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【エッセイ】蛙鳴雀躁 No.22
「こんどのは、エロ小説やから、載せるときに読まんといてな」と、晩ゴハンの支度をしている最中にご老公に告げると、顔色が変わる。
「そんなもん、なんで書くねん! 載せへんからな」
ご老公は常に、悪代官の補助係なので、次の料理に必要なフライパンをけんめいに洗っている最中。フライパンひとつでできる料理を二種類つくるとき、油で汚れたフライパンを洗い直さなければならない。洗い物は、ご老公の必須作業。
私は大根と厚揚げとシイタケをだし汁にほおりこみながら、
「前の回もええかげん、エロかったけど、今回は発禁もンやから、noteに書かれへんようになるかもしれへん。ほんでも、どうしても書きたかったからしょうない。アカンならアカンでええねん」
「そこらをテキトーにゴマかして、なんで書かれへんねん!」と、ご老公は水道の蛇口を止める。「昔は、明かるい小説を書いてやないか――それがなんで――」
あとの小言は聞いていない。
若い頃、青春ユーモア小説を書くようにと、某誌の編集者サマに最初に言われて八年間、悪戦苦闘し、ついには一行も書けなくなった苦い思い出がある。
エンタメ小説の95パーセントはハッピーエンドで終わると言われている。
できることなら、心暖まる小説を書きたい。
浅田次郎氏の「角筈にて」を、電車の中で読んでいて涙が止まらなくなり困ったことがある。
しかし、イバラのお恵には書けない。
文章力がないことは論ずるまでもない。書くという作業を通して否応をなくわかった事実――私は、穏やかで清らかな心をもつ人間ではない。対人関係においても融通がきかないと思い知らされた。
おかげで、ワタシ的にはエライ目ぇにぎょうさん、遭いましたワ。ほんまに。
いまから書くことですが、当時、その場にいらした方で、私の記憶に間違いがあれば、ご面倒でもお知らせください。受けて立つ覚悟はできてますよってに。矢でも鉄砲でももってきてください。棺桶の注文はまだですが、葬儀屋には予約金を払ってますので、後顧の憂いなく闘う所存でおりますデス。
ほぼ三十年前になるでしょうか。ある方の出版記念パーティがあり、二次会に参加しました。
知人二人も一緒だったので、深い考えもなく、ついて行ったのがまちがいのモト。
女性ばかりだということにさえ気づきませんでした。
二十人ほどいたと思います。
長いテーブルに向かいあうような形で座っていました。
白い布のかかった卓上には、水割りが一杯ずつ。
隣の席の人と、無駄話をしていたのですが、正面の席に、当時、世間でもてはやされていた女性論の学者センセイがいらしたのです。
その女性は二、三度、席を移って、私の左隣にきました。
なんでやねん?!
彼女は唐突に自身の著作を読んだかと、私にたずねました。
あると答えました。年下の女性であっても、相手はエライ先生なので敬語で話すべきだったのでしょうか。
「どうだった?」
と訊かれ、
「どうと言われても――べつになんとも」
その場にいる知人の一人が、その本を読んでひと晩、眠れなかったと言うので借りて読んでいたのですが、私はぐっすり眠れました。
学者センセイはおっしゃいました。
「読んで、考えが変わった?」
「本を一冊読んだくらいで、物の考え方が変わったりせぇへん」
と答えると、センセイは向かいに座っていた女性に、
「このヒト、私の本では、考えがかわらないそうよ」
と言ったとたん、向かいの席の女性がテーブルを叩いて怒鳴りはじめたのです。小学校のときの女性教師を思い出しました。
「どういうことなの!!」とまずわめき、立て板に水の勢いで、いかに私が無知かを言い立てるわけです。
そらもう、びっくりしましたデ。
なんで、フェミニズムとやらに賛同しないと敵になるのかが、ワカラン。
そのときの私は右でも、左でもなく、どちらかというと、団塊世代に属するせいもあってか、しいて言えば左寄りの思考だった気がします。
反論したわけではありません。
その本に書かれることを、どうぞ、実践なさってください。ただし、私は真っ平ごめんですと言っただけなんですけどね。
帰るとき、怒り狂った女性が私に言ったのです。「ここのお勘定ですけど、みなさんは五千円でけっこうです。あなたは、一番、話したので壱万円、払ってください」
ええっ!
