
世界的にスポーツのレベルが停滞しているのではないかという仮説
日本人アスリートの活躍が目覚ましい。
大谷翔平はメジャーでのシーズンMVPを4年で3回受賞した。ドジャースのワールドシリーズ制覇にも大きな貢献をした。そんな世界一のチームの先発ローテーションに日本人が3人入る可能性が高い。山本由伸と大谷と移籍した佐々木郎希である。他にもダルビッシュ有や鈴木誠也はチームの顔と言って良い働きである。来年に迫ってきたWBCでは連覇に向けての戦いで日々熱狂することは必至である。
サッカーのW杯も来年だ。数多くの選手が欧州リーグで活躍している。三苫や久保、冨安等のエース格は勿論のこと、板倉、伊藤、遠藤、守田、南野、上田、鎌田、町田、伊藤洋、菅原などポンポンと名前が上がる。キーパーは鈴木彩艶が最有力だろうか。間違いなく歴代最強の代表チームと言えるだろう。初のベスト8、前回大会のモロッコのような旋風を願ってベスト4すら期待したい陣容である。
他の球技も堅調な種目が多い。ラグビーはW杯で勝利することではなくGLを突破して決勝Tの1回戦を勝ち抜くのが目標になっているし、男子バレーボールは長い低迷期を抜け世界で3~5番目くらいの実力を兼ね備えるようになった。バスケも男女ともワールドカップや五輪に常連国として出場するようになって久しい。先日は女子アイスホッケーがミラノ・コルティナ五輪の出場を決めた。少し前まではアイスホッケーは日本は蚊帳の外の種目であった。それが1年も前に出場を決めたのだから時代が変わった感がある。
個人競技での活躍も多岐に渡る。昨年のパリ五輪で陸上の女子やり投げで北口榛花の金メダルは圧巻であった。体操では岡慎之助が一大会に3つの金メダルを獲得、レスリングは今世紀に入って女子ばかりが目立っていたが、男女4つずつの金メダルとなった。かつて地味だったフェンシングもメダルラッシュで、スケートボードやブレイキンのような新しい種目において、日本はお家芸と言えるような活躍を見せている。
ボクシングには井上尚弥という大谷翔平と並ぶとも劣らないレジェンドが存在する。29戦26KO無敗のチャンピオン。既に4階級制覇を果たし世界中が誰と戦うのか注目している。パウンドフォーパウンドの最上位争いにこれだけ長く君臨する選手は井上以外に出てくるだろうか。またベテランの井岡一翔も4階級制覇を果たしたボクシング界の顔であるし、寺地拳四朗も世界王者として計13回も防衛を果たしている名チャンピオンである。彼ら30代の下の世代には中谷潤人がいる。世界戦においても実力の差を見せつける試合を続けている。今後1年半くらいは「いつ井上と中谷が戦うのか?」がボクシングファンの最大の興味であり続けるだろう。

日本のアスリートの活躍ぶりは上記の夏季五輪のメダル数からも分かる。自国開催である東京はともかく、昨年のパリ五輪でもこれだけのメダルを獲得するとは思わなかった。またリオ大会あたりからは「ここぞ!」の勝負で強い印象がある。それが金メダル>銀メダル、または3位決定戦で勝利しての銅メダルの多さに繋がっている。私が記憶に残っているのはソウル五輪が最初で大学生であったシドニー大会までの4大会を10代までに観戦している。最も日本がメダルを取れなかった時期と符合しその印象が強いため、直近3大会くらいの活躍には本当に驚かされる(競技や種目が増えているのは考慮しなければならないが)。
これだけ日本のアスリートが活躍するとどうしても一つの疑問が頭をもたげる。「世界のスポーツのレベル向上が鈍化・頭打ちになっているのではないか?」というソレである。
それを補強する背景が3つくらい考えられる。
1.恵まれた家で育った人間しか到達できない領域までレベルが上がった。
2.身体を酷使する職業から現代人は離れるようになった。
3.若者の人数が先進国を中心に減少している。
加えて具体例をいくつか挙げてみる。
野球
