大学生になったタイミングで「ゆる言語学ラジオ」に出会えてよかった

Twitterで、「ゆる哲学ラジオ」(ゆる言語学ラジオから派生した学術ラジオのひとつ)は動画もコメント欄も専門家不在で進められているから怖い、という旨のつぶやきを目にした。
そのツイートの投稿者は大学で哲学を専攻している大学院生のようで、学術的な正しさとより多くの人への発信はやはり二項対立となってしまうのだろうか…と思った。そして、私がゆる言語学ラジオと出会った時のことを思い出した。私はおそらくかなり珍しい、「ゆる言語学ラジオを見るより先にゆる言語学ラジオへの批判と、それに対する批判を見た人間」である。
下に添付の記事が公開されたタイミングで、当時全くゆる言語学ラジオを見たことがなかった私のTwitterになぜか下記の記事が流れてきたのである。

それから、私はこの話題に興味を持ち、なぜか「ゆる言語学ラジオ」を見るより先に上記の記事への批判である下記の記事を読んだ。

私ははじめ、「批判」のnoteのほうにもかなり頷ける部分があるなと思ったが、「批判への批判」のnoteを読むとそれもそれでかなり頷ける、と感じた。ここで言いたいのは、どちらが正しいという話ではなく、私はこのお二方のやり取りを通じて学術に関する議論に向かう態度というものを(かなり初歩的な段階ではあるが)知ったのである。


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