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【ユーモア小説】 老いてなお

あらすじ

平成十五年(2003年)秋。大阪南部のとある介護施設に入所中の私は、知的障害のある矢口令子に一目惚れするが、令子は、私の同室者である本田精吉と仲が良い。精吉には、東浦志寿江という愛人同然の相手がいる。私はなんとしても、令子をわがものにしたいと奮闘する。

  「軒窓」    蘇 軾(そしょく)

  東隣多白楊   
  お隣りの家には白いやなぎが多い
  夜作雨戸急   
  そのやなぎが、夜なかに夕立のような音を立てる。
  窓下獨無眠    
  すると私は眠れない
  秋虫見燈入   
  灯をつけると えたりと秋の虫が飛んでくる。


1 伊勢参り

 今死ぬか、今死ぬかと思いつつ八十路過ぎまでも生き永らえた。それが、またとないほど可憐な女、矢口怜子のいたいけな姿を目にしてからは、百までもと願うようになった。

 弥勒菩薩、あるいは吉祥天女か――。

 私には、なぜか、令子が、血の繋がらない我が子のような気がして、冷え切った心情を喚び覚ますのだ。
 入所して早や半年、俗世とはうまくいかぬもの。私の同室者である本多精吉ばかりが苦の種となり、熱き思いも、懊悩に変じつつある。
 というのも、精サンは私より、十四歳も若い。五○過ぎの令子はそのせいもあってか、何事につけ、忌ま忌ましくも、
「精サン」
 と口にする。
 私は年がいもなく、ムラムラとはらわたが煮える。若い頃に仕事上で相争うた者に感じた以上の、いらだちであった。

 先日の「お伊勢参り旅行」でも、令子は、精サンの隣に座り、何かと甘えていた。精サンは蜜柑の皮を剥いてやり、令子の好きな折紙を折ってやりと、通路をはさんで隣の、わりない仲の東浦志寿江
を無視し、令子に要らぬ世話を焼くのであった。

「令チャン、ジュース、いらんか? 甘栗はどうや?」

 令子は、こっくり頷く。僅かの翳りもないその瞳は、何ともいえず、愛くるしい。ほっそりした染みひとつない手足は、いまにも精サンの掌中に収まりそうに見える。

 口惜しきことかぎりなし。

 精サンは、腐った握り飯のような顔の目尻を下げて、令子の全身を舐めるが如く見つめているではないか……。
 まことに、品性卑しき男である。
 志寿江の隣席の私は憤りで目眩すら感じ、心中では、精サンの心の臓に金槌で五寸釘を打ちつける。

 ゴン、ゴン、ゴォン!

 志寿江も私と同じ思いだったのであろう。唇を噛みしめて、私の肩ごしに見える、晩秋を彩る窓外の景色に目を転じていた。
 私はバスの揺れに身を任せながら、時折、彼らの様子を盗み見ていたが、それに気づいた志寿江は、ともすると眼病で潤みがちな目をしきりにまばたいた。
 精サンは、一向に頓着しなかった。
 ちょっと話しかける程度でお茶を濁し、せつなげな女心を思いやるふうもない。
 もとより、令子には、女の嫉妬や男の品格を云々する邪心など微塵も無く、
「眠タイ」
 と、精サンの肩に凭れかかる。
 私は、一度ならず精サンの席にとって替わろうと試みたが、精サンは断じて譲ろうとしなかった。
「この席はな――」
 理事長はんに無理を言うて決めてもろた指定席やさかい、などと見え透いた嘘を平気で言って恥じない。しかし私は、精サンが厠(かわや)に立った隙に、座席を分捕ってやった。老人の小便は長くかかるのをこれ幸いと、杖の把手で己れを座席にせんと引き寄せたのである。

 見たかーッ!

 お株を奪われた精サンは、握り飯を芋がらにして、憤怒をあらわにしたが後の祭りである。私はたとえ、殺されようとも魂魄となりて令子の傍を離れぬ覚悟であった。
 然して、神仏の御加護か、豪華二階建バスは、雲一片ない秋晴れの伊勢路を一路南下した。
 全くもって、すがすがしく、玉砂利を踏んでの両神宮参拝では乱れた心の洗われる思いであった。令子に遅れず、歩をすすめることに息切れしたものの、これも、いにしへの神の思召し。

 ところがその夜――、

 鳥羽の宿で、思いもかけぬ事態が起きた。
 私の心積もりでは、令子の手を取りてそぞろ歩き、仙人が天翔けるがごとき一刻をもちたいものと念じていたにもかかわらず、私の逸る心中を逸早く察したらしい精サンが、早々と令子を夜の海辺へと連れ出したのであった。

 なんという早ワザだ。これも歳の差かと嘆くことしきり。

 精サンと令子とは、二時間を過ぎても宿に帰って来なかった。
 取り残された者同士、志寿江と私はその間、肌寒い宿の玄関先で、ただウロウロとそれこそ野良犬のように彼等の行方に気を揉んだのであった。
「フン」
 と、鼻先で嗤う他の入所者たちの好奇の目に晒されつつも、帰りを待ちわびる己が姿に切歯扼腕したが、恋焦がれるせつない熱き想いはとどめようがない。

「別れた主人とおんなじやわ」と志寿江はぽつりと言った。

 女と見れば言い寄る性癖だという意味らしい。この旅行に、高齢のため一緒にやってこなかった村尾ウタとさえ、精サンはだだならぬ間柄だそうだ。

 大政所と渾名される、あの、
「九○の?」
 と、私は驚きの声を上げた。

 地面にとどきそうなほどに折れ曲がった腰のウタとも性交渉があるなどとはにわかに信じがたい。

 他人のことは言えた義理ではないが……。

 八二歳になる私が、令子にのぼせ上がっているのであるからして――。

「灰になるまでて、言いますやないの。あのヒトにしたら、ほんの小遣い稼ぎやと思てるはずですわ」

 七六の志寿江は自嘲気味に言った。精サンはウタに金銭をせびっているという。お互い、世間一般の目からすれば、もう枯れてもいい年齢である。しかし、この色欲という魔物とはなかなかもって縁切りできぬものらしい。

「このままでは、引き下がるわけにはいきません」と志寿江はきっぱり言った。

 もっともだと、地団駄を踏む思いで待っていた私のもとに、精サンと令子は何食わぬ顔で帰って来た。

「そのへんを、見せてやりたいと思てな」
 と精サンは言い訳したが、
「あたしも、見たかったわ」
 と、志寿江は浴衣のたもとを顔に当てて、ワッと泣き伏した。

 私は何も言えなかった。というのは、令子の浴衣の裾に見える砂粒が、私には、何か特別のことを思わせたのであった。

「何を拗ねてねんな」

 精サンはそう言うと、志寿江の肩を抱いた。令子はそれをぽかんと眺めている。志寿江は顔を上げると、精サンの手を振り払い、令子の浴衣の裾をパンパンと平手で払うと、小走りに廊下の奥に消えた。

「ヤキモチはかなわんワ」

 精サンはそう言いながら私の見ている前で令子の頬をそろりと撫ぜると、
「風邪、ひかしたかな? 冷たいな。手ぇ貸してみ。温めたるさかいにな」
 なんと、精サンは、令子の手を腋の下にとったのである!