大谷翔平は突然変異クラスの選手だとしても、やはりアジア系の選手がパワーの部分でトップに立つのは彼の活躍が当たり前になった今でも理解が追い付かない。イチローならまだ分かる。彼が最も強みを発揮したのは「技」の部分であった。または「スピード」「正確性」だった。「力」の部分では松井秀喜でもトップレベルからは程遠かった。あれが人種間の自然な差ではないだろうか。白人やカリブ系の選手に対してアジア系の選手がパワーで勝るのは、向こうで野球をやろうとしている有望な若者が減っているか、能力向上のノウハウが頭打ちになっているのかもしれない。
サッカー
私があまり詳しくない分野であるが、メッシとクリスチャーノ=ロナウドという二人のサッカー史に残る選手が長く最盛期を保ち、その二人の後を担うスーパースターがなかなか現れなかったことに関心がある。勿論、その背景としては「個」云々ではなく「完成された戦術」が広く世界中のチームに伝わり、スターが出にくい構造になっていることもあるだろう。ただ私が物心ついた時からロマーリオ、ロナウド、ロナウジーニョ、ロベルトカルロス、カカなど常にスーパースターが存在した。それがネイマールを最後に途絶えているように感じられる。そしてそれと時を同じくして日本代表のステージが一つ上がったように思う。全体としては10年代後半から停滞期を迎えていると捉えて良いのではないだろうか。
男子テニス
男子テニスがサッカーと似た変遷を辿っているように思う。フェデラー、ナダル、ジョコビッチ、マリーのBIG4が鎬を削る時代が長く続いた。四大大会の優勝回数はジョコビッチが24回、ナダルが22回、フェデラーが20回で4位のサンプラスが14回なのだから驚かさせられる。もしかしてこの3人(マリーも含めて4人)がそれぞれ別の時代であったら40回程度の優勝を果たしていた可能性は高いだろう。彼らの全盛期はフェデラーが世界ランキング1位を奪取した2004年2月2日からジョコビッチが1位から陥落した2022年2月27日までと考えることができる。18年もの間レジェンドクラスの4人の選手が君臨し続けた。その後アルカラスやシナーが世界を引っ張る存在であるが、ディープなテニスファンにしかその存在は知られていない。以前であれば彼らが30代中盤を迎える10年代中盤で世代交代が起きるのが必然であったであろう。しかしサッカーのメッシやロナウドと同様、そこからまだ5年以上トップに君臨したイメージがある。それはやはりレベルの頭打ちがあったのではないかと推測できてしまうのだ。
ボクシング
私がボクシングを見始めた頃、世界王者と言うのは非常にハードルが高いものだった。それもそのはずで1987年の10月に井岡弘樹がWBCミニマム級の王者奪還に成功した後、日本人ボクサーは世界戦21連敗というトンネルに突入してしまう。1990年の2月に大橋秀行がWBCのミニマム級王者を奪取するまで2年と4カ月の歳月を必要とした。当時小学生の低学年だった私は「世界チャンピオンは特別」という意識があった。常に2,3人いた横綱よりも難しい感覚があった。
2025年の2月13日現在、日本人王者は9人を数える。一つ背景があるとしたら21連敗の頃はWBAとWBCしか無かった主要団体がIBFとWBOという2つの団体が加わり4つになっている事情がある。しかし逆に考えると倍の人数でしかない訳で15年くらい前までは世界王者が4,5人並び立つことは珍しかった。特筆すべきなのはバンタム級で4つの団体すべてが日本人王者である。こうなるとチャンピオンになってから本当の戦いが始まるような構図になっている。また現在の王者9人の中には井岡一翔や田中恒成、那須川天心等の有名ボクサーは入っていない。
頭部を殴り合うという競技の性質上、競技人口が減っているのではないかと推測するがそこはイマイチはっきりしない。ただ以前よりもフィリピンやタイ、韓国、メキシコなどの選手と戦うことが明らかに減った。日本人チャンピオンの大多数は軽量級でありアジアの選手と戦うのが通例であった。やはりそれらの国での競技人口の減少はあるのではないだろうか。
女子フィギュアスケート
