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物語の作り方 No.11

 第5回 誰をどれだけ書くか。

1)主人公とその他の人物の違いについて。

 プロットのところで、おおまかな説明をしましたが、今回はより詳しく解説したいと思います。視点の対象となる人物の中で、その外形と行動と心理がもっとも詳細に表現されている人物が主人公です。これを「円球的人物」と言います。

 自分自身におきかえて考えてみてください。あなたの心の動きをもっともよく知る人物は誰なのか?

 あなたの心理状態をもれなく知る人物はあなた自身をおいて他にない。他人の心理は想像し、推し量ることはできても、自身の心の動きのように切実に感じられない。
 小説や自分史においても同じで、主人公以外の人物の外形はともかく心理は憶測と推量で表わされます。主人公以外の人物、それが仮に副主人公であっても、その心理は憶測と推量の形式で表現されます。これら主人公以外の人間を「扁平的人物」と言います。

2)円球的人物(主人公)をどう描くか。

 まず、円を描いてください。そして、団子を串刺しにするように横に線を引いてください。上半分の180度が主人公の目に見える部分(外形)だとします。下半分の180度が目に見えない部分(心理)になります。心理学における意識と潜在意識の区分けと同じようなものだと思っていただければよいかと思います。

 登場人物の中で、ただ一人、360度、描かれる人物が主人公です。名前、あだ名、年齢、職業、地位、身体的特徴、性格と癖、趣向、生い立ちと境遇、経済状況、人間関係などが上半分。ただし、けっして、ひとまとめにして作中で書かないでください。物語の進行にそって、上記の情報が次第にわかるように記述します。
 問題は下半分。エンタメ小説の典型的なヒーロー像でない限り、心の内側にはスキャンダル的要素がふくまれます。「あの人は外ヅラはいいけど、内ヅラが悪い」と言う悪口をよく耳にしますよね? 
 自分史であっても、他人に知られたくない心の闇や、口が避けても話したくない事柄。それらが省かれていると、スラスラと読める利点はあっても感動が薄く物足りない印象を受けます。
 現代社会においては、ストレスフリーの物語が好まれると言われています。私の解説は時代錯誤もはなはだしいと思われる方も多数いらっしゃると思います。しかし、敢えて書かせていただきます。

 なぜ、内ヅラを書かなくてはならないのか?

 主人公の隠された心理がストーリーの動機になり、物語全体を形づくっていくからです。こんなふうに書くと、主人公を悪人に設定しなくてはならないのかとお叱りを受ける危惧が否めないのですが、要は、物語の主軸となる主人公には陰影が求められるということです。
 以下に、宮本輝の「幻の光」から引用しておきます。

「ゆみちゃん、まだほかにも、ぎょうさんそばかす隠してるのんと違うか」
 それは子供の頃から仲の良かったあんたがはじめて口にした、わたしへの何やら怪しげな言葉やった。わたしはその瞬間、みぞおちのあたりをきゅうんとさせさせながら、恥ずかしそうな振りをして笑い返したのやけど、言葉の意味がわかってたつもりのわたしは、何の理由もなしに自殺してしもたあんたのことを考えるたびに、それは女の体のことやなかったかと気づくようになった。

 視点が誰にあろうと、物語を牽引するのはあくまで主人公です。主人公の生き方――どう考え、行動したかを言葉で描く必要があります。そのさいの留意点は、「人生の測りがたさ」を主人公の身辺に漂わせて描写できればベストなのですが……これがむつかしい。

3)書き出しの主人公と、結びの主人公は変化しなくてはならない。
 虚構の物語であろうと、自分史であろうと、主人公が書き出しと結びでなんの変化もないと、その作家の次作品を読もうと思わない。しかし、ノーベル文学賞を受賞した作品。クッツェーの「夷狄を待ちながら」を読むと、主人公の男が、物語のはじめと終わりでどう変わったのか、わかりにくい。