 私の頭は一瞬、脳溢血をおこしたかと思った。日頃は、低血圧なのだが、その日ばかりは、破裂寸前まで血管が膨れあがったのであった。

「触わるでない!」と我知らず怒鳴っていた。

 精サンは、驚いた様子もなく、
「文句があるなら、いつなと相手になるでぇ」
 と言って歯噛みする私を嘲笑ったのであった。

 なんたる侮辱! 

 私は、純金の入歯を食い縛り、もしかすると、令子は、男の欲望を避けるということすら知っていないのではないか。

「令チャン、行こか?」
「うん」
「お先にィ~」

 精サンは、歌舞伎役者が大見得をきるようにして、令子の手を引き、大浴場へと向かったのであった。後に残された私は、ギシギシ鳴る胸をかき抱いて涙を流したのである。

 この恨み晴らさでおくものかーッ!

 私は令子に指一本触れてはいない。不埒な真似は、男子の沽券にかかわる。唾棄すべきことであるが、令子にそのあたりの男の純情を理解させるのは不可能であった。

 あまりに清らかであるゆえに――。

 しかし最早、忍耐の限界。老いの一徹。繰り言に限りがないと言われようと意に介さない。私はその日を境に、ある決意を固めたのであった。何がなんでも、令子を私の庇護の元におこう、と。
 あの世の旅への置土産。これも、天命。神仏の思召しやもしれぬ。

2 クリスマス会

 旅行から戻るとすぐに、私は、令子との婚姻をホームの麗しき理事長に願い出たのであった。凛としていて、言葉をかわすのさえ、畏れ多いと思わせる女性である。

 苦手なり。

 老いさらばえての、合縁奇縁ではあったがなんとしても叶えたかった。令子が素直に承諾してくれるとは思っていなかったが、精サンにだけは令子を渡したくない。

 あの、色情狂の精サンだけには。

 本能だけで生きている男である。それは、普段の生活態度をつぶさに観察すればわかることである。食後、箸をおくやいなや、入歯を外して、蛸や猿の口真似をし、周りの者を笑わせるなど、私には不快きわまりない所業。
 あの男には、知性の片鱗もない。私はいまでこそ落ちぶれた身の上と成り果てたが、旧帝大出身者である。友人知人には政府の高官、実業界の重鎮となった者も数知れない。
 ところが、精サンは、ただの大工である。一生を釘打ちで終わった男である。
 財産は元より、年金の額も、たかが知れている。この私が、令子を気に入った以上は、横からの手出しは無用。

 思い知らせてやる!

「もう少し、考えてはどうですか? 矢口令子サンのご家族のご意向もありますしね」

 麗しき理事長は言うが、人生には、待てることと待てないことがある。

「とにかく、本人に伝えてください」
「まず、ご自分で、確かめてみられてはどうでしょうか? もっと他にいい方もいらっしゃるのじゃないですか?」

 常識からすれば、令子は、物足らぬ相手である。わざわざ知的障害のある女と連れ添わぬでもと思うのが、世の道理であろう。
 短い受け答えしかできない令子を、同室者の志寿江を除いて大方の老女たちは話し相手としない。
 その場にいない者のように彼女は日頃、扱われている。
 誰もが見せる反応がかえってこないからである。
 私には老女らが令子に嫉妬の念を抱いているように見受けられる。

 それにはワケがある。

 令子に気持ちが動いているのは、私や精サンばかりでない。彼女にからまる目の色から察するに、入所者の半数以上の老人が令子に心を奪われている。
 表面は歯牙にもかけないふうを装ってはいるが、男たちの多くは令子の一挙手一投足に無関心ではいられない。
 私にはそれが手に取るようにしれた。しかし彼らは、入所早々に縁を結んだ老女たちに気兼ねをして手をこまねいているにすぎない。
 皆、精サンほど厚顔ではないということか――それとも精サンの手練手管が勝っているのか。
 本来ならば、東浦志寿江の心情のみを考えても、精サンは、私と令子を張り合える立場にない。

 それがである。

 事態は一向に進展しないばかりか、日を追って悪化したのである。

「クリスマス会」の宴のあと、私は令子をホームの静養室に呼び出し、理事長、立ち合いのもとにて、
「妻に迎えたい」
 と告げたが、私の一大決心の申し出に対して、令子は、不安げに肩を竦めたのである。一度たりとも、手を触れたことさえないというのに……。

「コワイ」と、令子は小さく言った。

 強引に入籍しようとしたことが、時期尚早であったのか……。

 ここでは、正式の夫婦でなくとも、そのむねを申し出れば、内縁のまま同室となるように図らってもらえる。しかし私は、令子の将来を苦慮し、彼女の老後に一抹の不安もなきようにと、サンタクロースのつもりでいたにもかかわらず……。

「焦らず、時間をかけて――」と美人理事長は慰め顔に言った。

 なぜ、令子は私の崇高なる愛を拒むのか。ただただ、切なさが募る。歳をとると、眠りが浅くなるが、いまでは、前途への希望を失い一日中、目覚めているような面持ちがするのであった。

3 新年会

 勃起せぬという不快な初夢とともに迎えた元旦、私は、年の瀬のプロポーズに思いをきたし、
「令子、令子、令子」
 と二度、三度、口の中で喚んでみた。話が決着していれば、東隣のベッドに令子が眠っているはずであった。

「令子ぉ!」

 私は半身を起こし、歯痒い思いにかられて枕を床に投げつけた。精サンは、臆病な猫のような仕草で起き上がり、おどおどした目で、じっと私を見ている。

「令子」
 私は、もう一度言った。精サンは、
「令子?」
 と聞きかえした。それから、
「令チャンやったら、たぶんまだ、寝てまっせ」
 と余計なことを言った。

 なんというアホ面であろうか。こんな男のどこがいいのか。この、精サンさえ居なければ、令子は我が妻となっていたのだと思うだに口惜しさがつのる。
 首筋から頭にかけての血管が疼く。
 寝違えたのか?
 精サンが、令子に、私との婚姻を思い止まるように示唆したのではないかと邪推するのはいかにも大人げないが、勘繰りたくもなる。

 食堂の前の廊下で行き合った令子は、私を目にするや否や、精サンからもらった折紙を背中に隠して蚊の泣くような悲鳴をあげた。
 両の足の萎えかけた私に一体、不埒な行いが可能であろうか。
 私は、ただひたすら、令子の怯えが鎮まるのを待って、思いの丈を縷々述べようとするのであるが、令子には、なんの効力もない。

「イヤ、イヤ」と小さく首を振るかと思えば、何を思ってか、折紙を突き出すのである。

 前を行く精サンの芋顔が目の前に見えるようであった。精サンとなら、鳥羽の浜辺を散歩したではないか。それが相手が私に変わると、施設の廊下さえ歩きたがらない。
 私は、恋しい令子と日毎、目と目を見交わし、たとえ私の独り言であったとしても、よもやま話に花を咲かせたいのである。ただ、それだけなのだ。思えば思うほど、虚しくなるばかりであった。

 アア……令子。

「新年会」の席でも、志寿江と令子を両手の花の如くはべらせた精サンは、向かい側の私をチラチラ見ながら志寿江に何か言ってはヘラヘラ笑うのであった。
 堪りかねた志寿江が精サンの腕をかるく押していたが、あれは一体、どういう料簡であろうか。
 餅のかわりの白玉団子を口にするとき、精サンから、「ア~ンして」と言われて、ア~ンしている令子を目のあたりにすると、我が身の腑甲斐なさを今さらながら思い知るのである。あんなスケベ爺サンのどこがよくて、令子は、ア~ンをするのか。

 この私のどこが、令子は、気に入らぬのか。

 亡妻は、私をあなどる軽口ばかりでなく、性生活を厭う態度も露骨であった。心底では互いを憎悪していたが、令子に至りては、それさえもない。
 焦点の定まらない瞳が、私の顔を通り過ぎるのみである。あくまで仮定としてだが、口にするのもおぞましい言葉ではあるが、「夜這い」などすれば悲鳴だけではすむまい。

 私は、未だ令子の素肌をチラリとも拝んでいない。これで、恋愛と言えるか!

