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自分の子供が殴られたら

週末に行きつけのエステでオイルマッサージを受けていた時のことである。突然施術師の(私から見たら)女の子が「先週こんなことがあって……」と語り出した。

曰く、彼女の息子(中学校1年生)

(中略して注釈を、中学一年生の母親が女の子かよって話ですが、彼女は結婚が早いので、私から見ると女の子な年齢です)

彼女の息子がバトミントン大会の学校代表に選ばれた。それを妬んだ同級生に辞退しろと迫られ、人が見ていないところで取り巻き複数人に地面に押さえつけられて殴られたというのである。その後、彼女の息子はさらに別の日にも個室で殴られそうになり、逃げて、今度は自分の友達を連れてきて、殴り合いの喧嘩になったそうだ。

前半のやり合いは秘密裏に行われ教師に認知されておらず、最後の殴り合いのところから皆の知るところとなった。先方の彼はちなみにもちろんというか何というか、自分は悪くない。一方的に殴られたといけしゃあしゃあといい、彼の母親も電話をかけたらよくもうちの息子を殴りやがってと噛みついてきたらしい。どうも、息子さん本人は教師に相手が悪いと十分にアピールできなかったようだ。悔しい思いをした施術師は、ご主人と相談した。

「病院に行って、お医者さんの診断書をとった」
「うんうん」

学校でのいざこざとはいえ、民事案件である。こういう時、人は嘘をつく。関連当事者の証言だけでは、客観性に欠ける。第三者の目撃者と証明が重要である。殴られた証拠のために医者の診断書を取るのも重要だ。

「わたしは自分の息子を知ってる。意味もなく人を殴るような子じゃない」

ここで、自分も人の子の親である。大いに共感した。拙い中国語を駆使して、言葉を繋ぐ。ちなみにこの施術師と私はそれなりに長い付き合いなのである。この人の物の売り方を知っている。いざという時に押し込めない性格である。強引な人じゃない。こういう人の子供が、意味もなく人は殴らないだろう。だから、私は施術師の息子さんを信じました。客観性には欠ける判断だが、な。

「相手の親が頑として認めなくても構わないから、とにかく猛烈に反発しときなさい」

つまりは、相手の親にこっちが大人しい親だと舐められるなということを言った。詳細がわからないし、この紛争の落着先はまだ不明だが、どのように落ち着いてゆくにしろ、初手はやはり最悪を想定してこちらもできるだけ強く出た方が良い。

証言が本当なら、すでに決まった権利を暴力に訴えて奪おうとする子供の親だ。当たり前のことを当たり前に言って聞くわけがない。ここでは普通の倫理や礼儀正しさなど役に立たないのである。

相手を崖から落とす必要はない。しかし、相手がどんな人間なのかがよくわからないのだから、子供を守るためだったら、母親は鬼にだってなるのである。自分の子供が殴られたら許さない。二度と殴らせない。これが母親の本能で正義である。これ以上でも以下でもない。

その後に、ついでの話をしておいた。

「うちの学校の先生にこんなことを言われたことがある」
「うん」
「外で悪いことをする子は、家の中でわがままができない子なんだって」

三者面談の時に、我が息子が家でぐうたらだとか、わがままだとかいうと、先生はニコニコしながらこういう。家の中で悪くいられる子は、学校では悪いことをしない。だからいいんですよ!だってさ。

人を殴ろうと思うまでには、過程があるのだと思う。生まれた時から乱暴な子供なんているだろうか。何らかの事情はあると思う。でも、殴られた方の親はそこには介入できない。自分の子供を守って、必要あれば防御のために相手に噛み付くか噛みつこうとして見せるだけだ。

ただ、先生なら……あるいは、現在の中国には整備されていないかもしれないが、スクールカウンセラーの人とか、そういう教育関連の方なら介入できるかもしれない。

まだ子供なのである。ちゃんとした方法があればやり直せるはずだ。

結局自分は性善説なのか?と思いつつ、姿も知らないその乱暴な男の子のことについてしばし想い馳せました。

想い馳せつつ、思考が少し飛びました。
とある学校での争いというミニマムな世界から、国と国というマキシマムな世界へと、この出来事をスライドして考えてみた。

戦争が起きていて、子供達を含め罪のない人が亡くなっていて、そして、アジアの状況も不穏です。こんな中で憲法改正について問われていますね。

ごくごく一般的な庶民の日本人として、戦争というものには拒否反応があり、平和憲法が変わるという変化には、戦前戦中戦後のあの歴史がフラッシュバックするような気さえする。日本がどこへ進んでゆくのかわからない不安を感じます。

