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短編小説:息子を盗られる_2021.03.28

 香港のとあるマンションの部屋
 ベッドに寝っ転がった千夏ちゃんが、スマホでぼんやりと何か見ています。
 それは小さな頃の春樹君の写真でした。
 生まれたばかり、初めて立った時、歩き始めて、喋り始めて……
 不意に持ってたスマホが振動し出す。
 
 ご主人です。無表情に画面見つめながら考える。出るか出ないか……
 そして、昼に聴いた言葉が甦る。

 すっごい素敵な人だったから。

 息子の彼女なる人を評した言葉。もう一度イラッとした。
 ああ、もういいや。今日は出ない。
 しばらくして切れた。千夏ちゃん、また春樹君の写真に戻る。

赤ちゃんの暎万ちゃんが出てきてお兄ちゃんになった。自転車に乗った。ランドセルをおろして、中学生になった。入学式、制服着て学校の門のところで写真を撮った。この頃はまだ背が低かった。

 あっという間だったなぁ……。

 春樹は反抗期らしい反抗期がなかったなぁ。
 暎万は毎日が反抗期でしかも終わってない気がするけれど……。

 いつ頃からだろう?気づけば、あの、いつも落ち着いていて冷静な春樹君がいました。
 口は皮肉屋なんだけど、周りの家族のことをよく見てて、優しかった。風邪をひきかけてたりすると、わたしより早く気づいて、お湯にレモン切ったの入れて、蜂蜜入れて持ってきてくれてさ……。

 ぐすっ

 やべ、いい大人が泣いてっぞ。おい。しっかりしろ。千夏

 するとまた携帯が震える。あんだよ、全く人が感傷に浸ってる時によ。樹君ってスイッチ入るとしつこいんだよな。

 そしてまた思い出す。

 すっごい素敵な人だったから。

 ふん。一晩中電話かけてろよ。
 しばらくして切れた。ふと見ると、あれ?暎万じゃん。なんだ?
 ま、いいや。大した用事じゃないだろう。

 二日酔いの朝にはさー、学校行く前にわざわざコンビニまで走ってドリンク買ってきてくれたことだってあったんだよ。あの時はほんと、息子産んでよかったって感動したなぁ。

 また鳴る。電話。
 ああ、もうっ!
 画面を見ると……、今度はお母さん。

 ……

 エレクトリカルパレードみたいに、次から次と……。こいつら。遊んでんな。
 そして、極め付け、お父さん。
 それでやっと静かになった。

 あの優しさが、これからは別の人のものになるんだなぁ。
 様々な年代の春樹君が、千夏ちゃんの記憶の中で笑いながらお母さんと呼びかけてくる。

 くっ、さびしー

 いきなり家を出てってしまった時も寂しかった。娘は残ってるけど、春樹がいなくなっただけで、なんか違う。すごくがらんとした気がした。暎万は癒し系ではないしなぁ。それにそういう暎万もそのうち出てく。

 お父さんとお母さんだって永遠に生きるわけじゃない。

 知らなかった。
 結婚して家族ができたときに、自分はもう1人じゃない。寂しくないって思った。
 それなのに……
 一度増えても家族って、また、減ってっちゃうものだったんだ。
 
 春樹を産んだのはわたしだし、春樹のことを一番よく知ってるのは家族のわたしたち。
 それなのに外から来た人が連れて行ってしまう。その人と一緒にいる息子は自分の知らない顔の息子。
 いつの間に春樹は、自分の知らない顔を持つようになったのだろう?それでもずっとわたしの前では、今までと同じ、あの春樹だった。わたしに見せている顔は、あの子がわたしを安心させるために作っている顔で、本当のあの子は、その女の人と一緒にいるあの子なんだろうか。

 自分の大切な息子が、不意に全然知らない人になってしまったみたい。
 親って一体なんなんだろう?

