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旅の感想

本文に入る前に写真の解説を
4/30にランチでスタバに行き、スタバに行くとものが出てくるまでの短い時間で絵を描くことにしている。(スタバにはお客さんが誰でも自由に書き込めるノートとペンが置かれてる)スタバのマークのお姉ちゃんを一生懸命描いた。絵はブランクがあるので難しかった。そして、本日5/6、またランチでスタバに行きノートを開くと私の絵の横に真似して描いた絵があった!

交換絵日記か??
ツボりました。そこで、また大忙しで下にスタバのお店の絵を描きました。同じ人がまた続きを描いてくれるでしょうか?しばらくお絵描きがマイブームになるかもしれません。帰ってきたお絵描き。(子供の頃毎日のように絵を描いている人だった)

心をタイに置いたまま、帰路についた我々家族四人。突然主人が我々を仕切り始め、タイで一番良かったのはなんだと聞き出した。

私「やっぱ、アユタヤのワットマハタット!(木の根に抱かれた仏頭)」
主人「次」

感動について長々と語ろうと思ったが、ぶった斬られた。

息子「象」
私「ぞー、なのかよっ」
主人「次」

一番金かかってないところをつかれた。ぞーなのかよっ!

私「あなたはどうなのよ」
主人「どこでもない」

チーン
一瞬、ハニワになりました。どんだけ金かかってるとおもてんねん。無駄やいうんかいっ!

主人「歴史とか全然興味ない。ビジネスにしか興味ないし」

お前は一生、仕事してろ……。この金の亡者め。と思ってはいけません。思ってはいけませんよ。オホホホホ。私の秘めたる殺意に気づかず主人は淡々と続ける。

主人「あ、でも、タイに投資したくなった」

出たよ。中国人の投資好き。

主人「タイが今、どういう経済状況なのかわかったから興味深かったな。日本車ばっか走ってたけど、BYDの看板もあったし」

目がキラキラしてる。でもね、君、タイの運転手にぼったくられていたよね?投資なんてしたらぼったくられて、損すんじゃねえの?中国の中で色々やるのと違うんだぞっと。実はもうちょっと日本人と比べてしっかりしてるんじゃないかと思ってた。中国人はさ。しかし、海外慣れしてないのは日本人も中国人も同じだな。自分も初めての海外(ベトナムだった)でぼったくりの洗礼受けたしな。

空港からタクシーに乗る時、800バーツと言われた。地球の歩き方を飛ばし読みしていた私は、それがぼったくりの値段だと知っていた。しかし、お金を出すのが主人なので、面白い実験だなと思いながら、それがぼったくりの値段だと教えずに

「800だってどうする?」

と聞いたのです。主人は何も疑わずに800を払った。というかタイバーツに慣れていないので、それが何元なのか咄嗟に計算できないのである。

日本人も中国人も、海外慣れしてない人間はおんなじだな!

これが自分的には非常に嬉しかった!なぜなら、最近中国人の図々しさというか、ちゃっかりしているところとか、イラっときつつも商売人だなと一目置いていたからである。それに対して日本人が最近うまくいってないような気がしてた。

でも、違うぞ!中国人だって騙されるぅうううう!

そして、次である。中国人のちゃっかりさ加減で、タイ在住の中国人ガイドさんに仲介会社を通さず個人交渉で安く仕事してもらおうとした。中国国内はこんな横紙破りが横行している。

うまくいかなかった!!
これでまた自分のルンルン感が上がった。
それみろ!中国的なやり方が他国でも通用すると思うなー!

そりゃそうだ。我々はガイドさんから見たら、ほんの数日の付き合い。これが終わったら帰ってこれ以上彼の生活を支える客になるわけじゃない。それよりも普段ガイドの仕事を回してくれる仲介会社との関係の方が大切に決まってるじゃないか。小学生だってワカラァ。ルールを破ってばかりいるな!中国人!

