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【エッセィ】蛙鳴雀躁No.39<タカラヅカ>
9月17日 15:30公演観劇。
三谷幸喜脚本・石田昌也演出「記憶にございません」。
本来、タカラヅカの主役は、なんども衣裳を変える。しかし、今回の芝居は総理大臣の役なので、ほぼスーツ一着。
吉本新喜劇に近い。舞台の背景もテレビで見慣れた景色ばかり。
総裁選挙に合わせたかのような物語の内容になっている。
映画では、中井貴一さんの役を、コッちゃん(礼真琴様)は演じている。
演説中に石を投げられ、記憶を失い、それまでの悪政を改め、庶民のために一念発起し、善政を行う決意をする役どころ。
ありえないストーリーを、コッちゃんは、リアルに見せる芸をもっている。芝居から歌やダンスに入るときも、その逆も、見るものに違和感をもたせない。
熱狂的なファンでなくても、いつのまにか、彼女に目を奪われる。
平日の午後の公演なのに立ち見も出る盛況ぶり。笑い声が絶えない。男性客も多かった。
コッちゃんは、丸顔で細身で、身長も高くない。素顔は可愛らしいお嬢さん。
男役としての容姿に恵まれなかったけれど、もって生まれた才能で客席を圧倒する。
歌声もダンスも演技も素晴らしいの一語につきる。
ロミオもできるし、柳生十兵衛も演じられる。
高音から低音まで、その声はのびやかで心地よい。ダンスはどんなに速いテンポであっても、〝踊っています感〟を見せずに四肢を躍動させられる。
タイプはまったく異なるけれど、かつてエンターテーナーの名をほしいままにした鳳蘭さんを思い出す。ショーの途中であっても、舞台上から客席にむかって、話しかける余裕があった。
今回、コッちゃんは、舞台を自身の生活の場にように演じて見せた。喜劇に欠かせない、掛け合いの台詞も、異なる相手に合わせて間をとることができる。
何十年に一人の逸材と下級生の頃から言われつづけたコッちゃん。コロナ禍があり、タカラヅカ本体が存続を危ぶまれる事態にも遭遇し、トップになって以後は波乱万丈の日々だったことは想像にかたくない。
どの生徒さんもつらい思いをしたが、彼女はタカラヅカを背負って立つ位置に否応なく押しやられ、重責に耐えかねてか、休演も余儀なくされた。それでもなお、今日も明日も笑顔で舞台に立ちつづけるコッちゃん。
あなたがいたから、前代未聞の窮状を乗り切れたと言ってもいい。
今回の公演で卒業する相手役のナコちゃん(舞空瞳様)、お疲れさまでした。ナコちゃんの明るく真摯な瞳が、コッちゃんを支えつづけたと思います。
第二の人生、いま以上の幸せを祈っています。