No.8 姉と私とそれから障害
※これはNo.2の別視点です。まだ読んでない方はそちらからお願いします。
莉々です。noteにも消えたことが書いてあったので、戻ってきたことも書いておきます。戻ってきました。なんかいつの間にnote始めてて、読んでいるとちょっと真実とは違うなって内容のことを書いてあったので訂正がてらお話します。
私は基本人格であり、主人格です。No.2に書かれていたことも私の話です。それを雪音の気持ちと混ぜて話してくれたようです。ですが、雪音の気持ちは私の気持ちではありません。
なので、私の気持ちを書きたいと思って筆をとりました。
私は姉があまり好きではありません。私は嫌いな人というのを作らないようにしているので姉のことが嫌いではありませんが、苦手な部類には入るでしょう。ですがそれは『障害があるから』ではありません。
姉との相性が悪かったからです。
姉は私にたくさんの意地悪をしました。喧嘩もしました。大事なグッズを壊されたりお菓子を食べられたりしました。お母さんはそれを『障害があるから仕方ない』と言いました。ですが、私はそう思いません。この障害の配慮の仕方は間違っていると思っているからです。
障害の配慮って難しいですよね。でも『障害があるから仕方ない』では済まないことってたくさんあります。それを障害のせいにして逃げることはできるでしょうか?障害があっても、ダメなことはダメと教えるべきではないでしょうか。その教える過程で被害を受けた私へのケアがないことで、私は悩んでいました。
ええそうですね。これは姉に適切な指導を行わなかったお母さんのせいとでも言うべきでしょう。お母さんもプロではないです。間違うこともあります。頑張っていたこともわかっています。育児放棄せずにここまで育てたことはすごいと思います。姉に障害があることを誰にも理解されず一人で奮闘してたのは後に聞きました。障害を持つ人を育てることがとても難しいことだということを理解していれば、誰もお母さんを責めることは出来ないと思います。
だからこそ私は『相性が悪かった』としか片付けられないのです。きょうだい児の苦悩はここにあると思います。障害があって大変、ではなく、障害児もその親も責めることができず、自分の辛さに行き場がない状態が大変、だと思うのです。誰のせいにもできない、自分を責めるか環境を呪うかしかできない状況が辛いのだと私は思います。あくまで私個人の意見ですが。
そしてお母さんに「お母さんが死んだらあなたがお姉ちゃんの面倒を死ぬまで見てあげて」って言われた時に泣いたと書いてありましたね。なんでお姉ちゃんとずっと一緒にいなきゃいけないのって。と。
泣いたことは事実ですが、その理由が少し違う意味で雪音に伝わってるなと感じました。
お母さんにそれを言われた時、私は発達障害の診断がおりて間もない時でした。自分が今まで困っていたことが発達障害のせいだとわかった時でした。自分も障害者なんだとショックを受け、同時に安堵もしていた時でした。
お母さんは私に診断がおりても障害者扱いをしませんでした。姉にはずっとしていたのに。それで泣きました。自分も辛いのにそれをお母さんがわかってくれていないんだと知ってしまったから。
姉を支えるのが嫌だとは思いません。今一緒に住まずに、定期的に連絡を取り合ってお互いに助け合っている、これぐらいの距離感で支えられるなら私は支えたいと思っています。
私は社会常識がない分、姉に教えてもらっています。姉は支援級でその辺をたくさん勉強したから私より知識が豊富なのです。でも抜けてるところはたくさんあります。そこを私がフォローしています。
一緒に住むとストレスになるけど、離れて連絡を取り合うことは好きです。嫌いな人を作らないって書いたけど、嫌いになることができないのかもしれないですね。だって私は知っているので。
良いところがない人はいない、と。
姉に障害があるからこそ私は障害者に対して偏見もなく、みんなと同じように接していけるのだと思っています。小さい頃から培っていないと、本心からそう思えないと思います。そこは姉とお母さんのおかげだと思います。
二人とも心の底から好きになることはできないけれど、心の底から嫌いになることもできない、というわけですね。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
これからも色んな視点で書いていきますので、よろしくお願いします。
【莉々】