 もう一度、電話がなった。ほんとしつこいな。

「はい」
「やっと出た」
「もう、しつこすぎ」
「暎万にも言われた」
「なんか用?」
「いや、千夏さんが今頃、マックスに落ち込んでる時かなぁと思って」

 確かにマックスで落ち込んでました。

「あなたと結婚して」
「うん」
「1人増えて、2人増えて、お父さんとお母さんも一緒にいて」
「うん」
「賑やかでずっと楽しかったのに」

 そう、千夏ちゃんにとってはこれはパーフェクトな状態でした。永遠に続いてほしい幸せ。

「春樹がいなくなって、暎万もそのうちいなくなる。お父さんとお母さんだってずっと一緒にはいられない」
「うん」
「そして誰もいなくなる」

 樹君がふっと笑いました。

「俺はいるよ」
「寂しいよ」
「俺だけじゃ足りないんだ」
「寂しい。離れたくない。春樹とも暎万とも、お父さんとお母さんとも」
「……」
「人生ってどんどん幸せになっていって最後が一番幸せになるんだって思ってたのに。わたしの一番幸せな時、終わっちゃった。これからはもう減る一方だよ」

 樹君は千夏ちゃんのその言葉を聞いた後、少し考えました。

「自然なことなんだよ。全部」
「みんながずっと一緒にはいられないことが?」
「子供は大きくなるし、人は永遠には生きられない」
「……」
「変わり続けるからこそ、その一瞬がこれでもかというくらい輝くのだと思うよ」
「人がもう少しゆっくり歳をとるのだったらよかったのに」
「うん」
「エルフみたいに」
「何歳まで生きたいの?」
「300歳」

 樹君、笑いました。

「それって、定年退職は何歳?」
「180歳」
「120年も無収入でどうやって生活するの?」
「再就職必須だね」
「成人は何歳?」
「60歳」

 3倍だからね。

「やだ。そんなおっさんくさい成人」
「ゆっくり大人になるから、60歳でも若者なの」
「ほんっと変なことしか言わないんだから」

 樹君が笑ってる。その声を聞きながら、ようやくゆっくりと千夏ちゃんの顔に笑みが戻ってきました。

「もっと長く一緒にいたいよ」
「うん」
「幸せな時間が終わっちゃった」
「でもさ……」

 樹君の声が丸く柔らかく千夏ちゃんの耳に届く。

「時が止まってほしいと思うくらいに満たされる出来事ってさ。きっとそれが3倍の長さになったって、終わってほしくないものだと思うし。それに、楽しい時間はきっと3倍になってもあっという間に過ぎるよ」
「……」

 家族の前、特に樹君の前では子供のようにわがままになる千夏ちゃん

「楽しい時間は終わったって思えばそれが真実になるけどさ、これからだって楽しいことはあると思うよ」
「ええ?」
「子供たちが結婚して、子供が生まれたらもっと賑やかになるじゃない」
「……」
「減ることばかりではないでしょ?」

 千夏ちゃんは想像してみました。赤ちゃんを抱いている春樹君と暎万ちゃん
 今よりもう少し、白髪が増えてシワの増えた自分達

「なんかうまく想像できないなー」
「きっとすぐだよ」

 千夏ちゃんしばらく黙りました。その後にこう言った。

「満月が欠けちゃった」
「ん?」

 満月。家族みんなが揃って一緒にいる状態。
 樹君は思う。確かに。それは満月に似ている。

 千夏さんは言葉に出して言ったことはないのだけれど。両親と同居をしたがっていた。子供の面倒をみてもらって続けて働ける、便利だからと表面上は言っていた。それに、もしかしたら自分でもそう思ってるのかもしれない。
 だけど、お父さんとお母さん、特にお母さんに寂しい思いをさせたくなかったのだと思う。そういう気持ちも心の底には持っていた。

 賑やかな老後を送ってもらいたい。彼女のその願いに自分は寄り添った。
 だからと言って同じことを子供達のどちらかに期待するのもね……

「ねぇ」
「ん?」
「結婚して、子供が生まれて、みんなで楽しくやってきたじゃない」
「うん」
「子供達だってそれは覚えてるんだからさ。だから、これからは毎日満月とはいかないけどね」
「うん」
「きっと帰ってきてくれるし、集まってくれる。その日にはまた満月が見られるよ」

 それがきっと自然なことなんだと思うよ。

 了

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