争いはできるだけ避ける。遠くに身をおく。或いは平和に解決できる方法を訴え続ける。基本的にはこれに賛成です。私はラブアンドピースな人ですし。

ただ、ただね、
相手が話の通じない相手だったら、うまくいかないんですよ。
ラブアンドピースがうまくいっていない世界を眺めながら、淡々と思う。
じゃあ、具体的にどうするの?と言われると、答えはないのです。
これは、簡単な話じゃないですね。今晩はカレーにする?レベルの話じゃないですよ。

最近衆議院選挙の関係で、さまざまな党の演説をテレビで見ました。それぞれの党の主張の安全保障の部分が気になってます。憲法改正に諸手を挙げて賛成というわけではないけれど、話してわかる相手ではない相手に、丸腰でゆくのかと、そこは懸念がある。強く出ようとする国に近づきすぎて、まるで番犬か何かのように体よく使われるわけにもいかない。そこは、巧妙に距離をとるべきだと思うし。

考え始めるとキリのない、先行きの見えない今日この頃です。

それでも、初手は、ガツンと相手を引っ叩きますか?相手をガツンと引っ叩いたらそれでどう出るかを見て、それからの出方を決めればいい。

しかし、子供と子供の喧嘩にはそんなことをずばっと言える私も、国と国になって仕舞えば歯切れが悪くなる。

衆議院選挙、自民公明の両党合わせて過半数を切りましたね。立憲民主党が人気があるわけじゃなく、これは自民党に対する懲罰だ等と発言している専門家がおりました。なるほどと思った。

「日本はみんなご苦労様だねぇ」

政党ごとの選挙結果演説のニュースを見ている私の肩越しに、一党独裁の国の人、主人ですが、が、声をかける。それしか知らない人にとっては、党に分かれて演説し合い、競争するのが不思議らしい。

主人のいつもの悪態を聞き流しながら思う。民主主義の良さとは何だっけ?それはやはりあると思う。ただ、自民の背骨が抜かれ、議決までにより揉めるのかと思うと、自分には一概によくなったとは思えない。

懲罰が悪いと言っているわけではない。ずっと一つの党が上に立ち続けると、政治だけではなくて会社もそうだと思うが、停滞するし場合によっては腐敗するだろう。それはセオリーだ。だから時に、変化は発展のために有効だ。これが天秤の右に載っている。ただ、左にはまた別のリスクがある。国の中で揉めると、国の外から狙われる。

それは織田信長が心配していた時代から変わらない。基本中の基本だ。内側の乱は長引かせてはいけない。

民主主義の良さって何だっけ?

私は政治は元々弱いのである。弱い頭で考える。考えながら思うのですが。
心配するな、自分。ちゃんと考えている人がいますから。自分なんかよりもっと頼りになる人が考えている。

それは半分ほんとで半分うそなのだが、いずれにせよ、漠としたものについて不安を覚えるのは意味のない行為である。

この前、ウクライナの子供達、というか、大人になる手前の子供たちが、戦火のもとでKPOPを踊っているのをテレビで見た。何でこんな大変な時にそんなことすんのかとびっくりしたが、彼女ら曰く、自分の好きなことをしている時だけ、生きていると思えるというか、力や勇気、希望が湧いてくるというのです。

その画像が、ここ最近の中で一番胸に迫ったテレビでした。その姿に自分も励まされた。自分よりも大変な人に励まされていたらざまないんですが……。そこから発想が転換した。

私は基本的に悲観的な人間なのです。ただ、徹底的に悲観的な人間というのはある日を境にひっくり返ることがあって、つまりは、根拠のない不安に駆られる必要はないということです。延々と最悪の事態を考え続けて生きてきているからこそのこれが私の不思議な明るさ。自分の最悪な想定は大抵の場合いつもいい意味で裏切られてきましたから。

見えないから未来。悪くなることが決まっているというわけでもない。

「終わりの始まりだー」

日本から騒いでくる父を説き伏せる。悲観的な高齢者だ。未来を憂いてばかりいる人だ。

「悪くなるとばかり決めつけるな!」

私は今日も母国から離れた場所で働く。私のいるところと日本は空は繋がっているけれど、自分は在外選挙の手続きをしてないので、自分の1票は入れられなかったんだよな。その上、自分は日本人だけど、せっせと個人所得税をここに納めている。ここに納めたってこの国が外国人のためになんかしてくれるわけじゃあーりませんが。

おっと余計な一言だったぜ。居留許可いただいてあざっす。

ラブアンドピース
ジョンレノンがイマジンで歌ったような平和が実現しますように

2024.10.28
汪海妹


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