やる気のない旅行(タイ)の記録⑤-トレイン・マーケット&水上マーケット
バンコクから車で走ること1時間のトレインマーケットと更にその先の水上マーケットに行ってきました。ゴリゴリのインドアの私たちの旅もこれでおしまいかな?
Maeklong Market (トレインマーケット)
Damnoen Seduak Floating Market(水上マーケット)
トレインマーケットは線路のギリギリに市場があって、そこを電車が通るのを楽しむ(?)ことができる場所で、一日8回電車が通過します。始発6:20、終電17:30
水上マーケットはバンコク近郊にいくつかありますが、私が選んだ上のマーケットは午前中までしかやっていないので朝から移動する必要あり。私たちはホテルのオプショナルツアーを頼み、7時出発でホテルから車で移動。まずトレインマーケットで8時半と9時の通過を楽しみつつ側の市場で買い物をして、それから水上マーケットへ移動し、お昼ご飯を食べてからホテルへ戻ってきました。帰りは1時間半はかかったかな?
象さんの絵が可愛かった雑貨屋さん。中国ならパンダ、タイなら象。国宝動物なのだとガイドが言っていた。私も像が好きなので、象の置物を四つ買いました。
これが一つ400円でした。トレインマーケット脇の雑貨屋のほとんどに置いてあった。仕掛け人がいそうな商品だなと思いつつ、おばあちゃんと私とそれぞれ一つずつ購入。
バンコクはナイトマーケットが有名ですが、街の中心から離れた川沿いのリゾート型ホテルに居を構えてしまったために交通の便が悪くてアジアティークというマーケットにしか行けてませんでした。私的にはショッピングモールのような印象で、いまいちタイの人の生活を感じられなくて……。
自分が住んでいるところはみんな、都会的なら便利だし嬉しいのかなと思うし、私も深圳に住んでいて便利ですが、旅に出てまで都会的な部分はあまり見たくないですよね。だって、あまり変わらないんだもの。
忙しい日常を忘れたいから、都会に住んでいるなら都会ではないところへ人間は行きたいものなのだと思います。人工的ではない自分たちとは違う生活を覗いてみたい。バンコクの都会的な部分は、経済的にどういうふうな段階にいるのかを知る上で良かったけど、もっと自分たちの今とは違うものが見たい。
そういうわがままをこのトレインマーケットは満たしてくれたかなと思います。
線路脇の雑多な雑貨屋や果物屋を冷やかし、なんでこんなところに招き猫が?と思っていると突然カンカンと音が鳴り出し、お店の人が日差しよけの軒をしまいだすんです。
「赤い線の内側まで下がってください」
慌てて下がろうとするとそこには椅子が並べてあり、
「20バーツ」
金とるのかよ!慌ててさっき買い物をしたお店へ戻る。あそこでは買い物をしたから我々を匿ってくれるだろう。で、こんなギリギリをトレインが通るわけ。先ほど買い物した店の英語があまり話せないおばちゃんと、我が息子と旦那とおばあちゃんで電車が通り過ぎるのを見る。そのお店のおばちゃんはニコニコしてた。店の位置的に微妙な位置で、そして、置いているものの展示というかもそんなに工夫されているわけじゃない。きっとそんなに儲かってないな、ここ。だから、私たちがさっき買った500バーツは嬉しかったんだろうな。その笑顔を見ながら思った。
スマイル、アンド、ハッピー
他国に旅行して、人の生活を覗いて歩く。そのトレインマーケットの脇には昔ながらの粗末なお店の間に私のいうところの所謂都会的なおしゃれなカフェがニョキニョキ生えてて、まさにカオス。これが今のバンコクなんだなと思う。
この人たちにとっては、ただの生活だったんだと思うんですよ。こんな近くを電車が通るのに、その脇でものを売るというのは。そんなものを見に世界中から観光客が集まるようになるなんて思ってなかったでしょう。だからこれはみんなにとってミラクルでハッピーなわけです。
