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死んだこともないのに

最近また知り合いから「自殺を考えている」と相談された。あまり詳しくは書けないが、会ったことは無いけど恋人つながりで交流があって、大切に思っているひとだ。ぼくは、どうしていいか分からない。死にたい、もういなくなりたいと、そのような旨のことを誤字がいっぱいの明らかにシラフでは無い文面で伝えてきた恋人に、次会う約束を取り付けて、そこまでは死なないと言ってもらって一安心したこともあった。恋人が電話で「動脈を切った」と連絡してきたら、7119→承諾を得る→119→恋人の家族に連絡という

    • 将来の夢があって苦しい

      あーあ。おれもただ偏差値のために、学歴のために、大学のネーミングバリューのために、受験勉強をしていたなら、とっくにそんなものは諦められたのに。適当な大学の適当な学部に行って適当に歩めそうな道をのろのろと歩んでいけたのに。 なんで獣医師になりたいとか獣医学部に行きたいとか思っちゃったんだろう。たまたま(特に国立の)獣医学部はおれにとってはめちゃくちゃ偏差値が高いから、頑張らないといけなくなっちゃった。誰から強要された訳でもない自分の夢だから、諦められなくなっちゃった。別に学歴や

      • 日記(2024/10/21)

        12時前くらいに起きた。昨日は(自宅受験だけど)河合塾の全統記述模試があったので、疲れきっていたのでよく寝た。違うかもしれない。ブロチゾラムを2錠飲んだからかも。でも1錠じゃマジで効かない。やっぱりマイスリーにしてもらえば良かったかなあ。次の診察で相談しよう。 それから13時くらいに網戸の張替えの業者さんが来てくれた。本当に自分で思い返しても馬鹿すぎるのだけど、ベランダでタバコを吸っていたら蛾がずっと身の回りを飛び回っていて鬱陶しかったのでライターで網戸に止まった蛾を殺して

        • 映画「あんのこと」と、ぼくの元恋人のこと

          ※この文章はネタバレを含みます ※この文章は映画の評ではありません ※この文章には自傷や薬物に関する記述がありますが、それらを推奨する意図はありません。ただ、否定する意図もありません。 この映画の評をTwitterで見たときから、ぼくはこの映画を今見るべきではない、ということは分かっていた。この映画の主人公である「あん」は覚せい剤取締法違反で逮捕される。「あん」は逮捕されるまでは売春もしていた。(それはあんの母親から強要されたもので、あん自身の意思ではないのだけど) その

        死んだこともないのに

          課題

          自分にとって、環境が大きく変化したのはやはり今年の春大学生になったことだろう。多くの人はそうだろうが、ぼくも大学生になる前は高校生だった。大学受験を控えた高校三年生だった。主観になってしまうかもしれないが、この時のぼくは追い詰められていた。いや、当時の模試の判定や、診断書、友人からのLINEなどを見ると客観的に見ても僕が追い詰められていたことがわかる。第一志望に行けなければ望むように生きることはできない、望むように生きられなければ生きることはできない、と思っていた。 そして

          ユーモアギャップで鬱になりそう

          助けて欲しい。面白くない。 大学進学に伴って関西から岡山に移住してきた。小一から今までずっと関西で暮らしてきたから気づかなかったけど、きっと関西人は話が面白い。別に芸人さんみたいに凝ったトークができる友達ばっかりな訳じゃないし、自分ももちろんそんなことは出来ないのだけど、全くオチのない話は基本しない。 特に意識はしていなかったけど、会話には小ボケがちりばめられていたし、なんとなくボケとかツッコミというものがあった。 それが岡山ときたらどうだ、「え、この筆箱可愛いー」みたいな

          ユーモアギャップで鬱になりそう

          合理的配慮ってなに?

          大学に、行けない。起床できても起き上がれない。自分で勝手に作った造語だが、私には「動の鬱」(大泣きする、希死念慮が爆発する、自傷に及ぶ、不適切な物質使用を行う)と「静の鬱」(上述のようなことはないがただただうごけない)がある。高校を卒業して前者の精神状態になることはかなり減ったが後者の精神状態になることは多々あり、そういうときは出席が困難である。気分の波が1日~数時間単位であることから、双極性障害の可能性についてはいまの主治医は否定的であり、私も多分双極性障害ではないだろうな

          合理的配慮ってなに?

          大学生になったタイミングで「ゆる言語学ラジオ」に出会えてよかった

          Twitterで、「ゆる哲学ラジオ」(ゆる言語学ラジオから派生した学術ラジオのひとつ)は動画もコメント欄も専門家不在で進められているから怖い、という旨のつぶやきを目にした。 そのツイートの投稿者は大学で哲学を専攻している大学院生のようで、学術的な正しさとより多くの人への発信はやはり二項対立となってしまうのだろうか…と思った。そして、私がゆる言語学ラジオと出会った時のことを思い出した。私はおそらくかなり珍しい、「ゆる言語学ラジオを見るより先にゆる言語学ラジオへの批判と、それに対

          大学生になったタイミングで「ゆる言語学ラジオ」に出会えてよかった