なぜ私は、7割方のゲームをクリアできないのか
「積みゲー」よ、私を赦したまえ。
あなたは1つのゲームをどれくらいやり込みますか?
少し思い返してみてほしい。
メインストーリークリアまでだったり、クリア後の要素まで埋めなければ気が済まなかったり、その答えは人によって様々だとは思う。
しかし、少なくとも私よりはその作品を遊んでいるのではなかろうか。
私はゲームを始めても、よくクリアする前に挫折してしまうのだ。
そして、いわゆる「積みゲー」が無限に増えていく。
「サイバーパンク2077」、「スカイリム」、「ウィッチャー3」、「原神」といった名作オープンワールドゲームは大体序盤の村で止まっている。オープンワールドで最後まで遊んだの「ウォッチドッグス2」くらいじゃないか?
ところで無数の3DSソフトたちは何年放置するのか。もうハードが動くか怪しいぞ。おまけにPS4版「ワンダと巨像」のパッケージが続きを遊べと私を見ている。あ!お前は「(任意のゲーム名を入力)」!!
私は今まで沢山のゲームを積んできた。
中途半端に進めている分もう一度やる気が起きにくい点では、買ったまま放置するタイプの積みゲーより一層たちが悪い。
おまけにソシャゲの類は、たいてい3日でアプリを開かなくなる。
デイリークエストがまず面倒になるのだ。
育成とかイベントとかを無視しても一応遊べてしまう音ゲージャンルを除くと、スマホゲームは全く続かない。
なるほど。きっとこいつはソロプレイ作品よりも、「スプラトゥーン」とか「APEX」みたいな対戦ゲームが好きなんだろうと思うかもしれない。
残念。そんなことはない。
そもそも、PvPはそんなにやらない。
高頻度で変化していく環境と並走し続ける体力は私に残っていなかった。
友人と遊ぶために買った「スプラトゥーン3」はマジで友人と遊ぶとき以外起動していない。
そんな私でも、音ゲーだけは7年くらい続けているのは謎である。
さて、ここまで読んだあなたは
「お前本当にゲーム好きなの?」
そんなツッコミを入れたくなると思う。
しかしだ。
しかし、それでも新しいゲームはついつい遊びたくなってしまう。
ゲームライブラリから目を背けながら。
ああ……FF16楽しみだなぁ……
自分でも思う。
本当に行動が謎である。
積むのが趣味のようなものじゃないか。
ピクシブ百科事典の”積みゲー”の記事が「末期かも知れない。病院が来い。」と言うような様である。畜生め!
さて、ここからが本題。
なぜ自分は、だいたい途中で遊びたくなくなることがわかっている筈なのに、それでもゲームを始めてしまうのか。
そんなことについて考えたいので、まずは「一般的なゲームの楽しさ」から考察してみよう。
なんでそんなにゲームが好きなんですか?
まず、こちらの動画をみてほしい。
この動画の中で、カービィとスマブラの生みの親である桜井政博氏は「リスクを冒してリターンを得る」ことがゲーム性の本質であると説明している。
リスクが最大になるときに、リターンも最大になる。これが”かけひき”を生む。そして、最低のリスクで最高のリターンを得る工夫や努力がプレイヤーの腕の見せどころ。
これはゲームの楽しさの核である「ゲーム性」の説明として、とても腑に落ちる。
「このゲームやめたら?」と、味方に対する罵詈雑言を独り言として叫び続けながら「#コンパス」を遊ぶ高校時代の同級生も、リターンのために多大なストレスと戦い続けているのだろう。奴は「ゲーム性」に人間性を破壊されたのだ。お前このゲームやめたら?
