
[#シロクマ文芸部]働いて (働く、歯車になれ)
「働いてみようかな」
僕は 炊事をしている母の背中越しに
ぼそりとつぶやいた。
母は 皿洗いの手を止めて
こちらへ振り返った。
「マナト今なんて言ったの、 働くって言わなかった?」
マナトは慌てて階段を昇りながら
「とりあえず明日からだから 色々聞かないで欲しい」
僕は部屋のドアをバタリと閉めた。
「言えた、」僕はゴクリとつばを飲み込んだ。
僕の人生は中高一貫校 大学 大学院 上級公務員それまでは順調に階段を昇った。
はずたった…
一ヶ月の研修を終えて同期がそれぞれの部署に配属された。
それからなんだ
朝目覚めると激しい動悸と吐き気
ベットから起き上がることも出来なくなった。半年の療養の後、 快方の兆しはなく あえなく退職届けを出した。
それ以来 部屋にこもり窓の外の雲を眺めて過ごす日々が続いている。
そんなある日
僕の部屋のベランダに猫がやってくるようになった。
じっと眺めていたら実に伸びやかに前脚を日に当て毛繕いをしている。僕にお尻を向けて日がな一日寝そべっている。だけどある時、 気が付いたんだ。 「この猫ぼくのこと心配してくれてるのかな、お前を見てるだけで胸の中の塊が溶けていきそうだから」
僕は猫に
『ひるね』と名を付けた、いつも寝てばっかりだから
僕は調子の良いときは部屋を出て家の周りを散歩出来るようになった。
すると町内の外れで ひるねを見つけたんだ。
日に焼けて薄汚れた暖簾には たこ焼きの文字、 その店の軒下の椅子に丸まっていた。
僕は思わず駆け寄り「ひるね お前はここの子だったのか そっかー」
しやがみこんで 頭をなでていると
たこ焼き屋の店主と目が合った。
「お兄ちゃん うちのタマ知ってんの」
僕は一瞬たじろいだ「タマ タマってんだ…」
「えぇ 僕んちのベランダによく」
店主は「道理でちょと前までふらっと出て行って帰って来るのは夕方、彼女でも出来たかと思ってたよ、すまないね 良かったらたこ焼き持ってかない」僕の手に出来たてのたこ焼きをのせてくれた。それ以来 ひるね、 いえ タマに会いに店に通うようになった。
そんなある日 たこ焼き屋の店主の奥さんが 僕の顔を見るなり
「マナちゃん うちで働いてくれないお願い」
「どうしたんですか いきなり」
「亭主がね 夜階段を踏み外しちゃて骨折したのよ」奥さんは僕に向かって手を合わせている。
「僕にできますか」
「大丈夫 手取り足取り教えるから」
タマが僕の足に絡みついてきた
タマにもお願いされてる やるしかないか…
「そっ そうですね やってみます」
そんな経緯で 僕はひきこもりから無理矢理引き出された。
仕事初日おばちゃんは嬉しそうだった。
「いいかい 毎日一つずつ覚えてもらうよ まずは タコ これを均一に切り分けんだよ 大きいの小さいのあったら嫌だろ」
次の日は 仕込み出しと小麦粉の合わせ方
「 一日一日一つをしっかり覚えて それの繰り返しそれが自然に出来れば 働いているって事じゃないのかい」
僕は「はい」と返事して黙々と作業に熱中した。気が付けば1週間過ぎていた。店に来る客の顔も覚え 話も出来るようになった。三代にわたってひいきの戸田さん一家 隣町からわざわざ買いに来る吉岡さん 昼時になると必ずやってくる元大工の棟梁の木下さん中々の繁盛店だった。棟梁は僕の焼いたたこ焼きを合格がでるまで食べてやると宣言してくれた。僕は益々燃えた。
棟梁は色々な話をしてくれた。
中学を出て 師匠に弟子入り小突かれげんこつの日々何度辞めようかと布団被って泣いた話
時には「マナちゃんよ 世間てのは色々な歯車が回って旨く動いてんだろ
家もだな 俺一人じゃ建たねぇ 結(ゆい)なんだな つながり大切にしろよ」
僕が棟梁に合格をもらえた日 店のおじちゃんが松葉杖をついて僕を見ていった。
「もう 大丈夫だな」
「えっ 何が」
「マナちゃんだよ」
「僕が…ですか」
おじちゃんもおばちゃんも二人して頷いた。
「ありがとな、助かったよマナちゃんこれ バイト代」
おじちゃんが 粉でよごれた三万を僕に握らせた。
「たこ焼き屋の才能ありだよ だけどマナちゃんの歯車は別の所で活かしなよ 迷わず進みな」
僕は二人に深々と頭を下げた
「ありがとうございました」
帰り際 「おじさん 履歴書に特技たこ焼きがプロ級って書いちゃ駄目ですか」
おじちゃんは「バカ野郎、十年早ぇえんだよ」と笑って応えた。
僕はタマを探した
いない きっとまた誰かを心配して町をうろついてんだな
「ひるねげんきでな」
どこかで、ひるねの鳴き声がした。
おわり🐱