 架空の帝国の民生官である初老の男は、城壁に囲まれた辺境の町に住んでいる。家族もない主人公の唯一の趣味は、遺蹟を掘り返し、木片を収拾することだった。そこに帝国から派遣された軍人の一行がやってくる。遊牧民の夷狄がこの町を襲撃すると伝える軍人は夷狄の少女を拷問し、不自由な体にする。主人公はこの少女に惹かれて身辺におくが、そのために塗炭の苦しみを味わう。為すスベがない。
 大きな町で夷狄との戦いがはじまり、帝国の軍人らは去る。主人公は発掘した木片を、夷狄がくる前に埋め直す。変化はこの一事しかない。
 後書きの解説を読むまでは、それすらも気づかない。エンタメ小説のように暴力シーンは次から次へと描かれるが、主人公は傍観者の立場なので加わることはない。結末近くで、自身が拷問されるが、能動的になることは最後までない。ないないづくしで、夷狄の少女が遊牧民を率いて、この町に攻めてくるのを、男は静かに待つ。

 読み終えると、暗い気分になります。暴力に暴力で対抗できる人は少数だと思うからです。

4)扁平的人間(副主人公)をどう描くか。

 円に横線と縦線を引くと、四分割されます。上の二分の一と下の二分の一を合わせた180度が副主人公。主人公に比べて半分の記述でいいのです。ホームズとワトソン君、ポアロとヘイスティング大佐のような感じでしょうか。もちろん、ミステリー小説の副主人公は犯人なのですが、記述の分量の比較でいうと、ワトソン君もヘイスティング大佐も少なくありません。ちなみに、「シャーロックホームズ」の視点は、ワトソン君です。

 主人公に視点がある場合とない場合、どちらであっても、副主人公の外形は描写できますが、心理は、本人の会話や仕草や表情、あるいはそれ以外の登場人物の会話から推量し、憶測するしかない。「彼はしきりに瞬きをするので、神経質なのかもしれない」というふうに。
 あなたが、ご自身のお母様を主人公にして書く場合、視点があなたにあれば、お母様の心理は憶測するしかない。あなたがお母様に成り代わって書けば、心理描写はたやすくなりますが、そこに登場するあなた自身の心理は客観的にしか書けない。簡単な約束事ですが、しばしば混乱が起きるのです。

 母が死んだ。四月七日月曜日、ポントワーズの病院付属の養老院でだった。二年前に、私が彼女をそこに預けたのだ。看護人が電話で言った。「お母様が今朝お亡くなりになりました。朝食のあとでした」時計はほぼ十時を指していた。            
 アニー・エルノー「ある女

 この小説の書き出しは、カミュの「異邦人」の書き出し、「ママンが死んだ」を踏襲しています。こういう書き方もあるのかと、驚いた記憶がいまも残っています。

5)主人公と副主人公は、どこで出すか。
 物語がはじまって、なるべく早い段階で、二人を登場させる。

 確かにつぐみは、いやな女の子だった。
 漁業と観光で静かに回る故郷を離れて、私は東京の大学へ進学した。ここでの毎日もまた、とても楽しい。
 私は白河まりあ。聖母の名を持つ。
 吉本ばなな「TUGUMI

 吉本ばなな作品の中で「キッチン」につぐ人気作となった「TUGUMI」です。どちらも一人称小説ですが、「キッチン」での 「私」が主人公ですが、「TUGUMI」に登場する「私」は副主人公です。視点は同じであっても、この物語での「私」は自身のことより主人公のつぐみについて語る役割を担っています。

 五番街に日がさしているころ、二人はプレヴールを出た。二月でも、日ざしは暖かく、いかにも日曜日の朝らしかった――バスも、連れ立ってのんびりと歩いている身なりのいい人たちも、ウィンドウをとざしてひっそりとした建物も。
 マイクルはフランセスの腕をしっかりとかかえながら、陽光を浴びて、ワシントン・スクエアのほうへ歩いていった。
          