現在女子のフィギュアスケートは日本の独壇場である。世界選手権では坂本花織が3連覇を達成していて、4連覇となると1960年代以降で初めての快挙となる。カタリナ・ヴィットやクリスティー・ヤマグチ、ミシェル・クワン、浅田真央、メドベージェワでも達成できなかった記録に坂本は挑むことになる。しかしそんな歴史的な日本のスケーターの割に知名度や人気は今ひとつである。更に樋口や千葉などが実力を発揮すれば表彰台独占も夢ではない。そんな構図でありながら、現在の女子フィギュアのレベルが史上最高であるかと言えばそうではない。どうも10数年前から日本とロシア以外からの選手の供給があまりされなくなった印象がある。そしてロシアがウクライナとの戦争によって国際大会出場禁止の制裁を受けている為、日本の独壇場になっているのが20年代中盤である。
ただでさえ競技人口の少ないウインタースポーツは似たような部分がある。スキージャンプの葛西紀明が今月に53歳で国内大会を2連勝してワールドカップ出場を決めた。あまりに素晴らしい快挙であると同時にそれが成されるのは若手選手の不足である。女子のジャンプもずっと高梨沙羅と伊藤有希の名前が紹介される。選手の新陳代謝がどうにもこうにもされていないように見えるのだ。しかし世界のトップの一角として戦えるのは、世界レベルで見ても同じことが起こっていると考えることができるだろう。
マラソン
ここで反対の角度から論じてみることにする。マラソンは現在厚底シューズが普及してタイムが伸びている競技である。
日本は長らく2002年の6月に高岡寿成が出した2時間6分16秒の壁を破れなかった。それを2018年に設楽啓太が破って以来、毎年のように記録が更新されるようになった。世界ではケニアとエチオピア勢が圧倒的に強くここ数年で一気にタイムを伸ばしている。
日本記録と世界記録の関係は以下である。
【2002年】
世界記録:ハヌーシ(米)2時間5分38秒
日本記録:高岡寿成 2時間6分16秒
【2025年】
世界記録:ケルビン・キプタム(ケニア)2時間0分35秒
日本記録:鈴木健吾 2時間4分56秒
こんな感じで世界との差は38秒であったのが、4分21秒の差になっている。女子も同様に比べてみる。
【2002年】
世界記録:ポーラ・ラドクリフ(イギリス)2時間17分18秒
日本記録:高橋尚子 2時間19分46秒
【2025年】
世界記録:ルース・チェプンゲティッチ(ケニア)2時間9分56秒
日本記録:前田穂南 2時間18分59秒
男子よりも世界との差が激しく広がった。2分28秒から9分3秒へ。高橋尚子のこの記録は世界で初めて20分切りを果たした世界記録で会った。世界が10分早くなる中で日本は1分弱しかタイムを伸ばせなかった。
そうは言うものの日本もこの23年間でタイムを伸ばしている。しかし世界のタイムの伸びは圧倒的で鈴木の記録も前田の記録も世界の中では6,70番目になってしまう。そしてランキングの上位を独占するのはケニアとエチオピアなどの東アジア勢とそこから他国へ帰化した選手たちである。東アフリカの選手を除けば日本記録は世界の一桁の順位に優に入るタイムだ。
しかし20世紀終盤から21世紀初頭のスポーツ界は多くの競技でこんな雰囲気だったと思う。日本人も確かに伸びているが世界は驚くような怪物のような選手が次々と現れる。そんな種目が多かった。ここで不思議なのは日本が経済成長を果たした時期に低迷し、「失われた30年」が長期からするに連れて良い結果が出ていることである。ここに「世界のレベルが停滞」の証左を感じるのだ。またマラソンは人口が爆発的に伸びている東アフリカの選手が牽引している。エチオピアの出生率は4を遙かに超える。つまり世界的な出生率の低下が現在の状況を生んでいると感じるのである。
最後に多くのアスリートやファンを不愉快にするような表現があったことは詫びておきたい。私は多くのスポーツを愛している。しかしこの「気づき」を無視することはできなかった。日本が国家として没落する中でアスリートの残した結果やその育成は見事なものである。それが世代人口70万,80万になっても継続するのか否かは興味深く追っていきたいテーマである。