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短編小説:死水_2021.01.05

この作品は、僕の幸せな結末までの2人が結婚して
娘夫婦と孫と二世帯住宅で同居しており、
清一さんが退職された後のお話です。


清一



その日、自分はゴルフをしていた。

相手は仕事をしていた時の取引先でお客さんだった。三度の飯よりゴルフの好きな人で、なかなかいい腕をしている。生半可なやつ相手だとつまらないらしく、僕は昔から気に入られていた。
そんなこんなで、お互い退職した後は、仕事とかは抜きで他に何人か呼んで今でも一緒にゴルフをしている。
どっちかが墓穴に片足突っ込むまでという約束で。
年齢の割には2人ともありがたいことに元気だ。

その日も終盤に差し掛かっていて、最後のホールをまわっている時に電話がかかってきた。孫娘。珍しい。

「すみません」

断りを入れてから電話に出る。

「はい」
「おじいちゃん、大変。おばあちゃんが怪我したの。今病院向かってるんだけどすぐ来て!」

そう言って病院名だけ言って切れた。切れた電話をしばらく見る。

「何?中條君、急用?」
「あ、いや……」

後から思うとよほど動揺してたのだろう。クラブを振らなくては、とりあえず、自分の番だし、と思った。
で、振りました。

「これはまた」
「はぁ」
「今日はまた、珍しいものを見た。君とは随分長い付き合いだけど」
「僕も随分長くゴルフしてますが、こんなのは初めてです」

空振りした。僕がクラブを振った後に、涼しい顔した白いゴルフボールが同じ場所に鎮座している。

「いえ、そうではなくて、すみません」

なつが、どうしたって?
やっと頭が働きだす。ポケットからスマホ出して孫娘にかけ直す。話し中。

「どうしたの?」
「いや、なんか、うちのが怪我したって」
「え!夏美さんが?」

たまーにだけど、なつも気まぐれにゴルフをすることがあって、先方の奥さんも来てしたことがある。だから、顔見知りなのだ。

「それは大変だ。すぐ行かないと」

ゴルフ場を出て、車で病院へ向かう。

***

受付で聞いて病室へ行くと、ベッドに病院の服着たなつが頭に包帯巻いてちょこんと座ってる。

「なつ」
「あ、清ちゃん」

けろっとしてた。その声と表情で、大したことないんだとわかって力が抜けた。ベッド脇の椅子に腰かける。

「ゴルフは?」
「途中で抜けてきた」
「なんだ。終わらしてから来ればよかったのに。暎万ちゃん、おじいちゃんになんて言ったの?」
「だってびっくりしたんだもん!」

ベッド脇にいる孫娘を見ると横に男がいる。

「あ」
「どうも」
「たしか……」
「ひろ君よ。ひろ君」

なつが嬉しそうに言う。孫娘の彼氏君。なつに引きずられて行った彼の職場のケーキ屋(ひろ君はケーキ職人らしいのだ)で、挨拶だけしたことがあった。

「ひろ君が病院電話して、応急処置して連れてきてくれたのよ。暎万ちゃんたら、すっかり動転しちゃってたもんだから」
「なにがあったの?一体」
「ああ」

笑ってたのがぴたりと止まる。

「食器棚の一番上に仕舞い込んでた食器を取り出したくて、椅子にのっかって、こう手を伸ばしてたら……」

なつは身振り手振りを交えて話す。

「急にバキッて椅子がもう古かったのね。脚が折れちゃってさ。ほんと危なかったのよ。引き出しかけてた食器をとっさに棚に押し込んで横向きに倒れたからまだ身体や脚で済んだけど、食器ごと後ろ向きに倒れたら、頭思いっきり打っちゃってたかも」
「……」
「不思議なのよ。ほんの一瞬、こうぱあっと、あ、死ぬかもって思った」
「ばか!」

みんなが驚いてこっち見た。

「俺がいる時に俺に頼めばいいだろ。1人で家にいる時にもっと大変なことになってたら、どうするつもりだったんだ。笑い事じゃない」

さっきまでへらへら笑ってたなつがぽかんとした顔でこっち見た。

「ごめんなさい」
「それで、どこ怪我したの?」
「足を骨折した」
「足って?」
「足首」
「どんな具合なの?」
「レントゲン撮ってもらってる」
「他は?」

なつの頭の包帯を見る。

「頭、打ったの?」
「軽くよ。別に打ったっていったってちょっとずきずきするくらいだし」
「……お医者さん、なんて言ってたの?」
「念のため、入院して検査してみましょうって」