 アア……女の心地よい温もりが慕わしい。私は、元来相当な冷え性であって、盛夏であっても膝に電気行火を入れないと眠れない。いよいよ重症となると、形容の仕様のない、倦怠感をともなう堪え難い痛みで呼吸さえ苦しい症状がつづき四、六時中不眠のくるしみに悩まされる。何んともやりきれないのである。

 精サンではなく、令子が隣のベッドに居さえすれば、
「……寒い」
 と言えば、せめて、手を握ってくれるであろうか。それとも、差しのべる私の手を令子は、ボーッと眺めているのだろうか……。
 通常の人とは異なり、情緒に欠陥があると思う反面、何やら、曰くありげに揺れる瞳の色に吸いこまれそうになる。

 これを愛の試練というのか、アア……虚しい。

 新年のホームは殊の外、虚しさがつのる。家族のもとへ帰る老人たちが幾人かいる。
 これが、目に映る小さなトゲとなる。
 身寄りのない者には酷なことであった。
 一切の煩悩を断ち切って入所したはずではあっても、思い乱れるのは如何ともしがたい。

 ここは、暑さ寒さのない快適な姥捨て山なのか……。

 残留組は山積みの馳走を目の前にして、心虚しくも胃袋を満たしたところで、精サンが令子に言った。

「初詣に行こか。アメリカや」

 令子はホームを出てバスに乗り、駅前の神社に行けば、たった一つ名前を知る異国だと思っている。
 哀れなりと思うのは私ばかり。
「おもろいで」
 と精サンははしゃぐ。

 真心に欠ける者と行ってはならん、と私は声を張りあげて伝えるべきなのだが、それが言えない。
 自尊心が許さないのである。
 令子は私の妻となるべき女であるが、令子が私を怖れる限り、許婚(いいなずけ)とは言えない。それが私の繊細にして純なる恋心を挫くのであった。

「あたしも行きますから、おたくもどうですか?」と志寿江が私に言った。

 精サンへの当て付けなら、迷惑至極。そのような姑息な手段を、清廉な私は是としない。

「車椅子を用意しましょか?」

 私は寝違えた首筋を、つよく振った。
 痛みがさらに増した。
 こう見えても、昔は、ゴルフに明け暮れた日々もあったのだ。
 そんじょそこらの老人といっしょにしてもらっては困る。
 気力さえあれば、どのような苦況も打開できるというのが私のかねてからの信条である。

「タクシーを呼びましょか?」

 ウンと言わない私を、志寿江はあの手この手で誘った。

「痩せガマンせんと――ね?」
「痩せガマンなど、断じてしておらん!」
「意地を張って――」と志寿江は言う。「令チャンが、いやらしい目ぇにおうてもええんですか?」

 否も応もないとはこのことか。

「うかうかしてられませんよ」と志寿江は急かす。
 
 私は精サンのように早足で歩くことも、女二人を手練手管で操ることも叶わない。知力はあっても体力がない。日によっては、おきあがりこぼし同然、人手を借りなければ外出はおろか、風呂にも入れぬ身である。

「令チャンはああ見えて、スミにおかれへんのですよ。何がて? ふふふふ……」

 志寿江は私に耳打ちする。囁かれた鄙猥な話はにわかに信じがたい。令子は言いなりになつているだけなのだ。真実の愛に目覚めていない故に、精サンの毒牙に惑わされているにちがいない。

「おいていかれへんうちに、行きましょ」

 志寿江はそう言って懐手の私の手をとる。
 組合せが違うと、言おうとしたが、その前に精サンが令子を連れて戻ってきて、
「岡惚れが、叶うたか?」
 と問うた。

 岡惚れ……? 誰が誰に……?

「アカン。アカン。えらい、おかんむり」と志寿江。

 志寿江の手を振りはらう気力も失せる。最早、どうもよくなる。令子と精サンとは堂々と手を繋いでいる。

 色恋い沙汰は、なるようにしかならぬのか。

 第三者というか、伏兵が、事のなりゆきに意を唱えた。
 村尾ウタが体当たりする格好で、精サンと令子との繋いだ手を解き放したのだ。

 お屠蘇気分の精サンは一瞬、芋がらの皺の上に皺をきざみ、
「何さらすねん!」
 と怒鳴ったが、ウタは、鬼面の如き形相で精サンを睨み返したのである。日頃、大人しい婆サンにしては、思いきった行動であった。
 心意気やよし。

4 初詣          

 田畑と農家と新興住宅の混在した町並みは日溜まりの中に眠っていた。
 志寿江は去年の正月を息子の家で過ごしたと、施設の送迎バスの中でぽつりとぽつりと話す。

「五年振りに会うたんですけど、なんやしらん、他人さんに囲まれてるような気分になって……」

 ワケを尋ねると、志寿江は、車窓に顔をむけながら、
「お寿司や、鯛や、お餅やご馳走は仰山、出たんやけどね。つくり笑顔でいてるとなんやしらん、おちつかへん。ホームで、みんなに囲まれてるほうがなんぼか気楽やわ」
 息子は、教師をしているという。
「離れて暮らしてると、たまに会うても、くたびれるだけやわ」

 この里帰り制度であるが、施設は創立以来、実子の家族に依頼しているということであったが、拒否する家族も多く、本年に至っては、「里帰りは、ケシカラン」と知事に直訴した家族もあるときく。

 知事に面会を申し込んだのはわが息子と嫁であろう。僻みでなく、そんな気がするのだ。息子からは、なんの連絡もないばかりか、私の数少ない親類縁者とも付き合いを絶っている気配が濃厚である。赤の他人のほうがまだマシだとつくづく思う。

 誰に育ててもらったと思っているのか! 恩知らずめが!

