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パリの空。あの丘へ。
心の糧となる経験を、人は様々な場所で得る。
私にとってのその場所は、パリである。
パリで学んだこと。
それは、「好きなことはずっと自分の中で大切に育んでいく。
仕事に繋げなくてもいい。ずっと好きであり続ける。それがいつか自分の豊かさになっていく。」というもの。
そう教えてくれたのは、パリであり、敬愛する叔父さんである。
学生時代、自分がこれから何をしたいのかわからなかった。働くって、何を動機に決めればいいのか、自分がしたい仕事とは何か。わからなかったのだ。わからない時が続くと、段々と無気力になる。
そんな時に敬愛する叔父さんから、「パリに来ないか?」という誘いを受けた。当時叔父さんはパリに住んでいて、アートに携わる仕事をしていた。ユーモアの塊のような人で、アートや音楽の話、文学に詳しくて、話していると気がほぐれていって自分の悩みなんてちっぽけだなと思わせてくれた人。
自分が何をしたいのか、わからないとふと話したときに、叔父さんは黙って聞いてくれていたが、ふと「パリに来ないか?空気が違うところにバカンスに来るのも、新鮮でいいぞ。よし、決まりだ。チケットを用意するから届いたらそれで来なさい。いいね。親父さんには話をつけておくから。」とまあ強引に私のパリ行きを決めた。
この人は、叔父さんといっても、親族ではない。
父親の学生時代からの親友で、小さい時から一緒に遊んでもらってお世話になっていた。父親とはまた違った味わいの人で、父親のgoサインを待たずに何でも決めて、たまに父親の逆鱗に触れる人だった。パリ行きも父親に相談せずにタッタカと進めてしまい、父親が抗議の電話をかけた。そんな時でも、「いやあ、悪い悪い。ちょうど良い季節だし、良い頃合いだろうと思ってさ。そんなに怒らないでくれよ、長い付き合いだろう?俺とお前の間で今更だろう?」とちゃめっ気たっぷりにいうから父親もそれ以上怒れない。そんな二人の様子や会話のやり取りを見ているのが好きだった。叔父さんの強引さに負けた父親は、「まあ、バカンスだと思っていってくればいい。何事も見聞を広げる良い機会だ。」とパリ行きを許してくれた。
パリは生まれ育った場所とは全然違う空気感だった。
当たり前のことだけれども、街並みも、飛び交う言語も、人々も、食事も、すべてが新鮮で楽しかった。
叔父さんは、毎朝、お気に入りのパン屋さんでバターたっぷりの美味しいクロワッサンを買って、お気に入りのカフェーであついコーヒーを飲むのが日課であり、私もそれに倣った。朝ごはんからおしゃれすぎて、最初はオドオドしたのが懐かしい。勝手がわかっていないのだから、ギャルソンの人に「ça va?」と声をかけられても、どう振る舞って良いのかわからずペコペコする。そんな私を横目で見て、ニヤニヤと笑う腹黒の叔父さん。「パリっ子になるには100年かかるねえ。」と意地悪を言う。「別にパリっ子になろうと思ってきてないんだけど。」と拗ねたふうに言い返すと、「本当に可愛くない子だねえ。前はもっと可愛い子だったのにねえ。でも、僕のお気に入りの子であることは変わりないからね、許すよ。」とサラッと受け流す叔父さん。この空気感が好きだったな。
叔父さんは観光客がいっぱいるところには全然連れていってくれなかった。観光スポットを見に行きたいと言うと、その時だけは少し怒ったふうになって、「君は人を見に行くのかい?それともパリを見に行くのかい?」と的をついているような、外しているような、よくわからない返答をされて、困惑したっけ?単純に人混みが嫌いなだけだった叔父さん。そういってくれれば良いのに、何で変な言い回しをするのだろう。それも叔父さんの面白いところだったけれど。
だから、結局は観光地は連れていってくれなかった。ただ何も言わずに、パリの下町や教会、アートが集まる場所をたくさん見せてくれた。アートや絵画、建築物が好きだから、私は毎日ワクワクが止まらなかったのを覚えている。本当に楽しい日々だった。
パリでの生活も慣れた頃、そろそろ父親から帰ってきなさいと言われた。そろそろ潮時だと観念して、帰国する準備をし始めた。
あと数日でパリを去る。
すると叔父さんが、「もうすぐパリにサヨナラを言わないといけないねえ。パリにサヨナラを言うには、パリを見渡せるところに行かないとね。」といって、私を連れてサクレクール寺院に連れていってくれた。
ここはパリ1番に高い場所と言われる場所で、パリの街並みを一望できるところだった。登っていって、サクレクール寺院を見上げて、振り返る。
すると、パリのすべてが見渡せる風景が眼前に広がっていた。うわ〜と嬉しくなって歓喜の声をあげている私に、「ここはね、僕のお気に入りの場所さ。自分と向き合いたい時、一人ここに登って大好きなパリを見渡すんだ。普段は誰とも来ない場所なんだけれど、このお気に入りに場所に、僕のお気に入りの子を連れてきて、最後に君が彼女(パリ)と過ごす時間を心に刻んで欲しかったんだ。サヨナラをきちんと告げないとね。もし君が何も言わずに去ってしまったら、彼女は君を恋焦がれてしまうし、次は受け入れてくれないかもしれないからね。何にでも、美しい別れは大切さ。ちゃんと挨拶しなさいね。」と。サラッとこんなことを言う叔父さんに、むず痒くなるけれど、叔父さんのこういうところが私は好きだ。
