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私なりに書き方の進め22:ヌケ感
ヌケ感とは、本来、洋服の着こなし等に使う言葉なのだが、これ、エッセイ等の文章にも言えることだよなと思い、本日はここにしたためる。
ヌケ感とは、肩の力が抜けている、ということである。
真面目な問題について切々と訴えたり、小説のシリアスな場面を書いている時なぞは、この ヌケ感 は不要。むしろ邪魔。
ただ、随筆には これがあるといいのではないかなと思う。
毎日、仕事をしていると、疲れているので余暇には軽やかな気分でいたい。こういう時に、わたしは、わたしはと自己主張してくる文章は読みたくね。
つうか、ぶっちゃけ、勉強してるわけでも仕事してるわけでもない時は、文字見たくねぇ、と思う人はわりといるんじゃね?
そういう時でも読んでもいいかなと思うのは、ヌケ感のある文章であろう。そう、大人はわざわざ余暇に読んで心がザワザワしたり、くらーい気持ちになったりするものは読みたくねえんだよ。
こうやって具体的につらつらと書いてみると、疲れていても読みたくなるなという文章って簡単なようでかなり難しいものであるような気がするのは気のせいだろうか?
それではどんなトピックが?という話ですが、思うにね、育児日記でもよいのだよ。あ、今日はこれ書きたいな、と思って頭に浮かんだ、そのどのトピックでもいいのだと思う。
その語り口を軽くする工夫が、わたしはわりとエッセイの書き方の技術を上げるのではないかなと思います。いつも軽くする必要はなくて、時にはきちんとした硬い文章や重い文章を書いてもいいと思うんです。いろいろな重さで書いてみるということなんですかね。
これが、書き分ける、という技術なのだと思うのですが……。
うまく言えないんですが、大事件ではなくて小事件で、そして、誰にでも起こりそうなありふれたことを丁寧に描くという感じなのかなぁ。
つまりは、読んでいる人を説得しようとしないこと。無理に結論づけないこと。こんな感じかもしれません。前のめりになって、私はこう考える。だから、あなたもこう考えろ、こういうのがヌケ感がなくて読んでいて疲れるものなのかも。
例えば ↓
私は人間の多様性を愛する人間であり、また、常日頃から子供もまた大人と対等な一個人だと思って生きている。だから私の育児は子供との対話に始まり対話に終わる。もしもあなたが子供の人間性を認めず相手を自分の目下の人間だと思い相対するのなら、あなたはきっと育児に失敗するだろう。
こんな感じの文章がヌケ感がないのかもしれません。いきなり 失敗するだろう なんて断言されたらドキッとするから続きが気になって読んでしまうかもしれませんが、自分としてはこういう文章はあまりど真ん中ではないですかねぇ。
ここぞという時には、こういう文章でいいと思うんです。ただ、常に煽動的なのはどうかなと。それよりも
「あ、なんかわかる、それ」
こういう感じの文章が好きです。ぐいぐい迫ってくるのではなくて、じんわりと心に染みるような、そう、
心が疲れない文章、ですね。
ドキドキハラハラ、したくないんですよ。もう、若くないしねぇ。
さりげない文章を綴るというのは簡単なようでいて結構難しいことのような気もしますね。そういう目で見てみると、私が読んでみるnoterさんの中で、着実にハートを得ているのは、一つにはやはりドキッとするような独特なものを書いている人であるようですが、それと同じぐらいの割合で、「あ、なんかわかるそれ」の書き手の方のように思います。
というか、むしろ、こうやって書きながら思いましたが、自分は多分自分で言ってながら自分が足りないかも、
ヌケ感!!
ちょーどいい感じで力を抜くことができたら、文章も人生ももう少し良くなるかもね。じゃあ、明日から頑張りましょうか。今日はもう遅いので。
しばらく、程よく力の抜けたものを書けるように修行しようかな。
それでは素敵な週末をお過ごしください。
汪海妹
2024.11.15