一昨年に私の住む家から車で10分くらいの所で悲惨な事件があった。その事件の第一審の判決が正に今日言い渡される。それに伴いここ数日ニュースになっていた。記事をそのまま引用する。
どうもマクドナルドのパンケーキだったようだ。被告の自宅のすぐ近くに店があるのを知っているので、胸がギュッとなった。こちらのニュースはヤフーに転載されコメント欄が開放されている。上から5つのコメントを引用する。
う~ん、違和感がある。子ども3人を故意に殺害したという事実の割には同情論が多い。完全に被告を罵倒するコメントは上の方には全く見つからなかった。
別件で子育てに関するニュースで先週世間を騒がせたものがあった。そちらの方も同様に引用させて頂く。
私はこういう炎上系の人たちは大嫌いだし、この一連の出来事も理解に苦しむ。ただ同時に一定の人数このような人が出現するのも仕方がない気持ちもある。ある意味でたくましいとも感じるし、承認欲求が生まれるのも人間の自然な感情だからである。しかしその状態に依存しているとも感じられるので治療や専門家を頼った方が良い段階なのかもしれない。とにかく子が助かり保護者も一定の反省は示している。最悪の結果にならなくてよかったと思う。
そしてこちらのニュースにも、一宮の事件と同じくらいの数のコメントが付いていた。同じように上から5つ引用する。
まあこれらのコメントには納得する。しかし子ども3人を直接殺めた母親には同情論が沸きおこるのに対して、こちらは批判一辺倒である。一方は殺人、一方は事の顛末はどうあれ子どもが助かったニュース。しかし世間の怒りの総和は後者のニュースが多いように感じるのだ。
この点は池袋暴走事故や牧之原の幼稚園のバス置き去り事故以来、私が考えるようになった部分である。これらの事故も子どもや若い母親が犠牲となる痛ましい事故であった。しかしこれらの犯人は故意ではない、重過失である。全く褒められた行為ではないが、故意と重過失の間にはそれなりの距離があると考えるのが自然ではないか。しかし飯塚幸三にしろ増田立義にしろ遠矢姫華被告の何十倍もヘイトを集めている気がする。そしてこの現象を非常に怖いものだと感じている。
事実よりもお気持ちが罪の重さを決める世の中は21世紀に相応しいのだろうか。こういうことは時代が進めば進むほど解消されていくと思っていたが、この6,7年完全に逆回りしているように感じる。7年時を戻すと朴槿恵の弾劾が行われていた頃になる。「韓国の感情優先社会は恐ろしいな。こうはなりたくないな」と見ていた時期だ。その後韓国はどうなったか。当時1.05だった出生率をたった7年で0.72まで一気に下げた。最も追随してはいけない国の空気に日本人は自ら突き進んでいこうとしている。