ため息が出た。

「大したことないって」
「大したことがどうかはお前が決めることじゃない」

なつがしゅんとした顔をした。もうちょっとなにか言ってやりたかったが、その顔を見て気が変わった。

「おじいちゃん、どこ行くの?」

なんとも言えない気持ちのままで、病室を出てきてしまった。

***

清一さんが出てった後

「ああ、びっくりしたぁ」

暎万ちゃんが言う。

「なにに?」
「おじいちゃんがあんな怒ってんの見たの、生まれて初めてかも」
「そうなの?」
「そうだよ。おじいちゃんっていっつも穏やかって言うか、冷静っていうか……。ねぇ、おばあちゃん」

2人で夏美さんを見ると、こちらも珍しく、しおれてしまってます。

「ごめんなさい……」
「おばあちゃん?」
「軽率でした……」

ボソボソと呟いております。

「皆さまにご迷惑とご心配をおかけしまして……」

壊れたレコードみたいになってしまったではないか。

「夏美さん、そんな気に病むことないですよ。これから気をつければいいじゃないですか。今回は大したことなくてよかったんですよ。もっと喜びましょう」
「……」
「病は気からって言うでしょ?落ち込んでたら、治るものも治りませんよ」
「そうかな?」

ひろ君の励ましに少し顔色が戻ってきました。

「おばあちゃん」

急に病室に若い男の人が入って来ました。

「春樹君?」

夏美さんがポカンとします。

「怪我したってどこ?」
「足首をちょっと骨折しちゃって」
「大丈夫なの?」
「大丈夫よ。大したことないの。それより春樹君、仕事どうしたの?」
「抜けて来た」

なんか嫌な予感がします。

「暎万ちゃん、あなた、まさか、樹君にまで電話してないでしょうね」
「した」
「なんで?大したことないのにみんな呼ぶ必要ないでしょ?」
「別にお兄ちゃんにもお父さんにも来てなんて言ってないもん」
「ばか。お前、おばあちゃんが怪我して病院運ばれたしか言わないし、その後何度電話かけても繋がらないし」
「樹君の性格なら、病院まで来ちゃうわよ。暎万ちゃん、電話して大したことないから来ないでいいって言いなさい」
「え〜!」

