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誰にも参考にならないズタボロ博士課程記
ここまでの日々を思うとひどいもんで、
よくもまあ進学したなと我ながら感心してしまう。
博士課程1年め。
4月のガイダンスで久しぶりに人と会って、
こんなに時間が経っていたのか?と本気で思って焦った。
修士論文は、コロナ真っ盛りのなかでの執筆だったから誰にも会わなかったんだよね。
修士は一生懸命やっていたはずなのに、なぜあんなに焦ったのか分からない。けど、この焦りを放置したのがまずかった。
できたことは、
・給与型奨学金に合格
・研究助成金に合格
これはとてもよかった。
予想外で大変だったのは、
・文献の閲覧規制の延長
・論文が書けない
・本文の研究の闇を見た
これはもう我が神経をゴリゴリに削った。
コロナの規制が思ったよりも厳しく長く続き、
見に行くべき文献が見れない&複写できない状況。
ただ、幸いにも研究援助金の計画変更ができたので、大幅に計画変更して文献は複写依頼をして取り寄せた。自腹も切ったけど、助成金なかったら何十万かかってたか…本当にありがたかった。
ここで届いたものをかたっぱしから本文研究はじめたけれど、
予想以上の揺れに脳みそがキャパオーバー。
やればやるほど、どう整理していいかも分からず、時間消費が甚大に。
さらにゼミは2人+聴講生ということで、
すぐさま発表が回ってくる。混乱の収集がつかなくなっていった感じ。
さらにここでの混乱が論文にも響き、どうにか書いたものの完敗。
教授からいわれた「文章が固くなっちゃったね」ってことばが悲しかった。昔できてたことができなくなるってすごく、悲しい。
結局この年は、学会発表のみで論文は出せなかった。あと学振は落ちた。
博士課程2年め。
今年は、論文を通して学会発表をしよう。
去年を乗り越えてがんばるのだ。と意気込み、
まずできたことは
・学会発表
・論文の投稿(結果はひとまずおいとく)
・イベントの登壇者に選出
・給付型奨学金の合格
これだけ見ると、まあ頑張ってはいた。
と思っていたのですけど、
今思うともう4月から病んでた。
頑張って書き上げた助成金申請と学振。
なぜかもうだめだと泣きまくってすべて出さず。
どうにか5月に論文を投稿したけれど、結局不採用に。
でもここでめげずに、不採用結果を踏まえつつ夏には学会発表した。
怖いのは、あんなに混乱してる割に人前にたつとシャキシャキ応えられるところである。
よし、この内容を夏休みに執筆しよう!と意気込んで夏休みへ。
夏休み
フィールドワークにいけたのはよかった。心が落ち着いた。しかし予想外の飼い犬と祖母の介護+コロナ感染のトリプルパンチ。味覚が死亡。
家中が疲弊しきってた。こんな中でもやるべきことをやれるならよかった。
でも私はできなかった。
冗談抜きで毎日毎日、できない自分を責めて
どんどんできなくなっていって、もう研究も論文もできなかった。
執筆が進まないなか、どうにか9月に発表。
でも発表をした後、ストッパーがなくなってしまった。少し休むことに。
休んでいるうちに研究のことや今後の整理がしたくなったので、客観的に見てもらおうと相談所にいったらすぐに病院行き。
しっかりうつ病だった。ただ、夏に応募していたスピーチイベントの登壇が決定してしまい、
何もしないのは逆にまずい気がするということで、半年間はアルバイトしつつ準備をしてイベントに登壇。
いざイベントに出て話してみたら、
やっぱり「書く」作業がないと話せないんだなと気づき、もう一度研究と向き合ってみたいと思うようになった。
が、しかし、何回か指導教員と面談したのだけど、面談のたびに失言を繰り返し、教授との仲が最悪になってしまった。この反省は自分のなかに留めておくけど、この関係性の悪化が一番響いた。
3年で出る考えがでてきたのはこの時だったかな。(そもそも最初から3年で出れるとは考えてなかったので、そこらへんは理系の人たちとは違うかもしれない。)
じゃあ残り1年で何ができるか
博士課程3年め。
何がしたいのか、何ができるのか、何が好きで何が嫌いなのか。
自分と生活全般を見直して、春休みは論文執筆と個人研究2つに取り組んだ。
結果、他の先生にも添削していただくこともできたし、どうにか論文の再投稿が叶った。自信も少しずつついてきて、少しずつ発言回数も増えていった。
そのなかで、久しぶりの研究発表。
大ごけ。大転倒スマッシュブラザーズ・・・
問題意識と方法は妥当だったけど、そもそもの読解の甘さからこの論では成り立たないことが判明。どうにか成果を出さなきゃって意識が研究にでてしまってたことに気づいた。自分で読解の甘さに気づけなかったことがショックでへこんだ。
自分で信じ切ってるときこそ危ないVS自分を信じないと研究できない。なんとまあ難しい。
ここから先、学会発表して論文書いて、調査して…を計画していたけど、またいらん自意識が顔を出し始めて、劣等感がすごい。論文読めば動悸がするし、先日は発言もできなかった。
わたしの描く未来は、決して研究者になることではない。誤解され続けてきた研究対象がもつ力を伝え直したい一心でここまできた。
でも、無力感で身動きがとれない。全然自分や未来のことを考えてこなかったんじゃないか。
指導教員にももう相談することができない。
それでも私はまだ研究をするんだろうか。
それでも論文を読む私がいるのは、なんでなんだろうね。