一番、しゃべったのが、わたし? あなたサマ、お一人が、私を罵倒しただけとちゃいますか? この騒動に、当の学者センセイはにやにや笑ってご覧になられていらっしゃいました。珍獣でも見るかのように。
若かったこともあり、お相手の手口に無知な私は、壱万円札をテーブルに叩きつけました。もったいないことをしたと、つくづく思います。死に金やったと。ドロボーに追い銭やったと。
その女性は、大阪府の婦人会館の館長サマだったようです。
その後、月刊「F公論」の女性編集長から電話がかかってきました。
編集長サマもその場にいらしたとか。
「関西の女性は、元気でびっくりしました」と言ったあとで、「原稿用紙二十枚程度のエッセイを書いてください」と依頼されました。
陰謀をめぐらしたことのない私は、喜んで引き受けました。
送ると、電話がかかってきて誉めてくださったあと、
「肩書きはどうします?」とおっしゃったのです。
この段階でも、アホの私は教養ある女性がなんのためにわざわざ質問しているのか、わからなかったのです。答えに窮したことだけはたしかです。そのとき、女性編集長サマはこの瞬間を待ちわびていらしたのでしょう。
「小説家ともいえないし」と、おっしゃったのです。
いまnoteに載せている元原稿の小説はすでに商業誌に掲載されていました。それまでにも数作、載せてもらっていました。ただし、単行本は現在に至るまで出ていません。
私はとっさに、「主婦」と書いてくださいと言いました。
掲載誌が送られてくると、私の肩書きは、「小説家志望」となっていました。
このトシになって思い返すと、彼女たちは、学者センセイのお仲間だったのだと気づきます。
私に肩書きのないことを知らしめるためにとった所業だったとしか思えない。
しかも、言ってもないことを、なぜ書くのか。「小説家志望」など一言半句、口にしていないにもかかわらず、なんという中途半端な肩書きを、女性編集長サマはお与えくださったのでしょうか。
親切で書いてあげたとは言わせない。
女性向けの月刊誌であるなら本人の言う「主婦」でなぜ、アカンのか。女性の自立を叫ぶ手前、名もない主婦が、書き手ではダメなのか。その考え方そのものが、ワカラン。
同じ頃、お仲間とも言える某大手新聞の取材を受けました。そのときも、「小説家になりたいと思って書いています。田辺聖子さんを目指します」と、小さな顔写真つきで載ったのです。三面記事にある犯人の顔と同じサイズです。
取材にきた記者をぶっ殺したいと思いました。
ホンマの話、男に生まれてたら、殴りこんでますワ。
いつ、だれが、そんな発言をしたのか、問いただしたい。
小説家になりたくて書いているとは、ひと言も口にしていない。
ましてや、田辺聖子さんを目指すなどと、いくらなんでも、そんな身の程しらずなことを言うはずがない。
当時の田辺聖子氏は、関西でも屈指の女流作家であり、直木賞の選考委員でもありました。
なぜ言わなかったと断言できるのか。私はすでに、出版社に原稿を送るのをやめるつもりでいたからです。
「小説家ともいえない」と言われ、「小説家志望」にすぎないと書かれた直後であったことも重なり、絶望し、挫折感をたっぷり味わいました。なんで、わざわざ、言っていないことを書くのか。
しゃべったことを、その通りに書くのが、メディアの仕事ではないのか。自分たちで、書く内容を決めているのなら、原稿を依頼すんなよ。取材にもくんな。
もうコイツらの仕切る世界では、やってられんと思いました。
それ以外にも、いろんなことがあり過ぎました。小説を書きさえしなければ、起きなかった痛恨事ばかりです。相手は常に肩書きがあり、財力もあり、知性もあり、それらを有しない者を虫ケラのこどくあしらって羞じない。本人にその自覚がない場合さえありました。
いやな思い出は忘れたい。ホトケさんの心境になって、出会ったクソ連中に、「おかげさんで、いまも恨みつらみを書かしてもろてます」と感謝したい。
主婦以外の肩書きがあれば、あるいは名のある方を親族にもっていれば、彼らは虫ケラを人並みに尊重してくれたのでしょうか。
私はいまもかわらず、一冊の本で人生観は変わらないと思っています。
暑い日に交通整理をしているオジサン、子供二人を自転車の前後に乗せて走るお母さん、食堂のおばちゃん、手づくりの豆腐屋のご夫婦。彼らは愚痴りはしても能書きをたれることなどない。一日中、もくもくと働く。そうした人々を目にすると、おのれの浅はかさと愚かさを痛感します。
なんで、あたしはしょうもないことばっかり書いて、長くもない人生の残り時間を浪費するのかと。
ご老公を見よ。
家族のためにひたすら働いてきた。
いまも、雑用を引き受け、腰痛に苦しんでいる。
文学系の本など一冊も、読んだことはない。
その間、悪代官は、ポルノ小説を読み、本番ビデオを見(専用のビデオデッキあり)、半世紀以上、タカラヅカに熱中し、推しのファンクラブに入り、最近では長女に叱られる始末。
「なんで、ママは、ひと言の相談もせんと、わたしらのぶんまでファンクラブに入会するンよ」
「あたしもトシやし、いまさら入るつもりはなかったンやけど、宙組のみんなのこと思うと、ここで一人でもぎょうさん、入会せんことには、キキちゃんの助けにならへん」
入会の手続きがすむ頃には、初日をたのしみにしてくれるようになりました。ひと安心。
すべて世は事もなし。
これを書いて、袋叩きにあうかもしれませんが、安らかな心境です。
エッセイだけは読むご老公が、「いらんことばっかり、なんで書くねん」と文句をたれるやろなぁと案じつつも。