「見栄で、里帰りなんて、するもんやありませんわ」と志寿江は言った。

 ウムウムと隣で頷く私の膝に、志寿江は肩にかけていたショールをかけると、股の間にソッと手を滑らせるではないか。なんともはや、情のある仕草であった。下肢の芯に、ポッと木漏れ日が、差したような心地がした。
 顔は、皺くちゃでシミだらけ、鼻ぺちゃではあるが、仔細に見ると、タレ目の目元になんともいえぬ色気が漂っている。

 令子に固執しすぎるのではないのかと一瞬、迷いが生ずる。

 休耕田の続く道すがら、志寿江の手はズボンのチャックを引き下げ、下着の中に割りこみ、萎びた一物をつかんだ。
 私の頬に、静かなる笑いが、フツフツと込みあげてくる。精サンは相変わらず令子といちゃついているが、志寿江の心変わりを知ればそれはそれで冷静では居られまい。

 しかし私は、
「相手が違う……」
 と独り言を言うように言った。

 他の者たちのように、女ならば誰でもいいという気持ちにはどうしてもなれない。令子に思いを寄せてからはとくにそうであった。己れの歳に見合った女からの誘いをことごとく、退けてきた。

「待った甲斐があったというものやと思てますのに」志寿江は意味ありげなことを口にした。

 彼女の望みが、老い先短い私の年金にあったとしても、精サンの鼻をあかせるのなら、それも一興かもしれない。私の死後、寡婦年金を受給できる特典もある。
 何より、女たちは、二、三年前から普及した携帯電話を欲しがっていた。
 かける相手もいないのに、そんなものに価値をおく愚かさに辟易するばかり。
 女にとって、男の値打ちはその経済力にあるといっても過言ではない。私が大手商社の重役にまで登りつめなかったならば、気位の高かった妻は果たして私と生涯を共にしただろうか。出歩くことを好んだ妻は、伴侶を求めていたのではない。人前でチラつかせるゴールドカードを与えられる存在なら、誰でもよかったのだ。

「冗談は年寄りに酷だ」

 私は志寿江の手を引き剥がし、押しもどした。特攻隊のウタがこちらを盗み見たからではない。女は打算の塊であるという苦い思いにとりつかれて以後、私は妻はおろか女性全般に対して、わだかまりなく接することが不可能になっていた。

 手塩にかけ、育てた息子にしても、嫁の支配下にあった。
 妻子の顔色をうかがうばかりで、確固たる信念が微塵もない!
 良家の出であることを鼻にかけ、世間体ばかりを気にする嫁にも増して、悪口雑言を平気で口にする孫。
 妻亡きあと、通勤に不便な郊外に居住していた息子たち一家は何を思ったか、拙宅に住まいを移した。その日から、私は書斎での寝起きを余儀なくされた。

 時を同じくして、日経平均株価が、バブル崩壊後の最安値、7607円に下落した。
 株に手を出し、全財産を失ったと息子夫婦に思わせたのは、彼らにビタ一文のこしたくなかったからだ。
 シェイクスピアのリヤ王のごとき狂乱を演じてみせたとたん、嫁は、食事すら運んでこなくなった。それまでも、家族とともに食卓を囲むことはなかった。
 馬鹿息子にとり、一文なしの親は親でない。嫁は嫁で、私を薄汚い老いぼれと毛嫌いし、孫にまで私を屈辱させたのだ。孫は、「クソ爺ィ、死ネ」と言った。

 もうそれで充分だった。

 私は、残る人生を偽りに満ちた生き方を棄て、思いのまま、有るがままを受け入れたいと思ったのである。
 迷うことなく、ひと月十五万円の年金に見合った特別養護老人ホーム、通称「特養」を選んだ。年金で借金を支払っていることにすれば、実際の年金額を過小申告できる仕組みを利用したのだ。
 年金の余剰金と個人名義の預金は自らが所持し、株券は弁護士に管理してもらうことにしたのち、私は、終の棲家へと踏み出したのであるが――。

 ここも俗世と大きく変わることはなかった。女どもの目当ては、年金から毎月八万円の諸経費を差し引かれたのちの現金にある。月一回の外出日に小遣いを渡せる老人を、女たちは狙う。
 美徳とは裏腹の精神の欠如をここでも思い知り、ホトホト人間世界に絶望したのであったが、その時、天から降ったように現われたのが令子であった。

 令子は、これまで出逢ったどんな女とも違っていた。極楽浄土で出会う菩薩に思えてならなかった。彼女は世間の目や思惑を何一つ知り得ぬ。それもそのはずであった。令子は、大家の出でありながら、世間体を苦にする両親の手によって、永く座敷牢に閉じこめられていたのである。両親の死後、令子の処遇に窮した親族は、五○になったばかりの令子を特養に厄介払いしたのである。

「ヤマモト、タカツグ……」

 ホームの談話室で、私の名を教えるのに、何時間もかかったが、私にとって、かつて経験したことのない悦びであった。

 亡き妻には、私が教授することは何一つなかった。書道の師範であった妻は聡明であったこともあるが、私と妻の間には互いへの理解が皆無だった。
 結婚当初から妻は私に身を委ねても、快感を表すことはついぞなかった。息子が生まれて以後は、寝室も別々になった。
 私もまた、大戦を経ての社会生活が多忙で深夜の帰宅がほとんどであったため、独り寝のほうが気楽であった。妻を私生活での助手のように感じていた。

 令子は誰かの手助けなくして生きていけない。私も同じなのだが……。私の胸中は千々に乱れ、通風のために思うに任せぬ両脚を断ち切ってでも、令子の跡をどこまでも追いかけたいと乞い願うのであった。
 バスに揺られながら、ふとよからぬ考えが、頭をよぎる。

「精サンとは、別れよ、思います」と志寿江は打ち明けた。

 返答に窮した私は、口篭もり、
「諦められるかな? 精サンは、私よりも、ずっと若いですからな。あんたもだが……私からすれば、娘のような歳です。美しいし」 
 世辞を言うと、志寿江は上目遣いに私を見つめる。
「もう、オバァチャンです」
 と言った。

 見れば判かることであるが、志寿江は、私の戯言を本気にしている様子であった。女とは、奇っ怪な、というより高慢な種族である。世辞だと気付かぬとは――いやはや。

「おたくこそ、エエんですか?」と志寿江は令子に視線を反らして言った。

 良いはずなどないが、いまの令子は精サンの傍を片時も離れようとしない。精サンの他は誰一人として令子の心中に入ることは出来ない気配であった。

「潮時やと、思てます」と志寿江は言う。

 精サンといえども、女に見限られることがあるのだ。
 それがわかっただけで、私は内心で喝采した。

「あの人らのことはほっといて、ヨソへ遊びに行きません?」
 
 こういう時にこそ、サラリーマン時代に培った権謀術数の数々が役に立とうというもの。色と欲とは思案の外。

「なんとも……」
 このトシで気恥ずかしいと私は言い逃れた。

 バスを降り、神仏に手を合わせつつ我ながら、新しい進歩と慶びにたえなかった。ついさっきまでの胸中の苦悩が嘘のように晴れていた。

5 木偶まわし

 その日を境にして、私は老女に比して少ない男性陣から一目置かれるようになった。志寿江と何事かあったわけではない。節度ある交際を続けているが、却ってそれが、皆の信用を得る切っ掛けとなったようである。
 不思議なものである。
 志寿江が精サンとが如何ような関係にあったか知る由もないが、どうでもよいことであった。精サンが、ブツブツ小言を言うさまが可笑しくてならない。

 ベッドに入ったあとも、
「女心と秋の空やな」
 などと聞こえよがしに言う。

 色の世の中、苦の世界というが、精サンがその事で頭を悩ますなど、入所者の誰ひとり想像し得なかったにちがいない。
「お伊勢参り旅行」の折に、置き去りにされた恨みをやっとの思いで晴らせたというもの。精サンは、ここ数日、令子の機嫌取りに興味を欠いたのか、志寿江に取りいる素振りが顕著である。
 令子はしかし、苦にする風もなく、いつものように精サンのそばにいる。
 なんという、愛らしさであろう。あれこれ注文の多い志寿江などとは比べようもない。志寿江は一見、従順げに見えてなかなかどうして一筋縄ではいかない。