 本作は、短篇の傑作として名高い、アーウィン・ショウの「夏服を着た女たち」です。主人公のマイクルが、副主人公の妻のフランセスと散歩をし、立ち寄った店でブランディを飲むだけの短い物語に心理描写は二、三行しかありません。しかし二人の会話から、夫の倦怠感とそれを知る妻の悲しみが痛いほど伝わります。マイクルの視線の先には常に美しい女たちがいるからです。例文にあげた二作品のように視点が一人に定まっている場合の多くは、視点の人物が主人公か、副主人公です。数ある例外の名作として、スコット・フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」をあげておきます。 
 次に、長編小説における多次元視点の場合は、主人公と副主人公はどのように書かれているのかを見てみましょう。

              1
 アレックスはその店で過ごす時間が楽しくてたまらなかった。今日も先ほどからとっかえひっかえ試している。(以下略)
              2
 ル・グエンは選択の余地をくれなかった。
「会話略」
 そして、電話を切った。いつもの癇癪だとカミーユは思った。普段なら気にも留めない程度のものだ。実際カミーユは、部長のル・グエンとおおむねうまくやっている。

 ピエール・ルメトールの「その女、アレックス」は、2014年に日本で出版され、その年のミステリ・ランキングで一位となった作品です。例文は、三部構成の第一部の冒頭となる第一章と第二章です。プロローグをかねた第一章の書き出しに登場する副主人公の女性アレックスは子供の頃に兄とその友人らによって想像を絶する虐待をうけています。第二章から登場する、主人公のカミーユは事件を担当する警部です。二つの異なる視点によって物語は進行しますが、主人公のパートが主軸となります。

 このように読者の意識につよく働きかけるために、主人公と副主人公は物語の冒頭部分に描かれます。推理小説の多くは、犯人の印象をわざと希薄に描く手法がとられますが、その場合は助け手となる副主人公が早々に登場します。わかりきったことばかりの説明ですが、心に止めて下されば幸いです。

6)主人公を中心に人間関係をどう書くか。
  愛憎図と言ってもいいかもしれません。

          どちらとも言えない人物
              ↑
    敵対する人物………主人公………援助する人物
              ↓      
         求める対象(愛、物、権力、謎解き等)

 善悪二元論で、敵と味方を分類するなら、人間関係は描きやすい。主人公の求める対象が愛であったり、富であったり、権力であったり、正義であったりする場合、物語の書き手は、発端から結末までを既定路線にそって書きすすめていけばいいことになります。エンタメ小説の多くは、この形式がとられています。
 善と悪に分類された人物造形が基本だからです。大半の読み手は癒されたいと願う気持ちが強いゆえに、明快なストーリー展開が求められます。
 これが実人生であれば、人間同士の軋轢で逃げ場のない状況になります。結末のさだかでない純文学と自分史は似ています。自分史における主人公を主人公とたらしめるのは、家族関係をどう見るかにかかっていると言っても過言でないと思います。

課題①自作の主人公が何を求めているかを記入し、物語にかかわる人物の配置図を書いてみてください。図式化すると人間関係の全体像が見えてきます。

7)ありきたりな人物描写にならないようにするにはどうすべきか
 登場する人物の気質や容姿をひと言の形容詞で言い表わさないようにします。

〈説明文による人物の紹介〉
 彼女はいつも同じベレー帽をかぶり白いスピッツを連れて、一人で散歩していた。だれひとりこの婦人の素性を知っている者はなく、みんなはただ「犬を連れた奥さん」と呼んでいた。
 チェーホフ「犬を連れた奥さん

 女は俺の部屋の隣に住んでいた。父親は田舎に閑居した退役軍人である。巴里には親類も身寄りもない。彼女は昼間は大学に通い、夜は家庭教師をしたり、子守に出かけたりしてかせいでいた。
  遠藤周作「アデンまで

〈精密な描写による人物の紹介〉
 シャルルは彼女の爪の白さにびっくりした。つややかに光って先が細く、ディエップの象牙細工よりもっときれいにみがかれ、先端をまるく切ってある。手はそんなに美しくない。白さが足りないのだろう。そして関節のところがややぶこつだ。        
 フローベール「ボヴァリー婦人

