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#シロクマ文芸部 初めての客
初めての客だと貴美子は挨拶を交わして感じた。海の見える海岸沿いの小さなBarには似合わない垢抜けた青年であった。カウンターに座り見慣れない名前のボトルを目で追いながら何も言い出せず、少し間が空いた。
「お客さん、日本のウイスキーもありますからお好きな銘柄おしゃてください」
青年は顎に手を乗せ指で顔を弾きながら「じゃあラフロイグ、ロックで」
貴美子は少し驚いた顔でスコッチウイスキーのシングルモルトの棚に手を伸ばした。グラスにアイスピックで割った氷を落としグラスにトクトクとそそぎチェイサーを添えて青年の前に置いた。
「どうぞ」
青年は軽く会釈し、グラスをカラリと回し暫く眺めて、おもむろに口に含んだ。青年は口尻をあげ、私に向かって微笑んだ。
「懐かしい」
貴美子はとっさに「ライロイグに思い出でも…、」と問いかけた
「以前会社の出張でイギリスに二週間程滞在しましてその時、ビートルズのリバプールに始まって湖水地方や足を伸ばしてスコットランドまで、そこでスコッチウイスキーを知ったんです。スペイ川沿いの蒸留酒から始まって遂に辿り着いたのがアイラ島の入り江に面した所にライロイグの蒸留所を見つけ、
余りの美しい建物に魅せられて足を踏み入れてからの付き合いなんです」
貴美子は頷きながら、「初めてのスコッチウイスキーがラフロイグなんて普通いませんよ、口内消毒液のイソジン飲んでるみたいだって敬遠される方が殆ど」と貴美子はおどけて言った。
青年は困ったように笑い
「最初の洗礼が正にこの地の人そのものを表しているなと直感で…、無愛想だけど懐に入ると素朴で実直な人、海も空も黒々して荒涼としているのになぜが人が温かいんですよ」
貴美子もこの青年以外に熱いと思いながら
「素敵ね、実際にアイラ島に渡ったのね。うちの主人大変なモルトウイスキーの収集家だったのね、休みの日なんか酒屋巡りしてやれ20年もの見つけたとか嬉々として大事そうに抱えて帰って来てた。でも大半を味わう間もなく亡くなっちゃけどね、悔しいからこんなBar始めちゃたのよ」
今度は青年の方が驚いたようでまたちびりとグラスを傾けた
「それはお寂しいですね」
「そんなことなぁーい、毎日楽しくやってます」
青年は顔をあげ
「カウンターの前大きく窓を切ってますが彼方は海ですか」
貴美子は振り返り
「そう西果ての海、夕日の落ちる瞬間から夜のとばり、星降る夜の闇、そしてBGMは波音かしらね」
貴美子は少し間を開けてしゃべり始めた
「夕日が海に落ちるのを眺めているとね、涙がすぅーと流れてきてね、いろんなことが走馬灯のように思い出されて仕方がなかった、でもお客さんのおかげで救われたの、ウイスキーなんかハイボールか焼酎割しか知らない人達なんだけどやれ魚釣れたから裁いて食べろとかバカ話して笑わせてくれたの
ありがたかったわ」
青年はグラスをあけ
「ラフロイグの隣の蒸留所ラガヴーリンもありますね、こちらもロックで」
「えぇ承知しました」
「主人もラガヴーリン一度おとずれたいと言ってたような…、ラガヴーリンの蒸留所はホワイトホースの馬の看板が出迎えてくれるそうで、ここのポットスチルが一度見てみたいとまるでうわごとのように言ってたわ」
「えぇまるで巨人のように大きくて威風堂々としてましたね」
青年は暫く黙って波音を聞きながら
旅の余韻に浸っていた。
「都会の喧騒を逃れて知らない土地のBarにふらりと立ち寄り重い扉を開けるとこんなご褒美があったなんて」
貴美子は嬉しそうに笑い
「いつでも帰って来て、そして思い思いの自由な時間を楽しんでね」
漆黒の闇を横切るように最終便の飛行機の点滅が窓から見えた。
青年は軽く会釈してまた来ますと手を振って帰って行った。
Bar渚 ありきたりの名前だけれど
誰かの心の片隅に少しばかりの灯りとなれたらそれでいい…。
しばし夢の話なんぞ
Bar渚でお会いしましょう
終わり
シロクマ文芸部 今年最初のお題
初めてのから始まるお話
私もこんな海を眺めながらのBarやってみたいなの願望からnoteの中でBar渚開店しました。寂しい人ホッコリママちゃんが待っておりますよ~。また主人亡き者にしてしまった💦💦
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