「夢見ましてん。今宮の戎様の大鳥居から本殿まで、綺麗サッパリ焼けてしもうて、アア、どないしよと思てると、白い着物着た女の人が、スーと寄って来はって、言わはるんです。『あんじょう、頼みます』て。なんやしらん、あんさんの亡くならはった奥サンの気ィがして……お金のほうは、人まかせでええんですか?」

 なぜか、私の隠し金の所在を知っいるような口振り。女は千里眼の持ち主か? 妻にもそういうところが多分にあった。

「金には、縁がない」と言いはしたが……。

 朝食後、談話室で新聞に目を通していると、大政所がやってきた。

「財布の紐だけは、握っときなはれや。チョット前にも、どえらい事件があったんでっせ」

 詳しく聞くと、志寿江が、死ぬ一歩手前の老人に接近し、絞り獲るだけ絞り獲ると、ポイ捨てにしたという。

「そのヒト、ショックやったんか、ポックリ死なはったんでっせ」

 志寿江が殺したのだと、ウタはささやく。
 まさかという気持ちと、さもありなんという気持ちが相半ばして、複雑であった。
 私とて、志寿江に対する気持ちに打算がないことは言い切れない。志寿江をなびかせ、精サンを不安させ、気力を消耗させることが目的であったからだ。

「しっかり、思案しなはれや」

 ウタに言われるまでもなく、志寿江には本心を決して言わないに越したことはない。金銭とは、あってもなくても面倒なものであると、思い知る昨今である。精サンのように、老齢年金だけというのも気楽でよい。つまらぬことに、心を煩らわされることが要らない。人の言う言葉の裏の裏、ひと言ひと言に、疑心暗鬼になり勘繰ることもない。
 この歳になって、資産の運用で、頭を悩ますのも気骨の折れることである。正に家康公の至言の通り、人生は重き荷を負って山に登るの感ひとしお。

「二人きりになりたい」と志寿江に迫られると、固い決意が揺らぐ。

 思念はただひとつであるべき。純潔な精神は、肉欲よりも、なお価値のあるもの。精進料理から中華料理にメニューを変えてはならん。中華は口にしたくない。我欲とは無縁の令子は、私にとって、手折ってはならない天上の花ともいえる。

「志寿江とは、なにもしてまへんのか?」
 などと、下品な口調を改めない男の相手をした女である。

 九時の消灯時間が近づくと、東隣のベッドの精サンは、
「なあ? どやねん」
 としつこく尋ねる。
 こちらこそ、令子と、いつ、どこでと聞きたいのを、私はどれほどの理性で忍耐しているか。
「場所に苦労するやろ?」
「なんの?」
 私は、わざと聞き返したところ、
「裏山は、バスタオル一枚では寒うてな」
 と精サンは言った。
 私の脳裏には、未だ見ぬ「裏山」の二文字がこびりついた。
「噂、知ってまっか?」

『帳簿の世界史』に目を通していた私は、老眼鏡を外した。

「目ぇが離されへん」と東隣の精サンは愚痴った。

 新しく入所した元鍼灸師が、令子にチョッカイを出すというのだ!
「強引なんや、奴さん」
「ほう」と興味の薄い口調で、私は話を促した。
 
 鍼灸師が、特養の入所に至る事情を精サンは話した。

「株で大損をしたそうでっせ。借金まみれになって、家族に見捨てられたそうですワ」
「勤めれば、よいのでは?」
「欝になって、そうもいかんようになったらしい。あんさんのように枯れてまへんのや。難儀なことに、色気だけは残ってまんのやなぁ」

 精サンは、志寿江の心変わり以来、私に対し、敬意を表すとまでも言わぬまでも相談事を持ちかけるようになっていた。御隠居前と構えて見せると、なんなりと口にする。

「逢引の最中に、平気でのぞくんや」
「ほう」
「でな、回さへんか? 言いよる」
「回す?」

 私の心身に憤怒と気概が同時に沸き上がる。学徒出陣のおりにも似た感情であった。私が先兵となりて令子を守ってやらずして、なんびとがか弱き令子を守護するのだ。

「あんたの時のようには、いかんワ」

 精サンは頭をかき、自嘲気味に笑った。
 元鍼灸師は、精サンより三歳若く、六五歳である。

「三っつは、おおきい。それにな、あいつは、医者のような口利いて、令チャンに触りよるねん。ハリさんと呼ばしてな」
「どこを?」
 思わず、聞いた。嫉妬の念はオクビにも出さずに……。
「色々と」
「……」
「わしとチョボ、チョボやけどな」
 と精サンは、ヤニ下がって呟いた。

 私は鬼畜米英、彼等を心底憎んだ。敗戦後、黙して語らなかったが、こやつら子孫のために尊い命を捧げた英霊に申し訳が立たない。成敗すべし。

「ま、あなさんには、どうでもええ話でっしゃろけどな」

 心中の思いが深くなればなるほど、言葉はいよいよ少なく不要となるのであった。

 深夜、目を覚ますと、精サンの姿がかき消えていた。
 私はおぼつかない足取りで、杖にすがりながら、施設の北に面する裏山を登った。
 落葉を踏みしめるたびに、男女の罵りあう声を夜風が運んでくる。

「こんな寒いとこで、よー脱がへん!」
「おまえとわしの間やないかっ。もったいぶるな!」

 翌くる朝、談話室で、独りでいる令子を見かけた私は、そっと近寄り、
「欲しい物は、ないか?」
 と耳元で尋ねた。

 私はこれまで、物で令子の心を買いたくないと思う故に、何一つ、買い与えなかった。
 志寿江には、違う。彼女には、欲しがる物は何でも買ってやっている。相手の魂胆もそのつもりだと思うからだ。
 令子にはそうしなかった。無垢な令子を金銭で縛りつけたくはなかったのだ。

「なんでも言うてみなさい。買ってあげよう」

 鬼のいぬ間の洗濯ならぬ、誘い水である。
 古今東西、童子にも判る道理に頭を悩ますのも浮世の習いであろうか。

「シャボン玉」と、令子は邪気の無い瞳を見開いて言った。

 なんという、魂の清らかさであろうか。志寿江のように、携帯だ、指輪だ、コートだのとひと言も言うことを知らないとは!