それから、英語の話せないみなさんの代わりに私が窮地を救ってホテルのオプショナルツアーを頼みました。株式投資で負け、収入でも負け、家族としてはいい方向に進んでいたが、若干主人に頭の上がらなかった自分が、久々にお父さんよりお母さんの方ができるでしょ?的なパーフェクトなドヤ顔をしてみせた。

おばあちゃんと息子に向かって。気分よかったよ。

するとそのうち、主人がタイバーツを中国元に換算できるようになり、また、タクシー代に精通し始めた。

「ぼったくられてる!」
「今、気づいたか」
「気づいてたの?なんで教えてくれないの?」

いや、私のお金じゃないし……
そして主人は商売上手、交渉上手な中国人としてプライドにかけて正規料金でタクシーに乗ろうとして、片っ端からタクシーに声をかけ始め……

ようとして英語が話せないので、私に声をかけさせた。

ねっとりとした熱帯夜、キャバレーショーが跳ねた後の夜の9時で次の日の朝は午前しかやらない水上マーケットに行くため6時半出発の予定。

自分としては、日本人と中国人の違いを見たかったんです。海外慣れしてない人間でも、中国人はぼったくりを回避する能力が日本人より高いのか?滅多にない実験のチャンスでした。ところが

「何人聞いても一緒だよ!結局200でかえんだよっ!それならさっさと200で帰ったほうが賢いよっ!」

誰に似たんだか、弁の立つ息子がキレにキレて、あまりにまともなことを言って親を非難するので、主人の侵攻が止まった。あうっ!中国人の底力を見られたかもしれないのにっ!

タクシーぼったくりについての長い回想終わり。家族の感想に戻ろう。

主人「妈(お母さん)、何が一番よかった」
姑「わたしになんかそんなえらい感想言えないよ」

姑は学のある人ではないので、連れて行かれた世界遺産とかどういう意味があるかはわからないのです。ただ、タイ人の素朴な生活をのぞいた水上マーケットは面白かったようだった。

姑「ああ、でも、华(主人の名前)のお金を使ったのが楽しかった」
主人・私・息子「「「!」」」(←同時に驚いた様子)
姑「华が一生懸命稼いで、それで、わたしたちが一生懸命使おう」

これには本当に驚いた。おったまげた。なんでって……
うちのおばあちゃんはねぇ、本当にお金を使うのが嫌いな人なんです。筋金入りなんですよ。それでも無理やりイタリアンに引きずっていくと、こんなものがこんなにするのかと、それこそ大切なペットがなくなりでもしたのか?と言いたくなるほどいやーな顔してハムハム食べるような人なわけ。
そんなおばあちゃんもばーばーお金使う旦那や私の悪影響(?)を受けて、

「これ、美味しいな」(←バルサミコ酢が好き)

若干のイタリアンを楽しむ粋な中国人高齢女性になりかけてきたわけです。でも、なりかけてきただけ、それでもお金を使えばある一定の罪悪感を持っていたはず。

若い頃にしこたま苦労をしてきた人の、この豊かに対する嫌悪感ってなんなんだろうね。

豊かに育ち、贅沢の楽しみを知ってる自分とおばあちゃんはそれこそモスラ対ゴジラのような戦いを繰り返し、途中からはいつぞやのアメリカとソビエトのように冷戦もしたし、我々の対立には歴史がある。

だけど、雪が溶けたな……

せっせと働いて、定年退職したらせっせと孫の面倒を見て、お金を使って遊ぶこともせずに、若い世代に良かれと思ってしたことで煙たがられて。おばあちゃんはそのまま変わらないと思ってた。

イタリアンに連れてって、苦虫噛み潰したような顔でもしゃもしゃされた時に、おばあちゃんがいる限り一生みんなで贅沢はできないと思ったよ。だって人間の価値観なんてそんな簡単に変わらないじゃないですか。

それが、変わった……

人間の未来ってわからないと私が思うのはこういう時です。絶望的な状態にいる時でも、未来はわからない。自分が予想しないようなところにつながっていることだってあるのだから。

多分、主人が私や姑が予想した以上に豊かになったからだと思うんですよね。主人の今があるのは舅と姑のおかげですから、だから、姑は息子の金を使う権利があるわけですよ。

お金がなくなったらどうしよう?食べるものがなかったらどうしよう?子供達が未来仕事がなかったらどうしよう?

ずっとそういう心配をしながら、我慢して我慢して生きてきたのだから、だから、もう我慢しないでも大丈夫なんだって安心して、最後の時間を今までできなかった分、思い切り遊んで暮らした方がいいんですよ。

姑が心の底からほっとできるくらい、うちの主人が頑張ったってことですね。これが本当の親孝行ではないだろうか。

おじいちゃん、約束果たしたよ。

本当は舅と約束なんてしてないんだけど、でも、お空に向かって心の中でつぶやく。舅は息子がまだ幼稚園の頃に胃癌で亡くなってしまいました。定年してからまだそんなに長く楽隠居したわけでもなかったのに。初孫の息子が大好きで、声の大きな明るい人で、家族や親戚にはもちろんみんなに愛されていた。