〈本人の会話による人物の紹介〉
「わたしは世間を知りません。十三のとき修道院に入る決心をしたのですが、その頃わたしはあるヴィジョンを得たのです……ヴィルノの大聖堂で。それから十六のときに、ヴィルノのイエズス会に入りました。わたしは世の中のことは何も知りません。わたしの周囲にいた女性はみな聖女といってよいくらいでした……」
 イヴァシュキェヴィッチ「尼僧ヨアンナ

〈会話と説明文による人物の紹介〉
「虫酸が走る」
 鼠はひととおり指を眺め終えるとそう繰り返した。
 鼠が金持ちの悪口を言うのは今に始まったことではないし、また実際にひどく憎んでもいた。鼠の家にしたところで相当な金持ちだったのだけれど、僕がそれを指摘する度に鼠は決まって、「俺のせいじゃないさ」と言った。
 村上春樹「風の歌を聴け

〈他人の会話による人物の紹介〉
「あれがグレゴールだという考え方を、まずおすてにならなくちゃいけないのよ。あたしたちが長い間そう信じてきたことが、あたしたちの不幸の原因だったんだわ。あれが、いったいどうして、グレゴールなんかであるもんですか。もし本当にグレゴールだったら、人間があんな動物といっしょにはいかないことくらい、とっくの昔にわかってくれて、自分のほうからどこかへ出ていってくれてるでしょうよ。そうしたら兄さんがいなくなってしまうわけですけど、あたしたちはおかげで安心して生活できるし、いつまでも兄さんのことを尊敬しながら思い出せるというもんですわ。だのに、あの動物ときたら、あたしたちは苦しめるし、間借り人は追い出すし、おしまいには家の中全部を平気な顔で占領して、あたしたちまで路地で夜明ししなくちゃならないはめになりそうだわ」
 フランツ・カフカ「変身

 この中で最も多く使われるのが、最初の説明文による人物紹介ではないかと思います。短編の場合はとくに顕著に見られる技法ですが、チェーホフの作品は説明文であっても秀逸です。

 同じ行数を使っても、忘れがたい文章はたしかにあります。どうすればそのような文章が書けるのか?

 登場する人物の容姿や気質をひと言の形容詞で言い表さないように気をつけるしか方法はありません。「ボヴァリー夫人」のフローベールは、主人公の印象を手の描写で表現しています。爪の手入れから虚栄心が強いこと、手の荒れぐあいから身分が高くないことなどが読みとれます。
 他の三つですが、視点が主人公以外の他者にある場合は問題ないのですが、視点が主人公本人にある場合は、容姿の説明に工夫が必要になります。鏡に映る自分を描写するか、誰かが自分をどのように感じているかを会話で書かなくてはなりません。
 百年たっても古くならないカフカの「変身」を例にあげます。
 ある朝、目覚めると主人公のザムザは虫になっていました。引きこもりや出社拒否のなかった時代の小説です。公務員だったカフカは、両親と妹を扶養していました。カフカは病を得たのちに、自己を虫に変容した物語を書きました。主人公の名前の「ザムザ」は実名の「カフカ」と母音が同じです。
 異形の生き物となったザムザに妹は言い放ちます。「あたしたちの不幸の原因だ」と。カフカは肺結核でした。感染症の不治の病を患ったカフカを、家族は重荷に感じたはずです。仲間うちでは、その才能を認められていましたが、家族には、理解されませんでした。
 主要人物の紹介は、小説は言うにおよばす、自分史であっても物語のカナメです。活字だけで、読み手に生きた人間を想像させることは至難の業ですが、主人公を生かすも殺すも書き手のあなたの腕次第だと思うと、たのしくなりませんか?

 課題②自作の主人公を描写してください。

 長文にお目通しくださり、ありがとうございます。お役に立つ情報でないことは、本人が一番、わかっております。


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