 私は、ウン、そうか、そうかと頷きつつ涙していた。男女の愛憎の心情に関知せぬ故の真の情とも言えようか。

「屋上から飛ばした」と、令子は嬉々として付け加えた。「ハリさんと」

 屋上でハリさんと……。

 その一瞬放心のていとなった私の顔から血の気が引いた。
 私は、何故に、この女に憂身をやつているのであろうか、と。
 我ながら、無念であった。ウッカリと花見に浮かれ出るように、令子に惹かれたが宿命、前後の見境もなく心を絡め獲られ身動きできなくなっていたのだ。

「シャボン玉を、飛ばしたいのか」
「うん」
 売店で買物をし、令子と屋上に行った。
 令子はシャボン玉を飛ばした。
 彼女の瞳はひたすら虹色をおっている。
 暗やみで盗み見た精サンと志寿江のあられもない姿が目の前をよぎる。
 骨張った手で、令子の肩に触れると、「こそばい」と言った。

 枯れていた血潮が沸騰する思いであった。
 ホームの屋上から近隣の山々を眺めると、不思議と心が急いた。ときめく、と言うべきか――。

「タカさん、シャボン玉、スキ」

 令子が私の名を呼んだ。

6 梅花

 私は翌日から、建物全体とその周辺の見取り図を頭に描きながら、付設の「リハビリテーション」に足しげく通った。足腰を丈夫にしなければ、勝負には勝てない。

 千里の道も一歩から。ローマは一日にしてならず。

 令子はそんな私の切なる想いを知ってか、知らずか、折紙を手に精サンに従いて歩いている。
 抗えない気質と思えば致し方ない。がしかし、馬鹿な男の意のままになるさまを目にするのは痛恨の極みである。

「どこへ行ってはったん?」
 志寿江の表情に翳りが見える。
「足腰が弱ってなぁ」
 私は廊下を歩くとき、杖を手放さない。

 令子恋しの病いと相反し、足腰は、次第次第に活力を取り戻しつつあった。なんと、車椅子、杖の類いを要しなくなっていた。恋患いは、私の萎えた手足に精気を通わせたということか。
 人間とは摩訶不思議な生きものである。
 昨冬は梅雨がそのまま続いたような不順な天候に加え、我が身の心持ちも寒暖計のごとく、上がったり、下がったりと一定せず、かくしてうつうつと過ごすことを余儀なくされていた。
 このままでは心筋梗塞あるいは脳梗塞でポックリ逝くのではないかと、案じたのだが杞憂であったとは!

 二月に入ると、早々に、ホームの庭に植えられた梅の木に白い花が咲いた。
例年になく、暖かい日が続き、私の身体を一層軽くしたのであった。
 昨年の今頃は、思案に明け暮れていた。

 三年前の平成十三年(1990年)十一月に、WTOが中国の加盟を承認し、米国の格つけ会社が日本国債を主要七ヶ国中、最低に格下げした。永い私の人生において、大戦につぐ衝撃は平成二年 (2001年)の株価の暴落だった。米国の度重なる圧力の結果であったが、マスコミはバブル経済の崩壊と報じた。そのとき味わった苦い思いが蘇り、手持ちの株を急ぎ売り払った。それが、効を奏した。

 志寿江は白粉をベッタリとハタいた顔で、時間の許す限り私の傍らにいようとした。私は、時折、志寿江の手を握りしめてやる。志寿江は、絶え入りそうな息をして、私を凝視する。
 彼女は私の心が彼女に無いなどと微塵も疑っていない。男に気を許した女ほど愚かではあるが愛らしいものはない。精サンとわりない仲でありながら、私との将来に夢を託すとは笑止である。

「まだ、決心がつかへんのですか?」
「ふむ……いま少し……息子とも相談せねば……」

 私は食堂や談話室で令子を見かける都度、幼子のごとき令子に心中で呼びかけていた。
 どうか、「タカさん」の傍に来ておくれ。私の心は、おまえの言うがままになる。すべてをおまえに捧げよう、と。
 しかし、令子と二人きりになる機会はやってこなかった。

「もう、いつでも、かまへんのよ」

 言いつのる志寿江の傍らで、私の心はその場の空気を止めようとしていた。鍼灸師と精サンは令子の両隣に陣取り、令子を共有していることを皆に誇示する。丸顔の令子の表情は穏やかで、安らいでいた。本人が何をどう思考しているのか神のみぞ知る。

 純潔なものを得るためには、禁忌をも犯さねばならぬ。

 大政所の思いも、私と大同小異なのか、しばしば大勢の前で、ヒステリー症状を起こした。令子の食べている最中の食器を取り上げてそこら中に投げ散らすのは序の口。精サンにむしゃぶりつき鄙猥な仕草に及ぶ。
 皆の噂では、近々、痴呆症患者専用の病棟、別名 「冥途の一里塚」に移されるという。わざわざ私に忠告したウタであったが、愛欲に狂った末路は如何ともしがたい。

 私はそれらを見聞きするにつけ、尚更、急がねばならぬと焦った。残された時間は、多くはないのだ。意識の確かなうちに、計画を実行に移さなくてはならない。

 ある晩、私は精サンに言った。
「頭痛がするので、志寿江さんを呼んでもらえまいか?」
「よっしゃ!」
 芋顔の精サンは、物分かりの良い声で返辞をした。
 早速、志寿江が来た。
 私は、風邪気味であると伝えたうえで、彼女に付き添いを頼み診療室で調合してもらった風邪薬に持参の睡眠薬を合わせて服用し、昏々と眠った。

 眠ったふりをした。

 風邪薬も睡眠薬も栄養剤であった。私は規則正しく息づき、機が熟するのをひたすら待った。志寿江は元々、精サンが厭になって別れたわけではない。令子への腹イセ、事のなりゆきでいっとき離れたにすぎない。私との縁談を望んだのは物欲からである。
 志寿江の身中の欲望が少なからず高まっていることは、彼女の赤い涙腺を見れば一目瞭然。寄りかかってくる志寿江に感情の高まることも無きにしもあらずであったが、精サンといい仲であった女に手を出すほど落ちぶれてはいない。

「アア……」という呻き声にも私は微動だにしなかった。
「八○のジジイ相手では、こうはいかんやろ。な?」

 と言う精サンの口説にも、私は、瞬きすらしなかった。思う壷であった。志寿江は、息も絶え絶えに言った。

「あんたが、あたしのおかげやいうことを忘れて、アホ女にうつつを抜かすからや。なんぼなんでも、女の意地がある」
「あれはあれ、あんたがおってこそのことや。これこそほんまもんのセックスやないか」
「いやや、そんなん……」

 精サンと志寿江の睦言は延々と続いた。精サンに持久力のあることは紛れもない事実であった。衣ずれの音から……精サンは志寿江を終始リードしている気配であった。

 愛欲にふける二人の隣で添い寝している格好の私は、目蓋の裏で知る限りの女たちと交わっていた。亡き妻や、嫁や、志寿江や、大政所や、理事長とさえ――。

 その日の午後、寮母の一人が私を見舞った時、志寿江の姿は無かった。    精サンは、上機嫌であった。いつになく、私の面倒を見たがるのであった。私は、込み上げる笑いを抑えるのにひと苦労した。
 精サンは、私を出し抜いてやったと思っているに違いない。私は、いきおい慎重にならざるを得なかった。湿り気を帯びた声音で、呟いた。

「この体では、長生きは無理かもしれん」
「気ィの弱いこと言わんと、ガンバリや」
「いやいや、歳には勝てん」
「なんの、なんの」と言いつつ、精サンは笑みこぼれた。

 私は鼻水をすすりつつ深い溜め息をついた。精サンから見ると、泣いているように見えたろう。己れより年上ならば、精神の欲望も過少であると推測するのは勝手であるが、そうとは限らない。

 日増しに私の生への執着は強まった。

 生き続けたいと願う気持ちが以前にもまして若木のように生成していた。そうなのだ。新芽をつけようとしていたのであった。
 誰が、この真実を知ろうか。天祐神助の賜と言うほか無い。社会的な成功など、今現在の私の企みに比べれば何程のこともなかった。私は、今程、生きることに熱中したことはかつてなかった。
 正に、性とは精神である。
 亡き妻との間にあった日々は、人間本来の生き方ではなく徒労であった。
 義務であったのだ。私を惑乱させる何物もそこになかった。
 私が常軌を逸して令子を求むるのは、永遠に体験し得ないかもしれない純粋な性とでも名付けていい感情をそこに見るからではないか。