そしてその中を来る赤と黄色の電車は皆に愛される機関車トーマスのようだった。欧米人もアジア人も黒人もいて、みんなでゆっくりと進んでくる電車に歓声をあげるのです。
肩掛けを買って、これ、たった400円かと。一生懸命作って400円で足りるのか?もっと高く売れるだろ、咄嗟にそう思い、そして、この市場の人をはじめタイの人の生活に思い馳せる。
お金持ちと貧しい人
人の国にまで足を運ぶ余裕のある人は、旅先で自分より貧しい人と出会うことがある。その時、人は何を思うのか?罪悪感でしょうか?私は違うと思うんです。
ミラクルでスマイルでハッピー
みんな一生懸命生きている。だから今朝、赤と黄色の電車がゆっくりと入ってくるのを欧米人もアジア人も黒人もみんな歓声をあげて喜んだ。旅をしてここへ辿り着いた人も、旅行者からお金を儲けた人も、みんなスマイルでハッピーでいいんですよ。
国の経済力が違うから、自分の国の貨幣価値で換算するとびっくりするくらい安くてそれで相手を貧しいだなどと判断する必要はなく、ただ、英語の話せないおばちゃんが、なんかいつもより儲かったなと思って電車が通り過ぎる脇で笑っている。その笑顔に私も物以上の物をもらいました。きっと私だけじゃなくてバンコクから足を伸ばして集まってきた旅人たちはそういうものが欲しくてきてるんですよ。
それは簡単には言葉に表せないのだけど、バンコクの都会化したところにはなくて、ここにしかないものだったのだと思う。
1回目の電車が通り過ぎ、2回目の電車までの間に、トイレに行きたいしもう座りたいと我が家の王子様が言うのでトレインマーケットの入り口までてくてく戻る。エアコンの効いた店内のテーブルにどさどさ荷物を置き、旦那を荷物番にしてトイレに並んだ。前に5人くらい人がいた。
「おばあちゃん、前に行け」
「ん?」
大したことではないが、ばあちゃんを一番にし、二番を息子にし、自分を三番にした。しばらくすると、貯金箱みたいのを持った男の子が近寄ってくる。この子の英語もよくわからない。すると傍にいたタイ人のおばちゃんが、きっとこの人もこの店の人なのだろう。
「テンバーツ」
「あ……」
トイレもお金が必要なのか。それで、テーブルに座っている主人を指差した。私は現金を持っていなかったので。
「マイハスバンズ」
「オウ」
それで、英語の下手な男の子が恥いった。それでやっとわかりました。トイレをカフェで飲み物も買わない人が借りていくのだということに。だから、テンバーツ取ることにしたのだということに。私たちはトイレを借りるしカフェで涼もうと思ってたから飲み物は頼んでいたのです。
そして、そのカフェのミカンスムージーが非常に美味しかった。みかんが美味しいのだと思う。それなのに安かったんです。
ミカンスムージーを飲みながら思った。多分男の子はトイレを借りるためだけに飲み物のお金を払いたくないだろうなと思ってるのだと思う。私たちにとっては安い飲み物代が彼にとっては高いからです.だけどどんどん入ってこられてトイレ使われてトイレットペーパーや水使われたら困るじゃないですか。テンバーツとる。じゃなきゃガンガンものを売る。観光客なんて遊びにきてるんだから泡銭吸い取っちゃって全然いいんだよ!
……しかし、純粋だなぁ。
カフェは都会的でした。誰が投資したのだろう?しかし、その中で働く男の子はとても純粋な人でした。男の子は自分が失っていなくてまだ持っているものにきっと気づいていないだろう。このまま人気であり続ければトレインマーケットの人たちも少し変わってしまうかも。それはそれでしょうがない。
ただ、自分たちはこの時に来られて良かったな。ラッキーでした。
そして、それから本日我々を引率してくれるガイドのおじさんと待ち合わせ次の目的地へと向かう。水上マーケットへは舟で水路をゆくのです。エンジン付きの舟を操縦してくれるおじさんと家族四人とガイドのおじさんと乗った。
この舟が結構速い!
