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物語の作り方 No.7

3)構成表と人物表をつくる。

 またまた面倒臭いことを言い出しますが、この過程を一度、経験するのとしないのとでは、のちのち大きく違ってくると、根拠もなく信じています。

 A4の用紙を二枚用意します。
 それぞれにの用紙に構成表、人物表と書きます。

            構成表

 タイトル 頭に叩きこむために、キーワードを書いておきます。

 テーマ  読み手に、訴えたい文章を書いておく。

 ストーリー 時代、場所、主人公を明記したおおまかな粗筋

 プロット

   物語の始まりにふさわしいエピソード

   クライマックスに至るのに、必要な複数のエピソード

   物語の流れを一変させる出来事のエピソード
    クライマックス
    テーマの具体的表現

   起と呼応させるか、物語の結末を書く。

 ミステリー小説の場合、発端となる事件が「起」で発生し、事件に連鎖するエピソードが語られて、事件を引っ繰り返すような出来事が挿入されて、クライマックスで謎解きがあって、結びで、事件解決後の顛末が描かれます。
 エンタメ小説の大半は、ミステリーでなくてもこの流れで進みます。では、純文学のジャンルはどうなのか?

 中村文則氏の芥川賞受賞作「土の中の子供」は、タクシードライバーの私の一人称ではじまります。書き出しの章で暴力シーンがあり、キーワードとなる「土」が暗示されます。次章からは、現在の主人公のすさんだ心の有り様と苛酷な子供時代の回想が交互に描かれています。常に暴力への渇望がある主人公は物語の後半、子供の頃、母親に捨てられ、養父母に生き埋めにされるが、頭と胸で「土」を押し上げて生きのびた記憶を思い返す。
 死の妄想に取り憑かれた主人公は蜘蛛との対話という形式で長い独白が描かれます。直後に強盗に襲われ、暴力の応酬になり、車で逃走しガードレールを越して落下するが、九死に一生を得る(クライマックス)。最終章、ベランダから自分を突き落とそうとしたかもしれない父親が面会したいという話を耳にするが拒む。「自分は土の中から生まれた子供」だと言って。
 後書きの解説で、文芸評論家は、この作品のテーマを以下のように解説しています。「暴力をこうむった子供は、どのようなにしてその後の人生を生きるか、どのような困難に逢着し、どのようにして困難を克服できるのか、という主題である」と。
 主人公は、親=暴力の象徴という存在を心の中から切り離すことで、新たな一歩を踏み出すのだと思います。
 この作品は起承転結の枠組みを踏まえて書かれています。

 純文学にときどき見られる、結が省略されるとどうなるのか?

 余談になりますが若い頃、ヨーロッパの映画、とくにフランス映画を見てもおもしろいと感じられませんでした。
 モノクロであったこともありますが、三本立ての一本だった「死刑台のエレベーター」を見たのは、十代でした。主演のジャンヌ・モローがトランペットの曲が流れる中、ひたすらパリの街をさすらう一方で、夫を殺した不倫相手がエレベータの中に閉じこめられて逃げられない。一晩かかってやっと動いたエレベータに安堵したのもつかのま、刑事とおぼしき足元と男性の顔が大写しになって映画は終わったと記憶しています。記憶に間違いがあるかもしれませんが、事件後、彼女と彼がどのような結末を迎えるのか、描かれていなかったように思います。
 あとの二本のハリウッド映画がなんだったのかまったく記憶していないのに、ジャンヌ・モローの歪んだ口元は忘れられない。
 おもしろい映画と、記憶に残る映画が異なると気づいたのは、四十代になってからでした。これは小説にも言えることだと思います。

 芥川龍之介の短篇小説「薮の中」は、だれもが理解できる結末がありません。巨匠黒沢明は、本作を映画化するとき、起と結に羅生門を使いました。豪雨に濡れる羅生門を映画の冒頭に描き、雨宿りする男たちの立ち話から、「薮の中」が描かれます。二人の男と一人の女の話は食い違っています。誰が真実を語っているのかわからないまま、映像はもとの羅生門にもどります。雨は止み、晴れています。男の中の一人が、捨て子の赤ん坊を拾って立ち去ります。
 黒沢監督は芥川作品の「羅生門」の中身を抜いて、「薮の中」をはめ込んでいます。この映画を観た母と姉たちは、「さっぱりわからへん、なんなんあの映画」とコキおろしていました。小学生の私は留守番役だったので、なんのことを言っているのか、わかりませんでした。
 黒沢作品は製作費を回収することがむずかしかったと言われています。ベネチア映画祭で受賞しても、映画全盛期の時代であっても客入りはよくなかったと想像できます。テーマの有無よりも、結末がないと、わかりにくいことはたしかです。