私とおばあちゃんが喧嘩する時に間に入ってくれる人だった。

不思議だなと思うんですね。おじいちゃんがいるから家族としてもっていた。そのキーマンがいなくなった時に、姑と私、それぞれが試練というか課題のようなものを与えられたように思うんです。

価値観の全然違う二人が、嫁姑の争いをしながら、でも、もう間に入ってくれるおじいちゃんがいないから、自分を変えるしかなくなった。何度も何度もいやになりましたけど、だけど、おじいちゃんだけは裏切れないような気がしたんです。

最後は故郷で死にたいと、末期癌の体で、でも自分の足で歩いて高速鉄道に向かうあの背中を忘れられない。それがおじいちゃんを見た最後になりました。その1ヶ月後に故郷で亡くなりましたから。

あの背中に無意識におばあちゃんを大切にすると誓った気がしてるんです。

おじいちゃんが亡くなって我々は田舎に飛んでお通夜とお葬式に出た。中国の田舎のお通夜は日本のお通夜よりもっとすごかった。何がすごいって家族と親族がとても寒い葬礼の場所で本当に眠らずに故人につきそうのです。

中国人は家族と親戚をとても大切にする。みんなが肩を寄せ合って舅が亡くなったことを悲しんでいました。その真ん中でまるで一時的に気がふれてしまったかのように大泣きしていた姑を覚えているんです。

これからやっと一緒に人生を楽しめるはずだったのに

大体そういう意味のことを言いながら、大声で泣いていた。幼い頃から一緒に住んでいる祖母の異様な姿にまだ幼かった息子が怯えたのを覚えてる。

本音を言えば、子供がいる身でありながら、結婚とかもろもろのものを全部放り出して逃げてしまいたいと思ったことが何度かあります。あるけど、いくつかの裏切れないものがあった。舅のあの死に向かう背中。半狂乱になった姑の様子と、そして、まるで自分の体の中の臓器をとられたかのような悲痛な様子で、舅の骨を運ぶ主人の姿。

人にはきっと人間として裏切れないものというのが、できるのだと思います。恋とか愛とかそういうものよりもっと深い

人生の中に訪れる、本当に苦しい時を共に分かち合った。
これが家族です。
共に分かち合い、支えた。ここには重い責任がある。

おじいちゃんの背中だけは裏切れない。おばあちゃんを頼むよと、華を頼むよとおじいちゃんに言われた気がするのです。死にゆく人と約束をした。人間として、これだけは裏切れません。

本当なら、息子のお金を使うのがわたしの仕事だというおばあちゃんの横にいい笑顔で笑うおじいちゃんがいればよかった。それで満月、フルムーン。

中国人は家族全員が揃う様子を満月で表すんです。
私たちのフルムーン、そこにおじいちゃんが足りない。
足りないけど、おばあちゃんも華も笑って幸せそうにしているよ。
そして、私も幸せです。

おじいちゃん、私は約束を果たせたでしょうか?

人の道は複雑です。自分の心に嘘をついては生きていけない。神様にひとかけらピースを奪われてしまって、その足りなくなってしまった部分を残った家族で埋めなければならなかった。長く苦しい道だったと言ってもいいと思う。

でも、きっと私たち、それぞれちょっと変われたと思うんです。主人も私もおばあちゃんも、そして、自分なりに家族を繋げようと頑張ってきた息子も、優しい子に育ってます。

人と出会ったことに意味があるのか、
ここで生きていくと決めたことに意味があるのか、
そういうことには実は意味はないと思う。

意味というのは、手にしたものを投げ出さず、そこから逃げ出さず生きた人にだけ与えられるものなのではないでしょうか。だから、意味のあるものを手にする機会というのは実は誰にでも公平に与えられているのだと思う。

おじいちゃんが亡くなってもう結構な時間が経ったのですが、私はきっと今日、本当の意味でおじいちゃんの死を悼んだのだと思います。

悼むことができたのだと思う。
おじいちゃん、ありがとう。
おじいちゃんは私の二人目のお父さんです。

もし、結婚に悩む人がいたら教えてあげたい。
人が本当の意味で家族になるのには、それなりの量の時間が必要です。
焦らないでください。

また行こう、家族旅行。
主人はお金を稼ぐのが仕事で、
私とおばあちゃんと息子はそれを使うのが仕事なのですから。
2024.05.06
(お笑い芸人と乙女共著)

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