ところで、別の方向に視線を移してみよう。
ここでは、もうひとりの友人が「古戦場から逃げるな」と自らを奮い立たせながら某スマホゲームをしている。
そこで思った。どうも「ゲーム性」以外の要素を楽しむゲーマーもいるらしい。
・ソシャゲで報酬のためにイベント周回をする。
・収集要素をコンプリートするために広大なマップを駆けずり回る。
・ボスを楽々倒すために、ザコ敵を狩りまくってレベルを最大限上げる。
こういった遊び方は、リスクやリターンの駆け引きとは別次元のものであると思うのだ。
言わば「労力に対して、適切な報酬が貰える」楽しみ。
この記事では、これを「やりこみ性」と呼んでみようと思う。
さて、ゲームの楽しさを「ゲーム性」と「やりこみ性」に分類してみた。
ほとんどの作品では、比重は違えどその両方の要素が含まれているはずだ。
「ゲーム性」が強めの”e-Sports系”や”アクションゲーム”のような作品が好きなゲーマーも、「やりこみ性」が強い”シミュレーションゲーム”や”RPG”のような作品が好きなゲーマーも、それぞれ楽しくゲームを遊んでいる。一見平和には見えないが、多様な世界だ。
しかし、ゲームを積みまくる私がゲームに感じている楽しさというものは、これらとは少し違うように思うのだ。
ゲームの楽しみ方には、もっと多様性がある。
私にとってのゲームの楽しみ
ゲームを始めると、独創的な世界観や美しいグラフィックで描かれた新たな世界が広がり、これまでとは一味違った動きを持った新しい自分としての一歩を踏み出す。そしてゲームが進むにつれ、できることが増えていく。
私はゲームを遊んだときの、この感動が好きなのだ。
さらにゲームを進めると、ゲームに慣れてきたプレイヤーにとっての「体験」の新鮮さは薄れていく。そして、それに置き換わるようにゲームの核である「ゲーム性」や「やりこみ性」といったものが深まっていく。
ゲームのゲームらしい遊びが始まっていくトランジション。
このタイミングで、私はそのゲームに飽きがちだ。
つまるところ、私はゲームに「体験」を求めているのだ。
ゲームってだいたいオープニングがいちばん楽しいよね!
というのが、私の内心である。
たとえば、「ホグワーツレガシー」では、発見に満ちたホグワーツ城の探索や新たな魔法の習得がひと段落して、ゲームの主軸が城の外のダンジョン攻略や悪の組織との戦闘に移ってきたタイミングで、急速に飽きが来てプレイ頻度が減っていった。
新たな「体験」がだんだんと得られなくなってきた頃合い、私が最初にあれほどワクワクしながら遊んでいた作品は積みゲーとなるのだ。
ちなみに私はゲームに「体験」を求めているので、「操作自体が気持ちいい」ゲームは最後まで楽しめることが多い。Hi-Fi RUSHやソニックフロンティアは最後まで夢中で遊べた。
念押しするけど、Hi-Fi RUSHめっちゃ面白いよ。
他にも、「ペルソナ5」はプレイ時間が非常に長いJRPGであるが、「ダイナミックかつ軽快な操作性」(+ダレないダンジョン構造やストーリーの優秀さなど)のおかげで、最後まで楽しめた。
そもそも、私の一番好きなジャンルである「音楽ゲーム」は「リズムに合わせてボタンを押すと楽しい!」という本能的な快感に基づいたゲームなのだ。
ちなみに、音ゲーの「リズムに合わせて体を動かす」楽しさのような「操作自体の快感」は尽きることのないものなので、7年間やっても未だに飽きがきていない。
そして、その過程で「ゲーム性」や「やりこみ性」も楽しめている。
「ゲーム性」や「やりこみ性」が私にとって不要だと言いたいわけでは無いことは、ご理解いただきたい。
それ以前の原動力として、「体験」が一番のモチベーションになっているということだ。
”サッカー”が好きというよりも、”ボールを蹴ること”が好きみたいなことなのかなぁ……
ぜひコメントで、あなたのプレイスタイルを教えていただけると嬉しいです!
それでは!
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