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ネット世論はあてにならない
次男の通う小学校は先進的な取り組みをしている。その一例として「3学期の探究型学習の時間」はほぼ毎回、保護者や地域の人たちが授業に参加して児童たちと話し合ったり議論をしたり一緒に考えたりヒントを与えたりする試みを始めた。
先日、その第2回に足を運んできた。結果から書くと少し残念であった。保護者や地域の人が10人ほどしか参加しなかったからである。
この小学校で行われている探究型活動をもう少し詳しく紹介しよう。
こちらの小学校では「暮らしやすい街づくり」をテーマに、住んでいる市がどうなればより素敵な市になるのか、どうすれば多くの人にとって住みよい街になるかを大きなテーマとして、各学年毎に探究活動を1年行っている。例えば福祉がテーマの4年生は「福祉の観点から誰もが楽しく、幸せになれる街づくりをしたい」。SNSの使い方や発表の仕方を学んできた5年生は「もっともっと私たちの街の魅力を発信していきたい」。こんな感じで各学年に小さなテーマを設けている。
次男は4年生なのでテーマは「福祉」であった。1学期の授業参観では彼が「車いす体験」を希望したのでその様子を体育館で見た。他には目が見えない人の体験や手話学習もあったようだ。2学期の授業参観は私は忙しくて行けなかったが、妊婦体験や赤ん坊を実際に抱く体験学習があったと聞いている。それらの学習を基にして3学期に色々と話し合いを進めながら発表の練習や制作物を作成して3月の学習発表会で保護者や地域の人の前で発表・展示する流れである。少し前の小学校では考えられないような内容も含む。まるで大学のゼミのようなやり取りが毎週行われているのだ。
3学期の授業に多くの保護者や地域の人が参加してほしい旨は11月くらいから何度か告知がされてきた。私は数十人が来ると見込んでいたが結果は冒頭のように10人。これでも第1回よりは数人多かったらしい。もしかしたら学校のあてもちょっと外れたのではないかと推測している。
実はこちらの学校、12月の初めに「大縄跳び大会」があった。毎年恒例の行事なのだが、今年から開催時間が1時間目から5時間目に移った。もしかしたら急な変更だったのか時間変更の告知は直前の2週間前であった。私は仕事前に妻は午前で仕事を切り上げて見に行った。学校に近づくにつれて驚いた。自転車を止める余地がないくらい多くの保護者が観覧に来ていたからである。
次男の小学校は約450人の児童がいる。大縄跳び大会を観覧した人は児童とほぼ同数いた。2週間前の告知でも平日午後にこれだけの保護者が来られることに少し驚いた。父親も2割くらいいた。どうしても両親がこれない場合に祖父母が来ているケースも散見された。
この経験があったからこそ、同じ5時間目の探究型学習にも多くの保護者がやってくると想像したのである。しかし繰り返すようにたった10人ほどだった。一つのクラスにずっといるはずだった予定が少し変わって60分弱の間に3つの学年をはしごした。多くの児童と接する良さもあったが、深く話をする前に終わってしまった感があって残念だった。
最近のネットを見ていると以下のような意見はバズりやすい。
「学校というのは学力を上げる所だ」
「学校は社会性を学ぶ所だ」
「教室は密室だ。多くの外の人の目が入る必要がある」
「誰が失敗するかが明らかな大繩大会なぞ無くすべき」
「大繩みたいな種目こそ、同調圧力の根源」
しかし実際はこんな状況である。教室の中であれこれ議論するよりもクラス対抗で大繩に挑戦する様子を見たい保護者の方がリアルでは圧倒的に多い。更に分析すると教室の中でどのような勉強をしているかにさして関心は無い。テストの点数にはある程度の関心があるが、まあ元気にのびのびと学校に通ってくれればそれで良いのである。また仕事以外の時間にやや小難しい話を子どもたち相手にでもする気力があるのは奇特な人なのである。ネット(特にX)はそんな奇特な人たちが集まっている場だと考えると今回の様子にも納得がいく。
実はこれは中学生の親にも感じることがある。やはりネットを見ていると受験生の親は四六時中子どもの入試や進路のことを考えているように感じられる。しかし最近のリアルの親の多くは体育大会、合唱コンクールなどと高校入試は等価である。子どもの入試よりも卒業式に自分が何を着ていくかを考えている親は少なくない。そして私はそれを異常だとも思わない。だからネットでは常に燃えているような内申云々のトラブルもほとんど無い。「まあうちの子はこれくらいですよね」の反応が圧倒的である。
これは私が愛知の郊外に住んでいるからかもしれないが、ネット世論とリアルが最近どんどん乖離しているように感じてならない。ネットはどんどん極まって東京都港区の価値観を強くしている。だから学校も政治家も私のような個人事業主もネットの反応を見すぎて指針を決めてはならない。あくまでも目の前の人を見て判断するのが肝要であろう。