サクレクール寺院からパリの街並みを眺めていて、私は叔父さんに言った。
「叔父さん、アートってさ良いよね。パリにきてやっぱり自分はアートが好きだと再確認した。ずっと好きなんだ。叔父さんみたいにアートに携わる仕事をしたい。ねえ、良いアイデアだと思わない?」と。
すると叔父さんは、まっすぐ私の目を見つめて言った。
「良いアイデアだね。でもね、必ずしも好きなことを仕事にする必要はないんだよ。本当に好きなこと、愛していることは、ずっとそのままで持っておいたほうがいい時もある。仕事にしてしまうとね、利益だとか、売り上げだとか、競争意識がどこかで生まれる時がある。そしてね、意図せずしてだけれど、好きだった純粋な気持ちに雲がかかってしまう時がある。好きだと思えなくなる時がくる。君の好きを曇らせる必要があるのか?僕はね、自分が本当に好きなことは、いつまでも変わらずに好きなものとして持っていてほしい。本当に好きなことはね、心の拠り所としてずっと大切に残しておいてほしい。それが自分の豊かさにつながるから。」と。
静かだったけれど、ずしりと心に響いた。
好きなことは、そのまま好きなこととして自分の中で残しておく。仕事という天秤に自分の純粋な心や好きだと思えることを図る必要はないのだと。
「パリは変わらず美しく、愛おしい。これは変わらないんだ。でもね、時にパリは残酷なんだ。僕は好きなことを生業にした。好きだから、純粋に選べた。何の迷いもなかった。でもね、好きだから逃れられない苦しみがあるんだ。仕事にすると、今までは触れなくても良かった部分に直接触れて、相手を、芸術を、価値観を傷つけないといけない時がある。純粋に良いと思えても、価値がないと言わないといけない時がある。それは、僕にとって辛いんだ。でも、離れられないんだよ、好きだからね。これは仏教で言うところの煩悩になるのかな?」と笑った叔父さんの顔は、見たことがないくらい綺麗で、見たことがないくらい寂しそうだった。
好きなことを仕事にする。
それはすごく夢があるし、理想的だ。
でも、好きを中心にして選んでいても辛くなることがある。仕事は楽しんで良いものだけれど、時として残酷さを生じさせてしまうこともあるのだ。その残酷さが起きた場所が、自分の好きなフィールドだったなら。好きが相まって、苦しみとやるせない憤りの量が加速することもある。そんな状況に、耐えられるのだろうか?苦しいことが続いたら、本当に好きだったことが、心底嫌いになってしまったら。それは怖いし、嫌だと思う。だから、叔父さんは本当に好きなことを必ずしも仕事に繋げなくていいと言ったのだ。
あの日のパリの空は、秋晴れで美しかった。空が高くて、心地が良かった。
それは私にとって、純粋に好きな場所として見ることができているから心地が良かったのだろう。しかし、ここで生きている叔父さんにとっては、もしかすると美しいと思う反面、辛い・苦しいと思う瞬間でもあったのかもしれない。
今、アートとはかけ離れている仕事を自分はしている。
自分の能力を活かせる仕事をしているから、大きな支障はない。
けれども毎日同じことを続けていると、飽きることがある。働いていると、嫌だなと思うことも、苦手だと思う人にも出くわす。でも、ネガティブなことを感じ取っても、自分はどこかで「仕事」と割り切ることができる。それ以上を追求したり、不必要に自分の感情を乗せたりはしない。だって、本当に好きなことと、「今の仕事」がリンクしていないから、好きだけど辛いということに悩まない。割り切れる。
これで良かったと今では思う。
なぜって、疲れた時、自分の本当に好きな世界に帰って正気を取り戻せるから。仕事から離れると、世界は広いと気がつくから。
叔父さんは、あのパリで一緒に過ごしてからしばらくして、病気で亡くなった。あの時すでに余命を言い渡されていたそうだ。そんな素振りを私には一切見せなかった。余命のことは誰にも言わず、相変わらずの叔父さんであり続けることを最後まで選んだと。「そのほうが悲しみに支配されないからね。」と主治医に話していたそうだと後から聞いた。
今、大人になって叔父さんに感謝していること。
たくさん笑わせてくれたこと、素敵な世界をたくさん見せてくれたこと、好きなことを好きなままでいさせてくれたこと。仕事と好きを分けて、心の拠り所を残してくれたこと。
あの時、サクレクール寺院で、パリにはちゃんとサヨナラを伝えられた。
でも叔父さんにはサヨナラを伝えられなかった。今でもサヨナラを伝えるのは嫌だけれど、ありがとう。そう伝えにいつかパリに行こう。
まだ叔父さんとの思い出の詰まったあの街にはどうしてもいけない。
けれども、きっといつか行くよ。「ただいま叔父さん。ありがとう。」を伝えに。サクレクール寺院の丘を登りに、パリに帰るから。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
Bless you:)