 倦怠や打算とは一切無縁のところでしか、人の性は性たり得ないと思うからだ。

 私が精サンを憎み妬むのはその「性」なのだ。彼が易々と性のみを生きているからなのだ。そのことに精サンが気付くことは生涯あるまい。彼はそれを誇りにさえ感じているのだから。

 負けられない。

 私は、当初、ここの老人たちを憐れんでいた。無知蒙昧な輩だと軽蔑していた。しかし、私の眼前に光臨した令子は人生という訳の分からない一刻の苦しみの仕上げに、私を私たらしめる鍵となると希望を抱かせた。
 それが誤りであってもいい。
 私は何よりも、令子という生ける女神を崇める己れでありたいのだ。そのためなら、どんな屈辱も耐えよう。真の老境に入った私であるからこそ、己れを偽るまいと思うのである。

7 春の闇

 私はその夜、元鍼灸師に針を打ってくれるようにと、懇願した。入所者の医療行為は、ホームでは禁止されている。
 無論、精サンも志寿江も傍にいたが、私は夕食の後、酒好きの精サンに睡眠薬入りのブランデーを飲ませておいたのだ。
 精サンは元鍼灸師が部屋に入ってきて、五分もしないうちに高鼾で寝入ってしまった。就寝時間はまだずっと先だ。

「では、お願いする」と、私は金を払い、元鍼灸師に言った。

 志寿江は心配そうに彼の手元に見入っていたが、私は、夕べと同じように眠ったふりをした。しばらくすると、令子の呻き声が寝耳に届いた。
 そこに一片の恥じらいもなかった。

 翌朝――、志寿江は一人きりの私を訪れ、
「よう寝てはったから……」
 と言った。
 縦皺のいった頬が紅色に染まっている。いく筋も血が流れているようであった。志寿江もまた、性を生きているのであろう。真の人生を捉まえようとすれば、かくも愚かなものと化すのか。

「あたし、チョット、用があって……先に帰ったの」
「そんなことはいい」
「おたくて、やさしいから安心やわ。知ってはっても何も言いはらへんもの」
「なんのことだ」言いながら私は、言葉を失っていた。

 男の方は馬鹿だが、女はそうではないらしい……。元鍼灸師は食堂で私と顔を合わせても、まったく平気であった。しかし、志寿江は夕べの痴態を暗示するような口振りであった。どういうことなのだ。私は内心、己れの計略の単純さに呆れた。鍼灸師と精サンとの間にいる令子を志寿江とすり替えるなどと虫のいいことを考えていたのだ。

「きちんと、愛してくれはらへんから」
 と志寿江は言った。それから、こうも言った。
「令子サンを、ずっと思てはるのは知ってます」
 女は聡明なのだ、驚く程に。どう対処すれば対抗できるのであろう。

「すきにしてええンよ」

 志寿江は声にならない声で言い、ブラウスの前を広げて見せた。志寿江もまた負けたくないのだ。令子にではなく、若さに。

 なんとか切り抜けなくてはならない。

 私は和服の襟元をかき合わせると、ふと思いついた風情で、腹巻の中に隠しもっている預金通帳を志寿江に見せた。

 志寿江はその額に絶句した。彼女の手が震えていた。信じられないのであろう。

「皆、あんたの物にしてもいい」と私は言った。

 志寿江は、死人のような青白い顔になった。人間は予想もしない事態に遭遇すると、全身の機能が停止するものらしい。

「持ってはるとはわかってましたけど、けど、なんでですのン……」

 志寿江は、これほどの大金があるのに、どうして、特養に入ったのかと問うた。私は、息子の家族との軋轢を話した。志寿江はにわかに納得したようだった。

「このことは、決して、誰にも話さないでくれまいか」
「わかってます、それは。けど……」
「不自由な思いはさせないつもりでいる」
「それはうれしいですけど……」
 と志寿江はうつむいた。
「ただし、浮気は許さん」
「エッ!」
「精サンとはきっぱり別れてほしい。口もきいてもらいたくない」
「とっくに別れてます」

 私は、それならいい、と言い、探るように志寿江を見つめた。
 志寿江は、一層、青白い顔になり、皺に埋もれた目もとが黒く翳った。彼女はしばし、何事か思案している様子であったが、ふたたび、眉根を寄せて私に身を預けようとした。

「精サンがいつ戻ってくるかわからん」

 私は、丁重に志寿江は跳ねのけた。己れの思う以上に、私の企みは終わってなかった。我ながら、背筋がぞっとした。
 金にころぶ女と思えば、何をしてもかまわない気になっていたのだ。

「理事長さんにきちんと話して、欲しい」

 元鍼灸師は朝な夕な志寿江に付きまとった。精サンはそれが気掛かりでならない様子であったが、志寿江の態度はことさら冷たかった。

8 蛇穴を出づ

 数日して、志寿江は、外泊許可をホームに願いでた。息子のところへ、今後のことを相談に行くと言うことであった。

「やっぱり、なんというたかて、母親ですから、一言もなしに再婚はできしません」

 私は志寿江のその言葉に一片の疑いも抱かなかった。外に出れば、何かと物入りだろうと小遣いを持たせたほどであった。
 ところがその夜、精サンからの情報で、元鍼灸師も外泊許可を取っていると知って私は愕然とした。ていよく騙された、と思った。 

「したたかでんな、女もトウがたつと」と、精サンは嗤った。

 その点、令チャンはちゃうと精サンは言い足したが、目が、唇が憎しみに燃えていた。別れた女であっても、他の男とどうにかなると思うと口惜しいのであろう。男とはそうしたものだ。

「ただではすまさん」と精サンは独り善がりなことを言っている。

 私は、令子の清らかな瞳と、通帳に見入る志寿江の物欲しげな目とを同時に思い浮かべていた。

「しっかり、めしべに御灸をすえられて、帰ってきまっせ」
 と言う精サンに私は、
「気になるのかね」
 と尋ねた。
「気にならんほうがおかしい。ボケてんのかいな、あんた」
 と精サンは小声で言い、ちびちびと日本酒を飲む。

 夜間の飲酒は禁じられているのだが、精サンは時々、規則違反をし、寮母ににらまれていた。

「寝られん」
「薬ならあるが」と私は言った。
「志寿江はな。あれでなかなか、面倒見のええ女なんや。男の気持ちをようようわかってくれるんや。あんたは知らんやろけどな」
「……」
「だいだい、あんたがいかんねん。波風立てよってからに」
「その覚えはないが」
 私は興奮剤を精サンに与えた。
「ふん。ええかげんにさらせ。するならする、せんならせんが、男のケジメいうもんや。それを物で、釣りよって……わしな、言うとくが、志寿江とは別れへんで。あんたがどうでようとそれは勝手や」
「ほう」
「志寿江は志寿江。令チャンは令チャン。うまいことやってたんや。それをなんや。ワヤにしくさって」
 精サンの罵詈雑言はいつ果てるともなく続いた。私は、一言も言い返さなかった。
 しかし――令子と精サンとはとどのつまり、どういう間柄なのであろうか。
 私は、精サンが令子を屋上や裏山で押し倒す姿を何度思い浮かべた。何もかも、妄想であってほしいどれほど思ったことか……。

 志寿江は志寿江、令子は令子という言葉の意味は?