 アニメの「シンデレラ」のクライマックスは、貧しい身なりのシンデレラがガラスの靴を履くシーンです。極端に言えば、文芸作品と言われる映画はここでエンドマークが出るのだと思います。観客の多くは、もちろん私もふくめてですが、シンデレラがお姫さまのドレスをまとって、王子さまとダンスをするシーンを観たい。これを観ないと帰れない。
 自分の小説をどうしたいのか?
 結論の出ない問題です。

           人物表

主人公……360度、描かなくてはならないと言われています。   
 名前、年齢、容姿、性格、仕事、趣味はもちろん、出身校、両親きょうだいの有無など小説の中では書かないこともついでにメモしておきます。

副主人公…主人公の半分、180度と思ってメモします。

 その他の登場人物の名前や年齢も逐一、書き留めておきます。長編だと途中で、名前を忘れることがしばしば起きます。

 この構成表と人物表は、書いている途中で書き足していきますので、机の横壁に張りつけておくか、クリアファイルに入れて手元におきます。

課題③構成表と人物表を書く。

※注意1)
 容姿は、周囲で見かける人の顔を参考にする。人物の気質と重なる容姿か、真逆にする。テレビなど映像で見る役者の容姿も役柄を反映しているので役立つ。重要な役割を担わなくても、人物の特徴を捉えてメモする。服装も性格を表す要素になるので重要。電車に乗ったさいに、おしゃれだと思う人や、反対に変わった服装だと思う人のこともメモする。ただし、短篇小説の場合、読みづらくなるので名前のある人間は極力少なくする。

 自分の生活する範囲は広くないと自覚し、世代の異なる人たちの話し言葉などもメモる。いまはスマホでなんでも可能なので、会話や人物像を携帯の文字で描写する。ただし、普段の会話をそのまま書き写すと、まどろこしく感じられるので気をつけること。

※注意2)
 活字だけで、目に見えるように人物を描写するのは手間がかかる。暴力シーンなども、映像のような迫力をもたせることがむずかしい。

例文)人物描写

 抽(ぬき)んでて美しい。目を惹いた。ただ、その美貌にはどこか靄がかかったような曖昧さがあり、焦点の定まらぬ印象があった。
  花村萬月「崩漏

 美人に「美しい」という形容詞を、通常、作家は避けます。敢えて、書き出しに、使っているのは、強調の意味が込められていると思います。

例文)暴力描写

 男は鉄パイプを振り上げると、私の身体がどうなろうと興味がないような虚ろな表情で、力強く振り下ろした。脇腹に当たると予想を越えた激痛で息が止まり、一瞬遅れて焼けるような熱が、耐え難い刺激となって全身に走った。  
 中村文則「土の中の子供

 映像なら、1分ですむシーンです。文字だと瞬間の動作が、表現できないので書きこまなくてはなりません。
 
 映像と音楽と文章が組み合わさった形式がすぐそこにきているのかもしれません。漫画オタクであった人間としては、複雑な心境です。

4)まとめ

 ①読んでみたい思うプロットを書く。
 ②一般的には短篇小説は事件を書き、長編小説は人間関係を書くと言われていますが、上記にあげた花村萬月氏の短篇小説は、ひと組の男女の関係性が描かれています。この場合、登場人物は二人です。短篇で人間関係を描く場合は登場人物を厳選する。
 ③短篇小説の場合、もっとも注意しなくてはならないことは、時間の経過。回想場面は別にして、物語の中での時間の経過を短日時にすることと、エピソードを詰め込みすぎないようにする。

課題④短篇小説30枚の書き出し部分の5枚を書いてみてください。

 ここまで、お読みくださった方に感謝いたします。
 第3回目は、書き出しとタイトルと結びの関係について、述べたいと思います。


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