ディズニーランドにジャングルリバークルーズだっけ?あるじゃないですか。あれのリアル版というか。人工的ではない生活水路を滑るような速さでゆくわけです。本当に水路があちこちに張り巡らされていて、まさに道路なんですね。その生活の中をゆく。
これには意味があった。
うまく言えないのですが、自分たちはいつも人工的なところに住んでいるというか、繰り返しになりますが、人間が非日常を体験したい時、時間がなければ都会の中の何かにお金をかけることになると思うんです。例えばディズニーランドのジャングルリバークルーズとかにね。でも、それは本当はモデルとなったリアルな現物があって、それの模倣なわけでしょう?
人は本当は本物を体験したいのだと思う。でも、その本物というのは、どんどん減ってきているんだと思う。
旅をする人はつくられた生活ではなくて、その場にあるそのままの何かを見たいのだと思うんです。それはそこで暮らしている人から見たらつまらないものかもしれない。そこで、こんなものが観光になるのかと思って、自然な生活というか何かを作り変えてしまうと、貴重な観光資源を壊したということになるんじゃないですかね?
うちのおばあちゃんは日本に初めて行くまでは、海外を全く知らず中国しか知らなかった人です。旅に求めるものは人によってそれぞれなんでしょうけど、おばあちゃんにとっては日本の水田が一面に広がる風景も、そして、私がずっと言い続けてきた日本のお米のおいしさも、そして、今回タイで見た水辺で暮らす人々の自分の若い頃とはちょっと違うけど少し似ている風景も、全てが意味のあるものだったのだと思います。
思うに、必死に生き抜いてきたのは、生き抜いているのは自分たちだけじゃないということを知るという意味で。
自分と自分の周りのことだけではなく、世界が広がるというのはきっと、ありとあらゆる人にとって意味があることなのだと思う。ある程度年齢のいったうちのおばあちゃんのような70を過ぎた人の場合でも。
なぜならそれは、その人に自分の人生で起きたことの意味を教えてくれるからです。他の国の人の生活を見て、わたしは間違っていなかったと知ることになるから。
日本はわたしが生まれた頃にはもう豊かになっていましたし、中国もずいぶん豊かになりました。それはいいことなのだけれど、うちのおばあちゃんのように若い頃苦労をして、その昔の時代が遠くなりその意味というか通ってきた道がよくわからなくなることもあると思う。そういう時に自分の世界が広がれば、自分が今どこにいて、そしてどこから来たか思い出すことができる。
それで救われるということもあると思うんです。
水上マーケットで山のようなお店を眺め、市場と市場の間の食堂でご飯を食べる。蝿がよってくるのでうちの王子様がしゃかりきになっている。この子は綺麗なとこでしか生活したことないからなと思いながら眺めてました。ま、そういうこと言うなら私もほんとはそうなんだけどね。
ここで食べたマンゴーに腰を抜かしました。
「今まで食べたマンゴーの中で一番うまい!」
深圳はマンゴーを普通に食べるところですので、中国生活の中で食べてました。山のようにマンゴーを。しかし、今まで食べてたのはなんだったんだというくらい、1ミリの欠点もないパーフェクトマンゴーを食べたと思った。タイの人にとってはこれが当たり前なんだろうか?
きっと私たちが払ったランチ代に対して、私たちがその食堂で頼んだものがあまりに安いものばっかりだったんでしょう。ガイドのおじさんがあれやこれやと追加で買ってくれるのだけど、みんなそんなにお腹が減ってない。
「イナフ、イナフ」
物はもういらない。でも、物ではない何かは確かにもらった。それは本物でした。私たちはなぜ旅をするのか、それが少しだけわかった気がする。
お金ってなんでしょう?
旅をする私たちがお金を持っていて、私たちを迎えてくれる人たちがいつも持ってない人たち?それってなんか違うと思うんですよね。
お互いに一生懸命生きているって意味では、私たちは同じぐらい頑張っていて、同じ高さのところに立っている。だから、あげたお金の分だけ、確かに何かをもらいました。それはきっとこれだったんだと思う。
ミラクル、ハッピー、スマイル からの 元気。
明日、飛行機に乗って深圳に帰ります。私は私の場所で頑張らなければ。みんながみんなの居場所で、せいぜい頑張っていますものね。
(乙女著)
2024.05.04
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