「志寿江やけどな。なかなか具合がええねん」 

 酔った精サンは具体的なことを言い出したのであった。履き心地のええスリッパみたいでな、と言う。想像力に乏しい私には、いまひとつ実感できなかった。
 私と志寿江が結ばれても、スリッパは私の所有するところのものとならず、あくまで精サンのものなのか、と私がそれに近いことを口にすると、精サンは言った。

「あんたがアカンのは、ここの、みんなが知ってる。志寿江が言うてた」
 
 私は口を閉ざした。そのほうが結果において、悔いが残らぬ気がしたのであった。

 翌々日、志寿江はホームに帰ってきた。元鍼灸師も志寿江に遅れること二時間で談話室に顔を見せた。
 二人とも、普段と少しも変わったところはなかった。あるとすれば、志寿江の化粧がさらに濃くなっていたくらいであった。
 精サンは志寿江ににじり寄るようにして、嫌味を言ったが、志寿江は微量の動揺も見せなかった。
 そ知らぬ顔を装ったといったほうが当たっている。
 志寿江は私と顔を会わしたとたん、言いようのない毒々しい感情を顔に表したのだ。タレ目が吊り上がり、上向いた低い鼻の穴が私を見くだすのであった。

「散歩しはりません?」

 志寿江は精サンや元鍼灸師のいる前で、私を誘った。私は持っていた杖を引き寄せると、志寿江の後をついて行った。途中で、令子とすれ違ったが、足を止めることができなかった。

「再婚のことですけど、息子も賛成してくれました。お母さんの余生は、お母さんの好きにしたらええ言うてくれて、あたし、うれしいて、うれしいて、晴れて、山本さんの妻になれると思うと、一晩中、寝つかれしませんでした」
「ほんとに、息子さんの自宅に行ったのかね」
「何、言うてはりますのん? 他にどこに行くところがありますのん」
「ふむ」
「精サンに何か吹き込まれはったんやね。ああもういややわあ。結婚したら、こんなとこでましょ。二人で、もっとええ、有料のホームに入りましょ。ね?」
「ふむ」
 私は志寿江の真意を図りかねて、ただ頷いていた。ふと、私の真の敵は、精サンなどではなく、志寿江なのではないかと思った。

 仕掛けたワナにはまったのは、この私自身なのではないかと。

 志寿江は、庭の物陰に私を連れて行った。切り株の上に私を座らせると、
「お花見しましょ」
 花などどこにも見えない。
「ゆっくりと――」

 志寿江は言い、大胆にも私の膝にまたがってきたのである。
 私は即座に志寿江を立たせると、自分も立ち上がった。志寿江の色香に溺れてはならない、という強い意志がその時、働いた。

「どないしはったの?」
「昔を思い出した」
「なんでまた?」

 自分でもどうしてか、わからない。いまのような毎日を送っていいのだろうかという思いがふいに沸き起こったのである。
 天保山の桟橋から乗船して、中国戦線に送られたのだが、輸送船団が関門海峡を通ると今日のように薄曇り一つない天気で、両岸には桜の花が霞のように棚引いていた。

9 春雷

「もう帰ろう」
 私は志寿江を残して、きびすを返した。ホームにたどり着くと、元鍼灸師がニヤニヤして、私を出迎えた。出入口に奴はいたのだ。

「早いでんな」と元鍼灸師は言った。
 
 私は生返事を返して、自室へ戻った。精サンが昼間から酒盛りをしていた。寮母に見つかると、まずいことになると私は忠告した。

 精サンは私をねめつけると、
「ジジィ、どないやったんや!」
 と喚いた。

 酒臭い空気が部屋に流れた。私はただ歩いただけだと言おうと、口を開きかけたが、暗い思いにとらわれて、
「いい具合であった」
 と言ったのだ。

 かつて、この美しい国のためなら、死んでも悔いはないと思った。夢幻泡影(むげんほうよう)の境地で、一生の身を捨てる覚悟をしたこともあった私である……。
 精サンはハッと息をのむと、飲みかけの酒瓶を壁に投げつけた。何も家具らしいもののない部屋ではあるが、一瞬にして、精サンの発する怒気で部屋が汚濁した。

「どうしたのかね」
 と私は静かに言った。気分が悪ければ、医師を呼ぼうか、と。
「いらんのじゃ。志寿江、呼べ! あんたにできるはずのないのは、百も承知じゃ」
「どこにいるか、わからん」
 と、私は答えた。
「どこへいかしてん!」
 と精サンは言った。興奮剤の空き瓶が転がっていた
「さあ」
 私は頭を傾げながら空き瓶を懐に隠した。

 精サンはおいおいと男泣きに泣いた。気の毒でもあり、痛快でもあり……。
 人はもともと何らかの使命に邁進する運命を担った動物であり、この運命によって進化を遂げてきたものである。やはり先哲の教え通り、一路邁進人事を尽くして天命を待ち、倒れて後止むのが道理であって、将来に対するよりも過去への回顧の想に引かれてはならぬ。とはいえ、悪魔に魂を売るわけではないのだ。

「針のおっさんとこやな」と言い捨てると、朱色に変じた芋がらは割れた一升ビンの口を携え、飛び出して行った。

10 仏の座

 精サンが元鍼灸師に怪我を負わす事件を起こし、ホームを追われたのは、警察の事情聴取がおわってすぐのことであった。
 精サンは割れたビール瓶で、元鍼灸師の太腿を刺したのだ。
 目撃した者たちの話によると、精サンはわけのわからぬことを喚きながら、元鍼灸師に襲いかかったという。

「あんたでは、もう濡れんのやそうや」と元鍼灸師は傷口を押さえながら言ったという。

 精サンは己れの性を屈辱されることに耐えられなかったのであろうか。
 私は己れの仕組んだこととはいえ同情を禁じえなかった。
 誤算もあった。
 元鍼灸師も居づらくなっていいはずなのに、精サン一人に罪を着せて堂々としていた。そればかりか、いつのまにかホームの主のような存在になっていた。
 いまいましい男であった。
 それは志寿江もかわりなかった。私に寄り添い、世話を焼くかたわら、元鍼灸師と関係を続けている。

 三月十三日に奈良の御水取りが始まる頃、私と志寿江は、ホームの食堂で擬似結婚式を行なった。本日から、私と彼女とは相部屋になる。その前日に、入籍していた。 
 志寿江は浮かれていた。
 令子は、紅白饅頭をうれしげに頬張っていた。

 これでいい、これで。

 その夜、元鍼灸師が新居となった部屋に忍びこんできた。
 理事長に連絡しておいたので、私の眉間に針を刺そうとした刹那にハリさんは取り押さえられた。
 志寿江は、何も知らなかったと言い張ったが、認められなかった。

「入籍してるのに、そんなことするはずないやないですかっ」と、彼女は抗弁した。

 入籍した故に、殺意を抱いたのだ。私の資産は、施設に寄付するむねの遺言状を、弁護士の立ち会いのもと、すでにしたためてある。
 条件は、令子の安寧な老後であった。
 
 数日後、私の右隣には、令子が眠ることになった。
 なにものにもとらわれぬ瞳は、菩薩のごとき慈愛に満ちていた。

「タカちゃん、シャボン玉、飛ばしたい」

  了


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