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大野晋著「日本語練習帳」(岩波新書)⑤
1 言葉に敏感になろう。
ものをとらえる角度によって単語がかわる。
練習⑤
a意味が通る
b意味が通じる
c道が通っている
d道が通じている
aとb、cとdはそれぞれどちらも、およそ同じ意味で使われます。ところが、
e声が通る
f声が通じる
この場合、fはなんとなく変です。「通る」と「通じる」とは本質的にどこかが違う。「意味が通る」と「意味が通じる」も実は違う。どこが違うか書いてください。
この問題の先生の解説は長い。お読みいただければ、うむふむと納得し、「意味が通る」文章を書かなくてはならないと肝に命じる思いますが、踏ん張って書いても読み手に「意味が通じる」文章は生半可な努力では書けない。
先生は以下のように書いておられます。
「意味が通る」とは、意味が「まっすぐに鮮明に貫通する」こと。
「意味が通じる」といえば、「多少の曲折はあっても、ほそぼそとでも理解できる」ということ。
駄文を読み返すと、鮮明に貫通する文章をつづる能力に著しく欠けていることになりはしないか――暗澹たる気分に陥りますが、これを改良するには、語彙力をつける方法しかない。
自分を引きつける文章を熟読して、文脈ごと覚えるのがよいと先生はおっしゃっておられますが、そうやすやすと語彙のストックは増えない、書き留めても凡庸な脳細胞は記憶できない。
ありきたりではない文章をつくる単語の組み合わせを、考え出すのはさらにはむずかしい。
先生は大江健三郎氏の『万蔓延元のフットボール』をあげておられます。私にとっては、繰り返しになりますが、綿矢りさ氏の『蹴りたい背中』の書き出しの一行目、「さびしさが鳴る」でしょうか。
綿矢りさ氏と同時に芥川賞を受賞した金原ひとみ氏の『蛇にピアス』のタイトルも忘れがたい。
蛇には耳がない。どこにピアスを付けるのか?
語彙力と感性が合わさると、だれも思いつかない言葉の組み合わせが生まれるのだと思っています。
次回は漢語についてです。
付け足し)
無礼者としばしば言われる私の声はよく通りますが、だれかを労わるときの声は大声で言っても通じません。