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現代人のメンタルヘルスを毀損する大きなリスク
日曜の夜は「坂の上の雲」をテレビで見てから寝るのが習慣になっている。2009年~11年にかけて放送された時は90分1話だったが45分に分割され視聴しやすくなった。
キャストの豪華さは日本ドラマ史屈指である。初放送からは15年が経ち既に鬼籍に入られた俳優が多く出演している。渡哲也、加藤剛、宝田明、大杉漣、中尾彬、米倉斉加年など錚々たる面々。最新回の第10話は主人公である秋山真之がニューヨークで大学時代の恩師である高橋是清と再会し、ナイアガラの滝の観光の中でアメリカの先住民族が海を渡ってきた白人に追いやられていく悲劇を話し合うシーンがあった。高橋是清を演じているのが西田敏行である。放送の最後にはNHKから西田氏へお悔やみの言葉が添えられていた。
それから4日。今週は有名人の訃報が相次いでいる。谷川俊太郎、火野正平、元横綱北の富士の竹沢勝昭。
谷川俊太郎は国語の授業を受け持っていたら多かれ少なかれ影響を受けるはずだ。私も中学生に何度か「現存する中では日本最高の詩人」と話してきた。「生きる」は小中学生の全ての国語の題材でも最も気持ちが入る作品だし、「スイミー」の「僕が目になろう」は長男が小2の時の演劇のセリフだったし、近隣の大口中学校の校歌の作詞も氏であり、生活の色々な所に彼が紡いだ言葉が転がっている事実に驚嘆する。
火野正平は私が小さい頃はあまり評判の良い芸能人ではなかった印象だったが、うちの母はそれでも「何か違うのよね」と言って評価していた。自転車の旅で定光寺に来た時の回が妙に印象に残っている。それに影響されて私もクロスバイクで定光寺まで行ったのはもう何年前のことであろうか。また8月には「ラストマイル」で宅配の末端で働くベテラン配達員を好演した。まだ上映されているだろうにあまりに突然の訃報に戸惑うばかりである。
北の富士勝昭。千代の富士の師匠の九重親方としてまずインプットされた人物だ。北の富士と千代の富士が並ぶとあまりにかっこよく彼ら二人を越える師匠と力士のツーショットは未だに見ていない気がする。大相撲放送で北の富士が解説の日であれば見るという習慣があった。向こう正面の舞の海とのやりとりはあまりに有名である。中日スポーツに場所中に掲載されていた「はやわざ御免」のコラムも秀逸だった。
さすがにこうも思い入れのある人たちの訃報を相次いで聞くと心にぽっかり穴が開いたような気持ちになる。そして大学生の時の酒の場で友人たちと議論になったことを思い出す。
”多分昔と比べて有名人の人数は爆発的に増えたよな。そして皆が年を取っていく。だから何十年後かの未来は毎日のように有名人や芸能人が死ぬニュースを聞くんだろうな。また今は知り合いが死ぬとかほとんどないけど、3,40年するとそれも当たり前になってくるだろうし。たくさんの知人が死んでいく中で自分も老い弱っていく。それに耐えられるのかな俺らは”
21世紀の初頭にしては先見の明がある話をしていたと思う。
”リアルの知り合いの死は大いに悼むべきだけど、テレビの向こうや実生活で繋がっていない人の死にあまりに正面から向き合わない方がいいんだろうな。心が持たないぜ”
こんなことを一人の友人が言って、皆で納得した覚えがある。当時はまだ予測できていなかったSNSの登場で「誰もが知る有名人」は減ったが「何となく知る有名人」の人数が更に増えたのが現代である。
2020年代になってこの時の会話が現実のものとなってきた。そしてこの傾向は今後ますます強くなるだろう。指数関数的に増加するのは間違いない。私の人生は残り15,000日くらいだと勝手に想像しているが、うっすら存在を知っている年上の人間の数も同じくらいなのではないだろうか?そうなると残りの人生において1人/日のペースで知人の訃報を聞くことになると覚悟しなければならない。そして人生の前半ではほとんど無かった同世代の友人のソレもいくつかは経験していくことになるのであろう。
このことについて警鐘をならしているメンタルヘルスの専門家や宗教家を見た覚えがない。しかしこれは現代の日本の社会において憂慮しなければならない問題ではないか。長らく人類は自分の周り数キロの人間の死のみしか実感することができなかった。それが現在では世界中の死を数分後に知ることが可能になっており、それを認知することに精神が耐えられるのかは未知数であろう。2040年代は果たしてどのようなペースで有名人が亡くなっていくのだろうか。これも多死社会の一つの側面であろう。