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#シロクマ文芸部 金色に染まる二人
金色に染まった海 今週の題目を頂いた時 真っ先に思い浮かんだのが上の写真の絵でした。
当時小学生の息子が 目を輝かせて帰ってきた。
「乗田君の家に遊びに行ったら、オジチャンがホットケーキ焼いてご馳走してくれたんだよ」興奮した様子でその日のことをしゃべり始めた。
「お部屋に大きな絵がいっぱいあって赤や青の海や山の絵 オジチャン絵を描いてる人だって言ってたよ」
私はこんな田舎の町に有名な画家がいるなんて夢にも思わず、『絵を生業にしてるなんて大変だろうな』位しか考えが及ばなかった。
子供が取り持つ縁で 奥様と知り合い
乗田先生ともお話しする機会が有り
短い間ではあったが 多大なエネルギーを頂いた。
画家乗田貞勝先生は 佐賀県鹿島市で生まれ 鍋島藩の藩主の教育係を仰せつかる名門の旧家に育ち 九人兄弟の八番目に生まれ 皆 『貞』の文字が一文字付いている。先生以外は大学教授
検事 医者と錚々たる経歴の中にあって先生は 相当異質な存在だったらしい。学業よりも野山を駆け回り、近所では 大変なガキ大将であったそうだ。ただ 小さい時から絵を描くことが好きで やんちゃな少年がそのまま大人になったような 可愛さがあった。
大学卒業後 ヨーロッパに絵を学びに遊学しその後地元で美術教師として勤め その間には日展に三年連続して入選するなど佐賀県内では 名を馳せていた。芸術家同士の結婚 二人の子供
中央画壇からも熱い視線を送られていたにも関わらず 全てを手放すことに…、
あげくには 生家からも縁を切られどん底の中にいた。原因はある女の人を愛してしまったから
好きなことにはとことんのめり込む
結婚していようと 愛した女性に一途にのめり込んでしまったのだ。
全てを投げだし新天地を求め バリの地へ、そこで自然に触れ 大きなるものに生かされていることを知り 天と土 光と影 人と自然をテーマに現場主義を貫き バリのゴッホとまで呼ばれるようになっていた。
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私が乗田先生に出会ったのもこの時期で 東京で個展をすれば全て完売
バリ島と日本を往復する充実した日々を送っておられた。
どこへ行くにもご夫婦一緒 背が高く赤銅色に焼けた肩幅の広い先生と 華奢で鎖骨の美しいひろこママ
二人が連れだって歩けば 芸能人のような華やかさがあった。
先生の提案で 自主映画の上映会を主催した。『地球交響曲 ガイアシンフォニー』監督 龍村仁さん ドキュメンタリー映画で 実行委員として参加することで 私も大きなエネルギーを頂いた。ジャック・マイオール ダライ・ラマ
星野道夫 佐藤初女 エンヤ 色々なスピリチュアルな人がいることを知った。
あれから何年経ったでしょうか…
去年市の図書館の展示場で乗田先生の個展が久々に開かれ町の話題になっていた。
しかし 傍らには ひろこママの姿は無かった。人づてに亡くなったことを知る。
離婚がきまり晴れて夫婦になった日
嬉しさに火照る体を鎮めるように雨の中を二人濡れながら夜の道をどこまでも歩いたんだと ポツリと言った言葉をいまでも思い出す。
先生の絵は高くて買えなかったけど
この『赤い道』 先生の生き様を綴った本は大切に持っている。
金色はから始めるエッセイを書くにあたって久しぶりに開いてみた。
そして 発見したのだ
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乗田先生とひろこママが仲よく寄り添って海を眺めているのを クタの海で
未だその夕日は色褪せてはいなかった
終わり
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