ぶつぶつ言いながらも、電話かけてます。

お父さんという単語を聞いてそわそわし出した人がいます。

「あ」
「どうも、その節は」

お兄さんも苦手です。お父さんはお会いしたことないけれど、きっともっと怖いでしょう。

「あれ?春樹君とひろ君って顔見知りなの?」
「うん。まぁね」

怒ってはいないと思うんです。でも、なんでお前がここにいるんだ的な圧を感じます。お兄さんの目から。

「ええっと僕はもうそろそろ……」

ひろ君が暇を告げようとした時……。

「あ、お父さん?え、なに?いや、おばあちゃんがね、大したことがないから来ないでいいって。え?そうなの?うん。わかった」

ぷち。暎万ちゃん電話を切りました。

「お父さんなんだって?」

夏美さんが聞きました。

「ああ、もう病院着いてるからとにかく来るってさ」

やばい

「あの、暎万、俺さ」

ひろ君が慌てて暎万ちゃんに話しかけてると……

がしっ

「せっかくだから挨拶だけでもすれば?」
「え?」

お兄さんに腕を掴まれた。いや、心の準備ができてませんが。

「お義母さん」

スーツ来た男の人が来てしまった。

「あー、樹君。ごめんなさい。お騒がせしちゃって、ほんと大したことないのよ。ごめんね」
「ほら、暎万、おばあちゃんに謝らせるなよ。悪いのは変な電話したお前だろ」

春樹君が暎万ちゃんを小突く。

「なんだ、お前もいたのか」

子供達の方を見たお父さん、ひろ君に視線をぴたりと止めました。

「君は?」
「えっと……」
「ひろ君」

夏美さんが助け舟出します。

「今日暎万ちゃんと一緒に病院連れてきてくれたのよ」
「暎万と一緒に?」

お父さんの声が低ーいんですが……

「僕、夏美さんの友人で、暎万さんの……」
「暎万の?」
「知人です」

一瞬、その場にいた皆が黙りました。

「んなわけないだろ?彼氏だよ、彼氏」
「あ、お兄ちゃん、余計なこと言わないでよ」
「暎万に彼氏?」

お父さん、かなりのショックを受けてます。

「いつからお付き合いしてるんだ、暎万」
「別に結婚するとかでもないのにいちいちお父さんに言わなきゃいけない?」

暎万ちゃん、常に噛み付く女。慌ててひろ君が口を挟む。

「あ、あの、去年の暮れあたりから」
「ふうん」

じっとひろ君を眺める樹君。頭の先から爪先まで。

「なんでさっき知人って言ったの?」
「えっと……」

すると、暎万ちゃんの携帯が鳴る。

「もしもし。ああ、うん。それなんだけどさ。おばあちゃんが大したことないからって言えって。え?うん、だから、別に来ないでいいって。え?そうなの?うん、わかった。じゃ、みんなにそう伝える」

ぷち。電話を切りました。
いやーな予感がしながら、夏美さんが聞きます。

「誰と話してたの?」
「ああ、お母さん」
「お母さん、なんて?」
「明日、帰ってくるって」

ひろ君以外のみんながのけぞった。

「ええっ?」
「チケットもう取ったって」
「ええ〜!」
「もう必要ないのに暎万ちゃん」
「いいじゃん。こうでもしないとのらりくらりと帰って来ないんだから」

騒いでる皆さんの横でひろ君が暎万ちゃんの袖をくいくい引く。

「お母さんって今どこにいんの?」
「香港」

なるほど。

「なっちゃん?」

え、また誰か来たの?

「このはちゃん?」
「もう、びっくりしたわよ。大丈夫?」
「ええっと……」

夏美さん、若干引き攣った顔で暎万ちゃんを見る。

「流石にもう、誰にも連絡してないわよね」
「した」
「誰に?」
「太一おじさん」
「……」

仙台に住んでるんだわ。太一君。
夏美さん、今度は自分で電話かけました。

「太一、わたし。え?何?いや、大丈夫よ。大したことないの。うん。だから、安心して。え?なに?もういいわよ。そうなの?」

ぷち、電話を切って、ため息つきました。

「太一さん、なんて言ってました?」
「もう新幹線乗っちゃったって」
「お?じゃあ今晩はうち泊まるね」
「……」
「じゃ、今晩は酒盛りだ。お兄ちゃんも泊まっていきなよ」

なぜか盛り上がる暎万ちゃん。ふと、樹君が気づきました。

「そういえば、お義父さんは?」


再び、清一



自分でも、あんなに怒ってしまうとは思わなかった。

自分が怪我した話を面白がって話してるなつを見てるうちに、この人はうっかりとこんなふうな事故で死んでしまうのではと思った。

ごめん。せいちゃん、うっかりしちゃって。
あはははは。

幽霊になって明るく謝ってる夏美さん。
くっきりとその像が浮かんで腹が立ってしまった。

よく考えればなつは、病気らしい病気をしたことがない。大きな怪我をしたことも。
いつのまにか、手の届くところにいつもニコニコとなつがいるのが当たり前になっていた。
僕は忘れていた。
なつは普通の人間。
いつか死ぬんだ。
僕が先にゆくか、なつが先か。
僕たちはその時に別れる。

僕は昔、ひとりぼっちになったことがある。
その時、なつに出会った。
それから、ずっとひとりぼっちに戻ったことはない。
でも、彼女が死んでしまえば、僕はまたひとりぼっちになってしまう。

昔、母が死んだとき、焼却場で空にのぼってゆく煙を見ながら、母の恋人だった人が漏らした言葉を思い出す。

「さみしくなります」

あの時はわかるようでわからなかった高遠さんの気持ちがわかる。そして、母の気持ち。最愛の人を失っても生きなければならなかった辛さ。

なつが消えた世界で、僕は果たして生きていけるんだろうか。

***

「あ、清ちゃん」

病室に戻ると、なぜかこのはちゃんがいた。ペコリとお辞儀された。

「邪魔だったか」
「あ、いや、ちょうど帰るとこでしたから」

このはちゃんは、ほどなくにこにこと帰って行った。

「なんだ。もう帰ったんだと思ってた」

なつがのんびりと言う。何も言わずに椅子にこしかけてベッドにうつ伏せに上半身を預けた。

「どうしたの?あなたが病気みたいじゃない」
「もっと気をつけろよ」
「ごめんなさい」
「生きた心地がしなかった」

なつが寝そべったままの僕の片手をそっと取った。
僕は顔を上げてなつの顔を見た。

「不思議ねぇ」
「なにが?」
「昔はね、千夏が結婚するまではって思ってた。絶対に死ねないって」
「うん」
「太一も千夏も結婚して、子供が生まれて幸せなった時に、ああ、もういつ死んでもいいわって思ったのにさ」

