている。都会に住む美形の青年によくある、恋にも厭きて、退屈な日々にうんざりしている表情とでも言えばいいのか。
 大劇場最後となる、この公演のキキちゃんは本来、彼女の持っている吸引力が十二分に発揮されていた。いっしょに観劇した娘が、「キキちゃんしか見ていなかった」と興奮気味に言った。「イケメンすぎる。帰ったら、プロマイドを飾る」とも。

 タカラヅカはトップスターが輝くように芝居もショーも創られる。
 キキちゃんにとって、不運だったのは、はかなげな美貌と繊細な演技に卓越したトップの下で三年、豪快さと押しのつよさが売りのトップの下で五年、二番手スターを務めたことだったのではないか。
 今回、はじめて、適役に出会ったと思える。ちょっと不真面目だけれど、ユーモアがあって、気紛れな伊達男。
 エプロンステージで主題歌を歌いながら、斜に構えてネクタイを外す瞬間がどれほど粋だったことか!!

 阪急のイメージキャラクターを務める彼女が終演後、舞台挨拶をしたあと、客席に向かって投げキスをした。
 女性客がどよめき歓声をあげた。

 キキちゃん、かならずまた会いましょう。

 余談になりますが、撮影所のシーンで、ユダ王国を滅ぼしたネブカドネザル大王が登場しました。映画のタイトルは「落日のバビロン」。 
 オーマイゴット! の心境になりました。
 ネブカザネザル王はユダヤ人のバビロン捕囚を三度、おこなっています。
 背景のカーテンに、彩釉煉瓦で飾られたイシュタルの門の獅子が二頭描かれ、ユーフラテス河の水を汲み出す水車と思われる大道具が数台、置かれていました。
 バビロンは、シュメル人のつくった数ある都市の一つでした。現在に至るまでバビロンはなんども滅んでいます。そのバビロンを、ネブカドネザル大王は再建します。バベルの塔と呼ばれる8層の建物やメディアから嫁いだ王妃のために造られた空中庭園など、ネブカドネザル大王は後世に名を残す建造物を建てています。
 奴隷のユダの民が、いまにペルシアが攻めてくると合唱します。
 ユダの民の全員が奴隷として酷使されたわけではありません。
 宮廷に仕える者、交易商となった者、金貸し業を営んだ者など多種多様でした。

 物語は虚構のほうがおもしろい。

 これでいいのですが、勇名をはせたネブカドネザル大王が統治した42年間、世界最大の都市バビロン(現イラク)にペルシア(現イラン)は攻める気配も見せない小国でした。国名はファールサともペルシスとも呼ばれていました。ちなみにペルシア湾は当時、下の海と呼ばれていました。上の海は、地中海です。
 ネブカドネザル大王の死から23年後に、バビロニアと同盟国のメディア(イラン高原)とメディアに従うペルシアの連合軍が、ユーフラテス河の流れを変えて、中洲に建てられた難攻不落のバビロンを攻め落とします。二国ともにアーリア人の国でした。こののち、セム系の部族が、世界の覇権を手にすることはモンゴル帝国をのぞいてありませんでした。

 また、「イシュタルの女神」を崇めているようになっていましたが、ネブカドネザル大王の時代はマルドゥク神がもっとも信仰されました。
 バビロニア帝国は他神教国家だったと言ってもいいかと思います。
 どうでもいい余計なことなのですが、気になるのでくだぐたと書きました。


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