彼女は柔らかい顔で笑った。

「思いがけずおばあちゃんなってからも、もう一度、また、子供が赤ちゃんから大きくなっていくのをすぐ近くで見られた。それで、欲張りになっちゃったのよね」
「欲張り?」
「暎万ちゃんと春樹君が幸せになるとこまで見たい」
「うん」
「ひろ君が言ったのよ。しっかり生きて、僕たちが結婚するまで見届けてくださいって」
「え?ほんと?今日の彼?」
「そうですよ」

そして、彼女は両手を合わせてそっと目を閉じた。

「どんな映画もショーも敵わないのよ。家族の結婚式には。あんなに素晴らしいショーってないわ。どこを切っても千歳飴みたいに、その日は幸せしかないの。その日まで頑張りたいなぁ」

幸せそうに笑ってるなつの顔を下からしばらく眺める。

「だから、簡単にうっかりなんて死にませんよ。心配しないで」
「俺より先に死ぬなよ」

ちょっと困った顔をした。

「あなた、なんか長生きしそうよね。どうだろ?」
「お前が先に死んだら後を追うから」

先程まで笑ってた夏美さんの顔が笑顔のまま凍りつきました。

「あなたが言うと、若干、冗談に聞こえないのはなぜかしら?」
「本気だからだよ」

暮れ始めた空を烏が飛んでゆく。

「一応、聞いとくけどどういった手段で?」
「ちょっと前に流行った、あの炭を焚くやつか」
「はい」
「どっかで車に排気ガス引き込むか」

言いながら、だんだん楽しくなってきた清一さん。そういえば、どういった死に方が一番いいか、本気で検討したことはなかったなと。いろいろ調べてみるか。

「あなた」
「はい」
「それは我が家から変死者が出ると言うこと?」
「たぶん」

夏美さんは考えます。
家に警察が来ます。自殺を装った他殺ではないかと疑われます。舅と婿の仲はどうだったかご近所に聞いて回るかも。或いは実の娘の金目的の犯行?銀行口座からなにから洗いざらい調べられる?
孫息子は弁護士なのに、身内から変死者が出るの?
暎万ちゃんの結婚に響いたらどうしよう。

「だめよ。変死は!」
「ダメか」
「家に警察が来るのはダメ!」

ちょっと楽しくなってきてたのにダメですか。清一さんぼんやり考える。ドラマティックな死。

「じゃあ、あれだ」
「なによ」
「富士山の樹海に消える」
「行方不明者か」

夏美さん、考える。

富士山の樹海へ消えます。探さないでくださいと言うメモが見つかる。
慌てて警察へ行く樹君。
行方不明者の場合でも、このような手掛かりがある場合、下手すると捜索が行われる。税金の無駄遣いである。捜索が行われない場合、(主人は別に日本国にとってはとるに足らない存在ですし)なんだかんだ言ってファザコンの千夏が泣き暮らすだろう。
樹君が会社に無理言って休み取って、リュックサック背負って骸を探しに富士の樹海に分け入る様子が手に取るように目に浮かぶわ。

「だめよ」
「今回は、返しまで長かったな」
「つうか、富士山は、古来からの日本の霊峰よ。失礼なことしないで」

夏美さん、だんだん、すごく、腹が立ってきました。この歳になっても女々しいご主人に。

「決めた。あなたより先には絶対死なないから」
「ほぉ」
「もし仮に死んだとしても、すぐ、化けて出てきます。監視のために」
「それは、あれか?俺にも見えるのか」
「はい」
「話せたりもするのかな?」
「たぶん」

清一さん、考えます。
それなら別に寂しくなさそうだな。

「あなた」
「はい」
「孫の前ではそういう泣きごと言わないでくださいよ」
「なんで?」
「あなたがここまで女々しい人だって、意外とみんな知りませんよ」
「……」
「それなりの尊敬を得てるんですから、それと婿にも見せないで」

そうか、俺って女々しい人間だったのか、知らなかった。まあ、知ってもあまり嬉しくないけどな。

「わかりましたか?」
「はい」

すると、夕方の光の差し込む病室に、本日最後の来客が。

「お母さん?」

夫婦で揃ってそちらを見る。
太一くんが来ました。

「怪我したって大丈夫?」
「大したことないのよ」

日が暮れてゆく。

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